金子晴彦(かねこはるひこ)さん

江戸時代、山陽道の宿場町として栄え、現在も当時の古い町並みが残る矢掛町は平成 24 年(2012 年)から再生事業に着手。さらに平成 27 年(2015 年)を「観光元年」と定めて観光地域づくりに注力し、観光交流施設設置、宿泊施設誘致、町並み景観整備、重要伝統的建造物群保存地区選定、商店街の無電柱化、道の駅設置と様々な施策を打ち出してきました。その中で、金子晴彦さんは平成 31 年(2019 年)4 月に設立された(一財)矢掛町観光交流推進機構(以下:やかげ DMO)の初代理事長に就任。設立から約 2 年で組織の基礎を築き、令和 5 年(2023年)4 月に退任するまで、町や観光関係団体と連携しながら矢掛町の魅力発信と観光振興に尽力しました。

矢掛町について

  • 旧矢掛本陣石井家住宅

    旧矢掛本陣石井家住宅

  • 旧矢掛脇本陣髙草家住宅

    旧矢掛脇本陣髙草家住宅

矢掛町は岡山県の南西部に位置する、人口約 13,000 人の小さな町です。江戸時代には旧山陽道で 18 番目の宿場「矢掛宿」が設置され、大名行列の通る宿場町として栄えました。かの天璋院篤姫や大名らが宿泊した『旧矢掛本陣石井家住宅』とその従者らが宿泊した『旧矢掛脇本陣髙草家住宅』が今もその姿をとどめ、本陣と脇本陣の両方が重要文化財として残っているのは全国でも同町のみです。また、平成 24 年(2012 年)からの再生事業で空き家や古民家を改修し、地域の観光交流拠点や宿泊施設として整備。この取組が地域一帯をホテルに見立てるイタリア発祥の持続可能な街づくり「アルベルゴ・ディフーゾ」と評価され、平成 30 年(2018 年)世界初の「アルベルゴ・ディフーゾ・タウン」に認定。先進事例として県内外から注目されており、全国各地から視察の依頼が絶えません。

航空会社退職後、矢掛町へ移住

  • 妻入り五軒並び(右)と矢掛の町並み

    妻入り五軒並び(右)と矢掛の町並み

山形県生まれの東京育ち。航空会社に約36年勤務し、香港や北京など約14年間の海外勤務経験を持つ金子さん。現役引退後の平成25 年(2013 年)、義母の介護をきっかけに奥様の故郷である矢掛町へ移住します。「以前からお正月に帰省していたので、町並みや自然 の多さに魅力を感じていました。私が幼少期を過ごした世田谷の風景ともよく似ているんです」。移住後は町内の観光ボランティアガイドや町づくり団体などに参加し、景観整備をはじめ観光コンテンツ作りなどに尽力。特に海外勤務経験をもとに造成したインバウンド向けのツアーや受入体制づくりが高く評価され、平成 31 年(2019 年)、地域が一丸となって観光まちづくりに取り組む「やかげDMO」の初代理事長に就任しました。

コロナ禍にいち早くマイクロツーリズムを推進

  • 矢掛屋 本館

    矢掛屋 本館

金子さんが理事長に就任して約半年あまり、大きな危機が訪れます。令和 2 年(2020 年)コロナウイルスが猛威をふるい、町から観光客の姿が消えたのです。計画していた観光事業プランはすべて中止になり、平成 27 年(2015 年)に開業し、これからという段階にあ った古民家ホテル「矢掛屋」は窮地に立たされました。この現状を受け、やかげDMO は 観光事業者への助成金を活用した宿泊モニターキャンペーンを展開。開始当初は町民限定で募集し、徐々に町外へと対象範囲を広げていきました。さらに宿泊と共に周辺施設を周遊できるツアーも実施。「おかげ様で大きな話題となり、矢掛町の名前をたくさんの方に知っていただくきっかけになりました」と金子さん。当時あまり知られていなかったマイクロツーリズム(近場観光)をいち早く取り入れた結果、約 2~3 年で数千人の利用者があったそうです。 

矢掛の歴史が感じられる観光案内施設を整備

コロナ禍の期間、町内には明るいニュースもありました。令和 2 年(2020 年)江戸時代に 宿場町として賑わった矢掛宿のエリア一帯が、重要伝統的建造物群保存地区に選定。令和 3 年(2021 年)3 月には無電柱化が完了し、町の玄関口としての機能をもつ道の駅「山陽道やかげ宿」が完成しました。同じタイミングでやかげDMOが指定管理を行う「矢掛ビジターセンター問屋(といや)」もメイン通りにオープン。明治時代の古民家を再生したこの施設は、観光客に町の見どころや飲食店の情報を提供するほか、観光ガイドの受付も行っています。金子さんは、矢掛町での滞在をより楽しんでもらえるよう町の歴史をまとめたタペストリーを館内に展示。散策前に必ず立ち寄りたい施設となっています。

やかげ DMO 退任後は「とと道」を研究

自治体や地域と連携しながら観光コンテンツの整備や矢掛ブランドの構築などを担うやかげ DMO。その地道な取組により、矢掛本陣周辺の観光客数は令和4年(2022 年)55 万人を達成。DMO 設立当初の観光客数 33 万人を大きく上回る結果となっています。金子さんに、在任中の4年間を振り返っていただきました。「就任早々コロナ禍に突入し大変でしたが、それを上回る魅力や楽しさがこの町にはありました。矢掛は古い町並みを維持しながら、新しいものがうまく融合している。その絶妙なバランスを実際に現地で体感いただきたい」。現在、金子さんは平成 28 年(2016 年)より研究してきた「とと道」のウォーキング事業に携わっています。「とと道」とは、かつて瀬戸内海に面した笠岡の漁港から内陸の備中エリア各地に向けて新鮮な魚を運んだ道のこと。「矢掛本陣に宿泊する大名のお膳に海の魚料理が並んだ記述があり、当時から「とと道」が整備されていたという説もあります。この笠岡から吹屋までの 60 ㎞のとと道をトレイルとして楽しんでいただき今後も観光に寄与できたら」と金子さん。今後、矢掛の観光にその活動が生かされる日も近そうです。