加納容子さん

江戸時代に出雲街道の宿場町として栄え、1985年(昭和60年)岡山県初の「町並み保存地区」に指定された真庭市勝山で、「ひのき草木染織工房」を営む染織家の加納容子さん。東京の美術大学を卒業後、就職・結婚。機織の教室を主宰した後、実家の酒屋を継ぐため勝山にUターンします。家業の傍ら制作した暖簾(のれん)が近所の人の目にとまり、制作を希望する人が増えたことから、平成8年(1996年)、住民有志が「かつやま町並み保存事業を応援する会」を発足。そこから毎年暖簾を制作し続け、町並み保存地区の通りのお店や民家に加納さんが制作した暖簾が次々とかけられ、今では「のれんの町・勝山」と言われるほどに。その活動は県内外で高く評価されており、暖簾目当てに勝山を訪れる人が後を絶たないなど、地元の観光振興に大きく貢献しています。

東京の美術大学で染織を学ぶ

  • 幼少期の加納さん

    幼少期の加納さん

  • 美術大学時代(右から4番目が加納さん)

    美術大学時代(右から4番目が加納さん)

真庭市勝山で酒屋の一人娘として生まれた加納さん。生家は、加納さんの祖父の代まで造り酒屋で、幼少期には、店舗の裏にたくさんの酒樽があったことを覚えているそうです。高校卒業後、デザイナーにあこがれて東京の女子美術短期大学のデザイン科に進学したものの、途中で染織(機織と染め物)に出合ったことで方向転換。デザイン科を辞めて同短期大学の生活美術科へ再入学します。「生活美術科では機織を選択していました。その時は染め物にそれほど没頭していなかったんです。でも、染め物の先生に大変かわいがっていただき、一通り教えていただくことができました」と加納さん。この時の経験が、後々の暖簾制作につながっていくことになります。

家業を継ぐため勝山へUターン。草木染めとの出合い

  • 勝山木材ふれあい会館

    勝山木材ふれあい会館

  • ヒノキの木の皮

    ヒノキの木の皮

  • 草木染めの素材

    草木染めの素材

卒業後、加納さんは東京の出版社に就職し、出版社退職後に機織の教室を約6年間主宰します。その間に結婚し、長女を出産。しかし、1977年(昭和52年)、実家の酒屋を継ぐため家族で勝山へ戻ることになります。最初は家業(酒屋)が中心で、染織はあくまで趣味だったそうですが、お酒の配達や子育てをしながら、細々と制作を続けたそうです。屋号に入っている「草木染」への出合いもこの頃でした。「勝山は林業が盛んで特にヒノキやスギが有名です。だからこの木の皮で糸を染めてみようと思って…。最初は染めた糸で着物を織り、その後徐々に布も染めるようになりました」と加納さん。地元木材の活性化を図る勝山木材ふれあい会館の依頼で、館内の地域特産品販売コーナーに草木染のハンカチを出品することもあったそう。「勝山は自然がいっぱいなので、草木染の素材には困らないんです。木材だけでなく、ヨモギや梅などいろいろな植物で染めました」。自然豊かな土地柄が、加納さんと草木染を出合わせることとなったのです。

きっかけは一枚の暖簾から

酒屋を営みながら染織を続ける日々の中、加納さんは店先に一枚の草木染めの暖簾をかけました。「当時、23時まで酒屋を営業していたんですが、夜遅い時間にもお酒が売れたらと思って、ひのきの木の皮でお月様の柄を染めた暖簾をかけたんです」と加納さん。間もなく、ご近所から「これいいな。うちにも作ってほしい」と声がかかります。酒屋と同じ並びの家から春夏秋冬の4枚の暖簾制作依頼があり、それらの暖簾がさらに町内で話題となり、「うちもかけたい」と、次々に声がかかるようになります。同時に、暖簾をかけることで町に良い影響も現れていました。通りを歩く観光客とお店の人々との間に暖簾を通じて会話が生まれ、町に活気が現れはじめていたのです。そのことに気づいた住民たちによって、徐々に「町に暖簾を」という機運が高まっていきました。その結果、平成8年(1996年)住民有志による「かつやま町並み保存事業を応援する会」が発足。住民の手で町に暖簾をかける取組がスタートし、制作費の半分を行政が負担することに決まりました。初年度は16軒分の暖簾が制作され、家々に色鮮やかな暖簾がひらめく「のれんの町」が誕生。ここから加納さんの本格的な暖簾制作がスタートすることになります。

