江戸後期に製塩業で財を成した野﨑武左衛門が天保4年(1833)頃から建築した屋敷。約3000坪の敷地には、枯山水の庭園、約42mの奥行きがある主屋、表書院、土蔵、茶室、水琴窟があり,国指定重要文化財。 これらの…
江戸後期に製塩業で財を成した野﨑武左衛門が天保4年(1833)頃から建築した屋敷。約3000坪の敷地には、枯山水の庭園、約42mの奥行きがある主屋、表書院、土蔵、茶室、水琴窟があり,国指定重要文化財。 これらの…
風にそよぐ柳並木や、白壁となまこ壁が美しいコントラストを見せて倉敷川に影をおとし、伝統的な日本建築の美しさをよく残しています。 この一帯は、江戸時代には米の積出地として栄えたところで、土蔵などから往時をしのぶこ…
八塔寺山へのつづらおりの坂道をぐんぐん登ると突然視界が開け、山頂部にかやぶきの農家が点在するのどかな風景が広がります。標高400mの高原に開ける「八塔寺の村」。かつて高野山に並ぶほど仏教が栄えた場所です。ふるさ…
江戸時代初期、津山藩の2代目藩主森長継の頃に作庭された廻遊式大名庭園。 岡山後楽園よりも50年ほど古く、京都から小堀遠州流の技術者を招き、仙洞御所を模して造られたので、島の配置や植え込みなどにも京風の風雅な趣があ…
津山藩・森忠政が12年の歳月をかけて1616年に完成させた平山城。明治6年の廃城でもすべて取り壊されたが、2005年に城内最大規模の櫓で内部は畳敷きの御殿様式の特徴を持つ『備中櫓』を再現させた。 広大な敷地に通路…
白壁の長屋門と土塀に囲まれた家老杉原家旧宅。明治維新後急速に姿を消した武家屋敷ですが、それだけに保存状態の良いこの邸は、武家の生活様式を知る上で貴重な存在で、今日の和風住宅の原型とも言われています。
本殿は比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)。吉備津神社でしか見られない特殊なもので、吉備津造りとも呼ばれています。 本殿と拝殿は1425年に再建されたもので国宝に指定されています。 また、本殿から続く約400m…
旧足守藩主・木下家の庭園で、小堀遠州流と伝えられる池泉回遊式庭園の造りとなっています。池庭は単純な地割がなされ、モミジやサクラ、エノキが池を囲み、池中に鶴島・亀島の二島を巧に配しています。そして、山のふもとから池…
古くから風待ち、潮待ちの港として栄えた牛窓。港町として栄えた江戸時代から昭和30年頃の面影を数多く残す。 三重塔が建つ本蓮寺や明治時代の有力者の邸宅である御茶屋跡、白壁の土蔵、格子戸、旧中國銀行、燈籠堂跡など、…
平成27(2015)年4月24日、旧閑谷学校は、旧弘道館(茨城県水戸市)、足利学校跡(栃木県足利市)、咸宜園跡(大分県日田市)とともに「近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-」として日本遺産に認定されました…
江戸時代、松江藩主松平家の本陣が置かれるなど山陽と山陰を結ぶ出雲街道の重要な宿場町として栄えた地区。町並みの両側には清流豊かな水路が整備されています。また日露戦争の勝利を記念して植えられた桜の木が伝統的な建物と見…
城下町津山の東の玄関口に位置し、旧出雲街道に面している。茶屋、豆腐屋、紺屋、塩屋などの商人や鍛冶屋・大工・左官などの職人の家が並ぶ町人町であった。鈎手状に曲がった道や昔の名前そのままの路地など、城下町らしいたた…
脇本陣・木代邸は出雲往来の宿場として栄えた新庄宿で脇本陣をつとめた家です。 屋号は「向馬場屋」と称し、江戸時代の終わり頃に建てられた幕末を代表する建物で、三列六間取りの大規模家屋です。 入口の柱には馬つなぎの環が…
概要 江戸時代の岡山藩と鴨方支藩を結ぶ官道「旧鴨方往来」沿いに、 2棟の町家や倉、井戸などを修復し、伝統植物園や芝生広場などを あわせもつ歴史的景観を残す憩いの公園。公園の中核となる町家「旧高戸家住宅」は、大和…
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