観光スポット
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津山の玄関口の新たなシンボル
1976年から津山市立南小学校敷地に設置しているSL「C11-80号」を、津山の玄関口の新たなシンボルとして2017年に津山駅北口広場に移設されました。

江戸時代に建てられた大庄屋の屋敷で、母屋と2つの離れ座敷のほか、民俗資料展示室、蔵が残る学術的にも貴重な伝統建築です。歴史再発見の場として、また伝承、伝統、さらに新しい知的生産や学習・交流の場として利用できるよう整備されています。週末は「茶房 河原邸…

吉備津彦命の伝説にまつわる場所です。
吉備平定のため派遣された吉備津彦命の射た矢と鬼ノ城にいた鬼神の温羅(うら)が投げた岩がぶつかり、ともに喰らい合い落ちたといわれる伝承がある社。温羅と呼ばれた鬼と吉備津彦命が戦った際に、温羅が投げた岩が吉備津彦命が射た矢とぶつかり、落ちた場所という言…

幕末(19世紀初めごろ)の洋学者である箕作阮甫の生誕地。阮甫は21歳で津山藩医となり、後に江戸に出て洋学を学んだ。カラフト問題でロシアと交渉した時の日記「西征紀行」はよく知られている。

旧熊本藩主細川護成候伯爵の染筆により「宮本武蔵生誕地」と刻まれています。
武蔵終焉の地・熊本県の宮本武蔵顕彰会が当地を訪れ、武蔵生誕の地であると確証し、それを記念して建立されました。碑の正面には旧熊本藩主細川護成候伯爵の染筆により「宮本武蔵生誕地」と刻まれています。

雪舟像や国宝指定作品6点の陶板画などを展示
雪舟像や国宝指定作品6点の陶板画などを展示。雪舟について見て学べるほか、憩いの広場も利用できます。多目的広場ゾーンでは、桜やモミジを植樹しており、自然の中でゆったりとした時間を過ごせます。展示交流施設では、雪舟の生涯や功績などを紹介しています。時期…

標高約100メートルの丘陵上に築かれた連郭式山城です。山頂を本丸として、いくつかの出曲輪で構成する南北約300メートルの縄張りとなっています。本丸跡西側石垣の一部に古い時代のものが残っています。『備前軍記』などによると戦国時代に宇喜多氏の居城となっており…

国の重要文化財に指定された倉敷町屋の代表的な建築物
江戸時代に新田開発などで大きな財を成した大橋家が、1796(寛政8)年に建てた建物です。倉敷の代表的な町家のひとつに数えられ、長屋門や倉敷窓・倉敷格子などを備えた往時の商家の姿を現在に残す重厚な建築物です。

片目を射られた温羅の目から噴き出す血で真っ赤に染まったと言われる川
吉備津彦命が放った2本の矢のうち1本が温羅の左目に命中し、温羅の目から噴き出す血で清流が真っ赤に染まったと言われています。

日本の歴史公園100選
江戸時代の岡山藩と鴨方支藩を結ぶ街道「旧鴨方往来」沿いに、 町家2棟、倉3棟を忠実に修復した江戸時代の歴史的建築物と伝統植物園を合わせもつ公園で、岡山県内で最も古い築後300年以上の町家(県重要文化財)が残っています。

上まで登れば、西大寺の街や川が一望できます。
吉井川河口部東岸、岡山市東区乙子にある城跡。かつて児島は瀬戸内海に浮かぶ島であり、児島と岡山平野の間は吉備穴海といわれる内海で、九州と畿内を結ぶパイプとして源平の争乱の舞台にもなる重要な航路でした。乙子城はこの内海の東の入り口を押さえる拠点でした。…

国の登録有形文化財
大正4年に牛窓銀行本店として建てられ、後に中國銀行牛窓支店として昭和55年まで使われていました。現在は、国の登録文化財に指定され、しおまち唐琴通りを散策する人を癒し、通りの文化を紹介する施設です。※道が狭く、施設には駐車場が無いため、牛窓港周辺の駐車…