暖簾をかける人の思いを代弁し、表現する

加納さんの暖簾制作の基本は「かける人の思いを代弁し、表現すること」。そのため、制作前に必ず、色、デザイン、どんな風にしたいかなど希望をじっくりヒアリングする時間を設けます。「おまかせしますという方もいますが、できるだけお話しを聞いて、その方の気持ちが表れたのれんにしたいんです」と加納さん。暖簾は市の助成金を使って制作されるため、年間20枚を上限としており、制作のチャンスは各家々で3年に一度。暖簾の更新を楽しみにしている住民が多く、雑誌の切り抜きを持ってきたり、お手製のイメージイラストを持参したりと、詳細な要望があがってくるのだそう。「私の発想だけだと限界があるのですが、皆さんそれぞれ想いがあるので、ユニークでバラエティあふれる暖簾が完成します」と加納さん。暖簾制作は毎年10月くらいからスタート。ヒアリング→デザイン起こし→確認→制作の順番で進められ、3月の「勝山のお雛まつり」の時に完成品が引き渡されます。「大変な作業ですが、私がこうして染織で仕事できるのは町の人たちおかげなので、感謝の気持ちで制作しています」。平成8年(1996年)からスタートした暖簾制作も令和5年(2023年)で約27年。住民たちの暖簾への変わらぬ想いにより、「のれんの町」は継続しています。

「容子絞り」で作る暖簾と体験講座

  • 手狭なスペースでも染色できる「容子絞り」

    手狭なスペースでも染色できる「容子絞り」

  • 「容子絞り」は独特な輪郭模様が特徴

    「容子絞り」は独特な輪郭模様が特徴

  • ギャラリーでは、のれんや染織の小物などが購入できる

    ギャラリーでは、のれんや染織の小物などが購入できる

工房で作られる暖簾のほとんどは「容子絞り」という独自の絞り染め技法で制作されます。これは、加納さんが酒屋を営みながら染色ができるよう考案したもので、布を糸などで絞ってポリ袋に詰め込み、染色する箇所だけ染液につけることで、手狭なスペースであっても大きな面積を大胆に染め抜くことができます。布を絞ることによって独特の輪郭模様で染まり、立体感を生み出すと共に、一つひとつ異なる深い味わいを醸す点が魅力です。加納さんの工房では、この「容子絞り」で制作された暖簾や小物を販売するほか、全国から寄せられる暖簾のフルオーダーやセミオーダーにもこたえています。また、染め物の魅力を発信しようと「絞り染め体験講座」(要予約)も開催。子どもも体験できる初心者向けの「簡単絞り」のコースと、「容子絞り」が学べるコース(染色中級者向け)などがあり、国内だけでなく海外からのお客様もたくさん訪れているそうです。

勝山の暖簾が県外や海外へ

  • 直島のANDO MUSEUM前で自作の暖簾と共に

    直島のANDO MUSEUM前で自作の暖簾と共に

  • 直島の「のれんプロジェクト」参加者

    直島の「のれんプロジェクト」参加者

  • 展示会(バンクーバー)

    展示会(バンクーバー)

  • ワークショップ参加者(バンクーバー)

    ワークショップ参加者(バンクーバー)

「のれんの町」の評判をきっかけとして、加納さんの暖簾そのものへの注目や評価も高まっていきました。2001年(平成13年)、加納さんは香川県直島町で開催された「直島スタンダート展」で、現代アーティストと並び、暖簾を出品展示。その数年後、島民から「あの時の暖簾をかけたい」という声が上がります。その結果、直島町本村地区で「のれんプロジェクト」が始動。そこから行政の支援も入り、当初は本村地区のみで5~7軒程度だった暖簾は、2023年(令和5年)現在、宮浦地区も加えた70軒以上でかけられ、直島の町並みに溶け込んでいます。また、2008年(平成20年)には、勝山での「のれんの町づくり」の取組が、公益社団法人日本サインデザイン協会(SDA)のSDA賞特別賞を受賞。2012年(平成24年)にはカナダのテキスタイル企業Maiwaからバンクーバーに招聘され、展覧会とワークショップを開催するなど、県内外のみならず海外からも注目を集めています。

住民の想いを伝える暖簾

現在、勝山町並み保存地区では約800メートルの通りに、商家・民家をあわせて100枚以上の暖簾がかけられています。色とりどりの暖簾は何気なくかけられているように見えて、実は色や図案が重ならないよう加納さんがデザインの時点で調整しており、一つひとつの暖簾がバランスよく自然と町並みになじんでいます。また、加納さんは暖簾の制作において実用性や使い勝手についても重視。そのため、化学染料も積極的に取り入れます。「最初はやっぱり草木染の暖簾にしたいという方が多いのですが、草木染は紫外線に非常に弱く、屋外にかける暖簾にはおすすめできないんです。本当の意味で使ってくれる人の役に立つものを提案していきたいですね」と語ってくれました。職人の仕事に徹した実用的で真摯なものづくりと高いデザイン性を兼ね備えた美しい暖簾。その魅力に町の人たちが共感し、生まれた「のれんの町」。「自分が制作できる間は、できる限り思いを布に伝えていきたいんです」と今後の活動にも意欲的です。今日も勝山の町並みでは、暖簾が静かに揺れながら家々の想いを伝えています。