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弥生時代中期の住居が復元された大小5つの住居跡や作業所跡などがあります。隣接する弥生の里文化センターと合わせ見学ができます。

江戸中期に建築された(およそ300年前の)三間取り広間型の農家を移築したもので国の重要文化財に指定されています。

横穴式石室を持つ3基の後期古墳と奈良時代の火葬墓からなる墳墓群で、日本の葬制、墓制を知るうえで貴重な遺構です。

風格漂う島の有力者の邸宅と樹齢約250年の巨木
平安時代の末期から真鍋島の有力者として栄えてきた真鍋家の旧邸宅です。明治初期に建てられた木造家屋の主屋は国の登録文化財に指定されており、書院造りの座敷を有します。軒先には岡山県内では珍しい樹木「ホルトノキ」があり、樹齢約250年。ホルトノキは熱帯~亜…

吉井川近くの台地上に所在する古代寺院。主要伽藍が判明し、遺構の残存状況は良好である。出土した瓦から中央との強い関係が想定され、古代美作国の政治情勢を示す上でも重要である。
津山市街の北西にある神楽尾城跡は、山頂の本丸から東側に平屋城、南東に津山城、南西に嵯峨山城が望めます。

昭和52年墓地造成工事中に発見され、53年に岡山県教育委員会が発掘調査をしました。5世紀初頭頃の前方後方墳で全長35m、前方部と後方部にそれぞれ箱式石棺を持ち、そのどちらにも2体の被葬者がほとんど完全な形でうちちがいに葬られており、後方部からは径12cmのほう…

白鳳時代創建の寺院跡。主要伽藍は、塔を中心に東側に金堂、西側に講堂を配した独特のもので、元禄4(1691)年に編さんされた美作地域の地誌「作陽誌」にも記載されている。

東アジア情勢が緊迫した7世紀頃に築造されたと推定されています。発掘調査の結果、土塁線や一の木戸等の水門、石塁構造が確認されています。
備中成羽藩成立時に入封した山崎家治の次男で、讃岐国丸亀から旗本として戻った山崎豊治が、菩提寺として建立した桂厳寺境内には、豊治以降の歴代領主の墓石や供養塔が整然と並ぶ。また、本堂には御霊屋も併設されるなど,近世大名墓の形態を示す貴重な史跡である。
閑谷学校創建時の瓦を焼くために設けられた窯跡です。窯は全長約9mほどの小窯2基と考えられています。のちにはこの窯を利用して祭器、茶器、細工物などの閑谷焼を焼いていました。現在は一部が宅地となっており、僅かに残る窯の側壁などに往時の面影を見出すことがで…
飛鳥時代に創建された寺院跡で、塔の心礎は往時の位置に現存しています。出土した軒丸瓦は2種類が確認されていて、第1類は県内最古の飛鳥様式で、第2類は吉備式と呼ばれるものです。
中和村との境界に近い山中にある江戸末期から明治20年代にかけて稼動した製鉄遺構。山内にはタタラ跡や作業小屋跡など一連の遺構がよく残っています。

土蔵造二階建で、壁の大部分は海鼠壁として特徴ある外見を見せています。土蔵は、勝間田宿旧脇本陣の建造物として残された唯一の遺構で、参勤交代の要衝でもあった宿場町の景観を今に伝える建造物として貴重なものです。

箸立天満宮境内にある御神木「伊吹ヒバ」は、推定樹齢800年から1,000年といわれ、858年(天安2年)に菅原道真が、長岡庄を経て高田庄へ旅する途中立ち寄った際に、昼食に使った箸を立てたものが育ったと伝えられています。合格祈願の天神様として知られ、受験シーズン…

美作中心部の丘陵上に存在する。日上天王山古墳は、全長56.9mの美作最古の前方後円墳の一つで、竪穴式石槨、葺石、二重口縁の壺形土器が確認されている。日上畝山古墳群は大半が5世紀後半から6世紀前半に築造された、円墳・方墳56基が現存する古式群集墳である。
長径2m、短径1.5mの花崗岩自然石の上面に直径70cm、深さ17cmの円柱穴を掘り、さらにその中底に径16cmの小穴を備えた、奈良時代の層塔の心礎を残しています。
阪谷朗廬が青少年の人材育成のために開いた漢学塾跡
嘉永4年(1851年)に漢学者の阪谷朗廬が開いた「桜渓塾」を当時のまま保存整備している史跡公園です。「朗廬阪谷先生垂帷跡」の記念碑に刻まれた題字は、渋沢栄一が書いた文字。裏側に彫られた碑文の書も栄一によるものです。

元禄年間、岡山藩の重臣・津田永忠のもと、田原用水を西に延長するために架けられた水路橋。現在は、小野田川から記念公園に復元移転されています。
白鳳時代に創建された寺院跡で、賀陽氏の氏寺であったと考えられています。発掘調査によって、塔などの伽藍配置の一部は明らかにまりましたが、全容は未解明です。
4世紀後半ごろの築造。標高180mの丘陵部先端に位置する全長59.1m前方後円墳です。古墳時代の美作西部地域における重要な古墳です。
1851年母の看護の為に帰郷した学者阪谷朗廬(ろうろ)が若者の育成を目指して開いた漢学塾の跡地。現在では、記念碑があります。
一の口水門は、水門の構造などに当時の遺構が良好に残されており、17世紀後半~20世紀初めまで続いた高瀬舟による物資輸送の事を考えるうえで重要な史跡です。

町指定の天然記念物で、推定樹齢400年とされています。一本杉の根元には、道行人々の安全を願う『道祖神』が祭られています。
縄文から弥生時代の遺跡。特に縄文晩期にトチ、ドングリなどの食糧を貯蔵していた穴が残されており、当時の生活を知る貴重な遺跡として知られています。
1441年、芳井町天神山に建立された重玄寺は、度重なる火災により全焼し、昭和49年に現在の場所へ移築されました。一説には画聖・雪舟が没した場所であるとも言われており、今は墓所と土蔵を残すだけとなった重玄寺跡地ですが、重玄寺跡と雪舟終焉の地を示す石碑、また…