ベンガラの町の人の住まう活きた文化財
西江家は江戸時代、幕領における惣代庄屋で、代官御用所を兼ねた館である。自主的行政機構として吹屋地区の「民の暮らし」を統括。郷蔵・駅馬舎・手習い場・お白洲・役宅などが現在もそのまま保存されている。また、六代目西江兵右衛門が紅柄産業に着手、成功し、吹屋…

地下に眠る遺跡と県出身アスリートの資料館
岡山県総合グラウンドの地下には、縄文時代から近代にかけての複合遺跡である津島遺跡が眠っています。昭和46年に一部が国指定史跡に指定されました。さらにその後の発掘調査の結果を受けて、平成14年に史跡の範囲が拡大され、現在に至っています。発掘調査で出土した…

1759年の創業以来200年余に渡って弁柄(ベンガラ)の製造・販売を手がけてきた。現在でも弁柄が栄えた江戸時代末から明治時代の屋敷構えを残しており、吹屋の町並景観で欠くことのできない存在となっている。

備中のこうもり塚古墳(総社市)・箭田大塚古墳(倉敷市)と並ぶ、岡山県における三大巨石墳のひとつです。石室の奥壁の幅は2.7m、玄室の長さ5.8m、高さは2.6m。内部には貝殻凝灰岩製の家形石棺があります。

観応元年(1350)に足利尊氏がこの城を、子・直冬の離反を鎮圧するため西下の途中、40日余り本陣にしたといわれています。

江戸後期まで南.北.西.の三大窯で多量生産していた備前焼も、藩の保護の減少や燃料の関係で大窯の融通窯として規模を縮小した三基の小窯が造られ古備前の壷、茶器、花器、角徳利など小形の品が生産された。天保窯は、そのうちの一つ。備前市指定文化財:昭和16年10…

弥生時代初めの頃の集落、水田が全国で初めて見つかった遺跡
現在の岡山県総合グラウンド一帯に広がる縄文時代晩期から弥生・古墳時代にかけての大規模な遺跡。昭和43年の発掘調査で、全国ではじめて弥生時代前期の集落と水田が一緒に確認されたことで大きな注目を集め、国指定史跡となりました。発掘調査に基づき復元された「津…


約165mの前方後円墳
約165mの前方後円墳で、操山丘陵の中央にあり上道平野を見渡すことができる絶好の位置にあります。1953年に発掘調査され、二つの竪穴式石槨が確認されました。どちらも石列と埴輪列による方形区画がめぐらされていて、出土品から4世紀末5世紀初頭の築造と考えられてい…
中国西安市に吉備真備公の記念碑が建立されたのを記念して造られた、古代中国風の公園です。中国にいるような雰囲気を楽しみながら散策ができます。園内の「たけのこ茶屋」では食事やお茶を楽しめるほか、地元農産物、工芸品の販売なども行われています。

1931年9月12日開業の、現在も開業当時の木造駅舎がそのまま使われています。また、以前はラッセル車の向きを変えるために使用されていた転車台があります。これは、使用されなくなり土中に埋まっていたのを、鉄道ファンの協力により掘り起こされたものです。

白壁と張瓦のコントラストが見事な歴史的建造物
本陣の予備にあてられた建物です。当時、宿場の両替商で庄屋役でもあった髙草家が選ばれました。特に白壁、張瓦の堅固な建築様式が美しいのが特徴です。本陣から400mの場所にあり、本陣と共に国の重要文化財に指定されています。

200年の歴史をもつ上級武士の屋敷
この武家屋敷は昔のままの姿を残している唯一の上級武士の家屋で(別名渡辺邸ともいう)、渡辺氏は家老格の名門で百六十石でした。老朽化のため昭和61年に修復した際に土蔵を展示館とし、武家に関する資料を展示しています。

約2,000年前の古代ハス「大賀ハス」を咲かせた大賀一郎氏の出身地。庭瀬城址内濠の7つの升に植えられています。

岡山県で最も古い教会堂
明治22年(1889)に建築された現在県下では最古の教会堂で、キリスト教伝導の跡をたどることが出来るだけでなく、明治洋風建築としても貴重なものです。

