観光スポット
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宝暦年間(1751~1764年)に安国寺と改名され、鐘楼を改築しました。梵鐘には永和3年(1377年)と刻銘されていることから美作地方では最古の物と言われています。
氷ノ山・後山・那岐山国定公園の一面にある深山渓谷は、県下有数の渓谷として知られ、四季を通じて自然を満喫できます。

尼子氏に従って美作に入った草苅氏が天文2(1533)年に築城。城郭の範囲は、東西1.6km、南北0.5kmで、県内最大級の規模。天正12(1584)年に草苅氏が退城するまで約50年間一度も落城しなかったという。石垣、土塁、堀切等の遺構が確認される。

標高990mの山頂からは、360度のパノラマが楽しめます。晴れた日には、津山市から遠く瀬戸内金甲山も望むことが出来ます。

弥生時代中期の住居が復元された大小5つの住居跡や作業所跡などがあります。隣接する弥生の里文化センターと合わせ見学ができます。

大正12年、作備線(現在の姫新線)に建てられました。プラットホームや階段は大正時代の面影を残しています。

美作中心部の丘陵上に存在する。日上天王山古墳は、全長56.9mの美作最古の前方後円墳の一つで、竪穴式石槨、葺石、二重口縁の壺形土器が確認されている。日上畝山古墳群は大半が5世紀後半から6世紀前半に築造された、円墳・方墳56基が現存する古式群集墳である。
現在の本堂は宝暦7(1757)年に再建したもの。西東三鬼の代表作「水枕 がばりと寒い 海がある」の句碑墓があります。
明治以前の勝北地域における生活様式や地域文化について、民具・農耕具・古文書などの展示品により紹介しています。

慶長19(1614)年、大金持ちの蔵合氏の願いで建てられた寺で、本堂は当時のもので、本尊の不動明王は鎌倉期の作と伝えられています。
つやま自然のふしぎ館に併設されている施設で、江戸から明治にかけて津山商人文化に関する資料、及び森・松平藩に関する資料が多数展示されています。これらの商家の関連資料、歴代藩主からの拝領品及び創設者森本慶三の足跡を示すもの等約700点を森本慶三記念館の二…
江戸時代初期の慶長9年(1604)に初代津山藩主森忠政の津山城築城に際して城南の覗山(のぞきやま)に移り、さらに慶長13年に現在地へ移築された。現在の本殿は、寛永12年(1635)に2代目藩主の森長継が再建したもの。
万燈山古墳出土品をはじめとする郷土の文化遺産や、人々の生活の歴史に関する資料を収集展示しています。

堆積層泥岩で出来た三面からなる岩壁の正面奥の黒い屏風状の岩の上から、白糸を引くように落ちています。

昭和52年墓地造成工事中に発見され、53年に岡山県教育委員会が発掘調査をしました。5世紀初頭頃の前方後方墳で全長35m、前方部と後方部にそれぞれ箱式石棺を持ち、そのどちらにも2体の被葬者がほとんど完全な形でうちちがいに葬られており、後方部からは径12cmのほう…


文化11(1814)年に建てられたもので、社殿・唐門・総門の3棟が現存しています。本殿と拝殿とを会いの間でつなぐ権現造で、屋根は共に入母屋造です。


石山は慶長8(1603)年、森忠政の津山城築城にあたり最初に石を切り出したところです。この寺は、石材の切り出し中死んだ人を弔ったり、工事の安全を願って建てられたと言われています。寺の周囲には石切場跡があり、今だ岩肌にはノミの痕が残っています。

津山市内には、加茂町・勝北・久米の3館の歴史民俗資料館があり、各地域ごとの歴史や文化について展示・紹介しています。

標高340mの山頂に築かれた山城で、北東を大手、南を搦手とし、南北に細長い曲輪を連ねています。東西12m、南北20mの平坦部の西側と北側に石垣が築かれています。

岡山県のほぼ中央、豊かな緑に恵まれた丘陸地に悠然と横たわる、久米カントリークラブ。豪快さと繊細さを兼ね備えたこの18ホールでは、1982年と1985年に三菱ギャラントーナメントが開催され、世界のトッププロによる熱い戦いが繰り広げられました。
