観光スポット
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中世(西暦1000年頃~1600年頃)から式内八社のことと、その時の時代背景が想像できるようにガイドしていきたいと思っています。


文久3年(1863)に1万石に加増され、旗本から大名となり、陣屋を新たに築きました。しかし、慶応2年(1866)の倉敷浅尾騒動により襲撃を受け、焼失。
備中国風土記逸文『宮瀬川』(みやせがわ)によると、賀陽郡に『伊勢御神社』(いせのみかみのやしろ)の東に河があり、河の西に『吉備建日子命宮』(きびたけひこのみことのみや)があるので、この河を『宮瀬川』と称した、とある。この『伊勢御神社』を、神明神社(…
津山市街地の西方の丘陵上に並んだ数基の古墳群を呼ぶ。最高所には全長約80mの前方後円墳の胴塚、南に下がって直径約40mの蛇塚と同規模の耳塚の円墳が続いている。古墳時代中期のもの。

奈良時代に右大臣として中央政界で活躍した吉備真備公が、晩年父祖の地に帰り、中秋の名月の夜に、小田川に望むこの岩の上で琴を弾かれたと伝えられているところから琴弾岩と呼ばれている。昭和24年以来、毎年中秋の名月の夜にこの岩に集い、真備公の故事にちなんで弾…
岡山藩主の池田光政が領内の神社11,003社を601社にまとめ、正徳2年(1712)次の藩主である綱政がこのうち5社だけを残して、596社をここに移して合祀した宮跡です。
珍しい壇上積基壇の遺構も出土
白鳳時代の創建と推定される備前地域では最古の寺院跡。地方寺院には珍しい壇上積基壇の遺構も出土しています。近くには備前国庁跡や唐人塚古墳などもあります。

約48mの前方後方墳で、かつて三角縁神獣鏡11面を含む合計13面の中国鏡が掘り出されています。また、のちの発掘調査によって銅鏡以外の副葬品や葬送儀礼に用いた壺形土器なども明らかになっています。葺石の遺存状態がよく、今も段築成があることや撥形を呈する前方部…
傾斜度約30度の急流200mほどの間に、幅2m・高さ3~5mの滝が6ヵ所あり、それぞれ淵を作っています。最後はやや幅広くなった斜瀑が、高さ10mほどの岩盤を二段になって流下しています。
室町時代の初期、信州戸隠神社から勧請した神社。古くは大鶴神社と称していました。祭神は天手力男之命と須佐之男命。5月中旬に行われるお田植祭、11月上旬の秋季大祭、12月上旬の霜月祭などのお祭りや初詣などのときには多くの参詣者でにぎわいます。神社全体が真庭…

明治29年の葉煙草専売法の公布に伴い、加茂葉たばこ取扱所として設置(明治30年頃)されたものを、旧加茂川町が平成6年から資料館として保存・活用し、現在に至っています。収蔵品は地元の人々から寄附された古くからの生活用具、農具、祭礼具等で、600種類約1,000点…

推定樹齢100年以上のシャクナゲの自生地
推定樹齢100年以上の県下でも稀な石楠花の自生地です。

落差約10m、滝壷は広くて深く神秘的な滝で、渓流沿いの参道では四季折々の風景が楽しめます。水の少ない時期には滝が二条になって流れ落ちることから「夫婦滝」とも呼ばれ、夫婦円満、縁結びのスポットとして多くの人が訪れています。夏は避暑地として親しまれていま…

出雲街道勝間田宿場には諸藩の参勤交代に当って、津山藩主が専用としていた下山本陣と松江・勝山の藩主などが宿泊した木村本陣(出雲本陣)がありました。現在は下山本陣の一部が残っていたものを改修保存し、開放しています。

吉井川の中流域に位置し、黄色い看板が目印
新鮮でおいしい、安全な野菜を安く販売しています。地場物で、安全な材料での加工食品を販売しています。
5世紀ごろ築造の全長140mの大型前方後円墳。浦間茶臼山古墳と並ぶ初期の大型古墳の代表的なものです。

趣ある町家に個性溢れる店舗が集う
築約100年の町家を再生活用した個性溢れる複合商業施設です。自家焙煎の珈琲専門店や隠れ家的なショットバーがあり、中庭や多目的スペースでは地域連携イベントが開催されています。

児島観光をもっと楽しく快適に!世界初デニムをコンセプトにしたツーリストラウンジ
児島ジーンズストリート内に店舗を構える時間制休憩所。ゆっくりくつろげるフリーアドレスなスペースと、和室の個室があります。ジーンズ関連書籍の閲覧や児島の案内、インターネット、ソフトドリンク等の利用が可能。授乳・オムツ替えスペースも設置。ワークショップ…

キャンパスのシンボルとなっているアスリートホール"TOPGUN"をはじめ、学舎"PHILOSOPHIA"やカフェテラス"HARMONY"など安藤氏が設計した建築物が複数あります。建築家/完成年:安藤忠雄/2009年~見学・撮影について:外観のみ見学可能

い草の歴史を学ぶ資料館
宇喜多堤築堤にはじまる新田開発によって拓かれた大地に人々は、い草を植え、畳表を織りました。歴史民俗資料館では早島の伝統産業であるい草とい製品に関する資料や織機などを見ながら、その歴史を学ぶことができます。

備中松山藩儒・山田方谷(1805~1877)の功績・遺徳を末永く顕彰するため、時の上房郡教育会の拠出金により造られた小公園。明治43年(1910)5月に完成しました。山田方谷は、幕末の藩政改革などに貢献した陽明学者。園内には、三島中州撰文の方谷園記念碑、方谷山田…

現在の本堂は宝暦7(1757)年に再建したもの。西東三鬼の代表作「水枕 がばりと寒い 海がある」の句碑墓があります。
明治時代に数多くの詩を発表し、大正時代以降は随筆の分野で多数の読者を魅了した薄田泣菫の家には、彼の詩集のほか、交友のあった芥川龍之介や与謝野晶子などの文人からの資料も展示されています。

治承・寿永の乱の際、平氏が源氏に勝利した「水島の合戦」の記念碑。水玉ブリッジライン源平大橋(玉島大橋)西側に建てられています。

戦国時代にはこの城を中心に、松田氏・宇喜多氏・毛利氏などによって激烈な争奪戦が繰り広げられた。遺構は、山頂の本丸、二の丸、三の丸の主要な郭をはじめ、石垣、堀切等が確認されている。
東アジア情勢が緊迫した7世紀頃に築造されたと推定されています。発掘調査の結果、土塁線や一の木戸等の水門、石塁構造が確認されています。

現在の社殿は1888年の改築で、境内にある奥御前神社は「狼様(おおかみさま)」と呼ばれ、盗難悪疫除けの神として広く民間の信仰を集めています。

氷ノ山・後山・那岐山国定公園の一面にある深山渓谷は、県下有数の渓谷として知られ、四季を通じて自然を満喫できます。