桃太郎伝説の地を歩く、おかやまの旅「後編」!温羅(鬼)の本拠地「鬼ノ城」を散策!

掲載日:2018年03月30日
  • ライター:船橋弘範
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かって吉備国の中心地だったと考えられている吉備路は、「桃太郎伝説」発祥の地であり、現在でも「桃太郎(吉備津彦命)・鬼(温羅)」にまつわる地名や旧跡が数多く残されています。桃太郎伝説を思い描きながら、歴史ロマンの旅に出ましょう!
後編では、温羅(鬼)の住んでいた古代山城である「鬼ノ城」をご紹介します。
併せて、「前編」もご覧ください。

鬼城山(きじょうざん)ビジターセンター(総社市)

展示室では、パネルや模型を使って、鬼城山のことをわかりやすく紹介しています。
映像コーナーでは、西門や版築を復元したときの様子を見ることができます。
展示室の中央には、鬼ノ城のある鬼城山の地形模型と、20分の1サイズの西門の模型を展示しています。
自動販売機はありませんので、飲み物は下界で調達しましょう。お手洗いはここにしかありません。
開館時間:9時~17時(入館16時半まで)、休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)・年末年始。
「国史跡 古代山城 鬼ノ城」という無料の地図入りのパンフレットをもらいましょう。

学習広場

鬼ノ城ビジターセンターから西門までは、車イスでも移動が可能な道になっています。
西門に向かう途中に「学習広場」があります。学習広場から見た西門や角楼の風景は素晴らしいので、立ち寄りましょう。

角楼(かくろう)

鬼ノ城に近づきやすい西の尾根を警戒するために築かれた角楼です。
角楼から西門まではわずか60mです。兵力の集中や移動を難なくこなせて、双方からの矢の射程を考えて造られているそうです。
角楼の横の道を上ると、直ぐに「鬼城山(きじょうざん)」山頂(標高約400m)があります。ここからの眺望は素晴らしいです。「前編」に登場した桃太郎伝説の地も見えるかもしれませんね。

北門跡

ライターは、「鬼ノ城1周コース」を時計方向に歩くことにしました。
角楼から東へ約600mのところに北門があります。唯一背面側にある城門です。基本的な構造は他の西門・南門・東門と同じ掘立柱城門で、通路床面には大きな石を敷いています。規模的には大型の西門・南門に対し、東門とともにやや小型の城門です。門柱は本柱のみ角柱で、他は丸柱であり、柱間の寸法も異なるなど、特異な組み合わせです。

屏風折れの石垣(高石垣)

この高石垣は、大きく城外に張り出しており、広い視野を利用して城の東側方向への監視ができます。
また、尾根の先端部を利用することで城内間の連絡など、城兵たちの活動の場としても活用されたものでしょう。
上から見ると断崖絶壁で、このような建造物を造ったものと、感心します。西門に並ぶ名所だと思います。
古代に造られた鬼ノ城から風景を眺めていますと、岡山桃太郎空港から西方向に離発着する飛行機・近くの大きなゴルフ場・巨大な物流センター・遠くには瀬戸内海・水島工業地帯が見えます。

東門跡

東門は、西門や南門に比べるとやや小ぶりとなる間口1間(3.3m)、奥行き2間(5.6m)の城門です。
門の入口は2m以上の段差を設けた懸門(けんもん)構造とし、扉を入った正面には侵入を妨げる巨大な岩を利用して、防御機能を高めています。この城門は、他の3門が角柱を多用するのに対し、全て丸柱が用いられるなど、やや異なった特徴を持っています。

第4水門跡

城壁が谷を渡る場所では、排水のための水門を築いています。下部は石積み、上部は版築土塁です。鬼ノ城では、6か所に水門跡があります。

鍛冶工房跡

鬼ノ城を築くために使用した、鉄の道具を製作・修理した場所です。城づくりには、山を削り、岩を砕くなどの作業に鉄の道具は欠かせません。ここでは、平坦な地面をつくり(段状遺構)、柱を立て並べて、屋根をかけたと思われる施設とその中に並んだ9基の鍛冶炉(かじろ)が発見されました。
炉の周囲からは、鉄滓(てっさい)・羽口(はぐち)・砥石(といし)などが出土したほか、鉄を鍛える時に飛び散る鍛造(たんぞう)剥片(はくへん)や粒状滓(りゅうじょうさい)も多数発見されており、鍛冶作業の光景が浮かびます。

祠(ほこら)

鬼ノ城1周コースを歩いていると、何か所も祠をみました。その中でも、この祠には岩を削って彫刻した仏像の絵があり、特に印象的な祠でした。

高石垣

ここも高石垣です。2つ並んだ松の木の右側には、屏風折れの石垣が見えます。

敷石

綺麗に並べられて、歩きやすいタイルのような石道が続きます。
温羅や兵士が歩いて、石の表面が滑らかになったことでしょう。
板状の石を敷き詰めて通路状としたもので、城壁に沿って内側と外側の両方にあります。幅1.5mで通路というよりも、城壁が流水によって壊されることを防ぐための施設であるらしい。
なお敷石は、日本の古代山城では鬼ノ城にしかみられません。

南門跡

南門は、間口3間(12.3m)、奥行き2間(8.2m)の規模を持ち、一辺55cm前後の角柱12本で上屋(うわや)を構成する大型の城門です。
門の入口は2m近い段差を設けた懸門(けんもん)で、中央1間(約4m)を城内への通路としています。床には巨石を敷き、扉の据え付け開閉のために、丁寧に加工された門礎が両側に配されています。
この城門は、細部に違いがあるものの、規模・構造ともに西門と同じくし、いずれが正門なのか興味をひかれるところです。

西門に続く道

西門に続く坂道です。見事に石を敷き詰めて、奥行き感と共に芸術的と思われる風景です。

西門跡

平成8年度の調査で新たに発見された城門です。正面3間(12.3m)、奥行2間(8.3m)の大規模な城門で、中央1間が開口します。12本柱で構成される堀立柱城門で、開口部の床面は大きな石を敷いており、その両側に6本の角柱が立ちます。門扉のつく柱は、一辺最大60cmもあり、これに精巧な加工をした門礎を添わせています。門礎には方立・軸摺穴・蹴放しが刻まれています。両側の門礎とも原位置を保っていることから、開口部は間口約4mで、うち3mが出入口となります。

西門と日暈(にちうん)

薄雲がかかって、太陽の周囲に綺麗な日暈が見えていました。
西門の楯は本来は高欄の内側に置くそうですが、そのようにすると文様の大半が隠れてしまうために、故意に外側に取り付けているそうです。

鬼の釜

 鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)という伝説の鬼が使用していたとされ、「鬼の釜」という名で呼ばれています。鋳型で作られた大釜で、上・中・下三段の横方向と、各段10片の縦方向の鋳造痕が明瞭に認められます。
 この釜は、現在新山集落の一画にあります。「湯釜谷という所にあったものを、享保7(1722)年10月に地元の人が現在の場所に運び、その時底が壊れた」、また「釜はもともと二つあり、新山寺の僧がその一つを阿曽村の鋳物師に与えた残りである」、「阿曽村の鋳物師が持ち帰り、一つを壊すとたたりがあったので、残る一つを新山へ返した」などの伝承がありますが、定かではありません。この地は山岳仏教の聖地で、新山別所の浄土堂を修理し、阿弥陀(あみだ)仏を安置した鎌倉時代の僧:重源が、山口県の阿弥陀寺で湯釜を寄進したとされていることから、新山でも人々のために湯屋をつくり、湯釜もつくったのではないかと考えられます。
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