「太平記」に記された「福山合戦」の地として有名。この城を中心に、新田義貞の武将・大井田氏経の軍と東上する足利直義(足利尊氏の弟)の大軍との間に激しい攻防が行われ、その戦いは三日三晩続いたといわれています。

江戸時代、酒造業で成功した大地主の生活を伝える大型民家
江戸時代、酒造業で成功した大地主の生活を伝える大型民家で、主屋は宝暦10年(1760年)、蔵座敷は享和元年(1801年)に建築されました。主屋は二階建で、屋根は東西棟の茅葺き入母屋屋根2棟を平行に配置し、その間を直角方向の棟で繋いでいます。蔵座敷は切妻造り本瓦…

鎌倉時代に奈良東大寺大仏殿を再建した際、その瓦を焼いた窯跡の一つです。大寺山と称する丘陵の南端の畑の上の切り立った崖の斜面に窯跡が現れています。
吉備津神社の北200mの「福田海」という寺院の奥にあります。食肉となった牛の鼻ぐりを集めて供養しています。
美作守護職の館跡。元弘2年(1332年)後醍醐天皇が隠岐へ配流された際、児島高徳が天皇を慕って桜の幹に十字の詩を記したという伝承の地として有名です。

遠藤山の頂上にある山城で、本丸の石垣がよく保存されている。幾度か城主がかわって、最後は宇喜多氏の家臣である遠藤河内が城主を務めたが、関ヶ原の役後に廃城となった。

城の北部分にある登り土塁などは戦国時代末期に見られる技法の一つです。16世紀末まで存在しました。三星城跡のある「三星山」には、毎年8月と12月中旬~1月中旬まで「天」という文字を点灯しています。
武蔵の父・無二斎が仕えていた古城跡
竹山城は「太平記」にも登場する中世後期の山城です。宮本武蔵の祖父と父はこの城の家老であり、剣道師範役として仕えました。城跡は展望台となっており、武蔵の里を一望できます。

武蔵の姉・おぎんの嫁ぎ先
鎌坂峠へと続く旧街道の途中に立つ、宮本武蔵の姉・おぎんの嫁ぎ先と伝えられている旧家です。1600年、当時16歳の武蔵は、武者修行に出立する際に平尾家に立ち寄り、家の道具、証文、家系図、十手、素槍などを姉夫婦に渡したとされています。その後は、おぎんの二男・…

4世紀後半の円墳。東西45m、南北54m。南東側に方形の造出が付属しています。墳丘は2段で3重に埴輪列がめぐっています。全長4m、幅1.5mの竪穴式石室が築かれ、蓋に特殊な彫刻文様を配した刳抜式の石棺が収められ、30数面の青銅鏡のほか多数の優れた副葬品も出土しまし…
校門の扁額は「日本資本主義の父」渋沢栄一が揮毫
嘉永6年(1853年)開校の、一橋徳川家と地元有力者が運営した郷校です。漢学者の阪谷朗廬が初代館長を務めました。校門に掲げられた「興譲館」の扁額は、阪谷朗廬と親交のあった渋沢栄一が明治45年(1912年)に揮毫したものです。

矢筈城(高山城)は、加茂町山下から知和にまたがる標高756mの矢筈山に、美作国と因幡国に勢力を有した草苅衡継(ひらつぐ)が、天文元(1532)年から翌年にかけて築いた山城で、東西1600m・南北500mの壮大な規模を誇る岡山県内で最大級の中世山城です。

大吉備津彦命が温羅との戦いの時に射た矢を置いたとされる岩
吉備津神社内にある、大吉備津彦命が温羅(うら)との戦いの時に射た矢を置いたとされる岩です。吉備津神社には祭神である大吉備津彦命が、鬼ノ城に住む温羅を弓矢で退治したという伝説にちなんだ、矢を放って魔を祓い、国家安泰・五穀豊穣を祈る「矢立神事」がありま…
