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大橋家住宅

国の重要文化財に指定された倉敷町屋の代表的な建築物

江戸時代に新田開発などで大きな財を成した大橋家が、1796(寛政8)年に建てた建物です。倉敷の代表的な町家のひとつに数えられ、長屋門や倉敷窓・倉敷格子などを備えた往時の商家の姿を現在に残す重厚な建築物です。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10396.html
大橋家住宅

井上家住宅

倉敷市本町の国指定重要文化財井上家住宅が10年の長きにわたる保存修理工事を終え、2023年3月19日(日)13時から一般公開を開始。倉敷美観地区内では最古の町屋で、約300年を経ています。「倉敷窓」といわれる窓には、防火用の土塗りの扉をもっており、倉敷市内に現存…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10279.html
井上家住宅

岩屋城跡

美作地域の代表的な中世山城遺構。嘉吉元(1441)年に山名教清が築城したもので、戦国時代の戦火で天正18(1590)年に焼失、以後再建されることはなかった。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10478.html
岩屋城跡

作山古墳

全国で10番目に大きな古墳

備中国分寺から西方約1kmにあり、全長282m、高さ24mの県内では第2位、全国では第10位の大型前方後円墳です。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10795.html
作山古墳

楠戸家住宅

楠戸家住宅は東町にあり、「はしまや」の屋号を持つ明治2年創業の呉服店。現在の店構えは明治中期に整えられたとされていて、主屋二階の漆喰を塗り込めた「虫籠窓(むしこまど)」は特徴的な意匠です。楠戸家住宅は、主屋をはじめ米蔵・炭蔵などが平成8年に登録文化財…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10411.html
楠戸家住宅

旧旭東幼稚園園舎 八角園舎

明治41年(1908)に竣工。設計は岡山県工師江川三郎八。木造平屋建、中央に八角形の遊戯室、その四方に保育室が取り付く梅鉢型平面となっています。幼稚園舎として全国で初めての重文指定を受けました。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10050.html
旧旭東幼稚園園舎 八角園舎

仲﨑邸

国登録有形文化財 

明治から大正にかけて建てられた、築約100年の大地主の邸宅。「商都」の繁栄を彷彿とさせる名建築です。再生されて邸宅や地域の郷土資料などが公開されています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_11191.html
仲﨑邸

横溝正史疎開宅

横溝正史が70年以上前の疎開中に家族とともに暮らした家が、当時のたたずまいのまま保存されています。疎開宅から井原鉄道川辺宿駅までは、小説にまつわる見どころがあちこちに点在する名探偵金田一耕助ミステリー遊歩道が整備されています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10286.html
横溝正史疎開宅

幸山城跡

福山西北に独立した高さ164mの小山山頂部分にあります。東西の郭跡や,堀切・土塁状の遺構が見られます。鎌倉時代の終わり頃、備中の豪族 庄資房が初めて築城したと伝えられますが、室町時代中期に細川氏の守護代石川氏が約150年にわたって居城していたとみられてい…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10785.html

備中杉山城跡

多数の遺構と史跡が残る絶景眺望の山城跡

備中杉山城跡の杉山(別名:要害山、標高:226m)は里山づくり活動によって山頂及び遺構場所まで階段が整備されているので中世の山城跡を散策できます。山頂に主郭(本丸)を構え、南北約350mの連郭式山城で要害山と呼ばれるように尾根を除いて険しい谷が続いています…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_15498.html
備中杉山城跡

作州城東屋敷

作州城東屋敷は出雲街道に面した町家の跡地に建ち、明治8年以降教育の場として長く親しまれていました。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10499.html
作州城東屋敷

角力取山古墳

旧山陽道を挟んで作山古墳の500mほど南にある古墳です。36x38mの規模をもち、吉備の方墳のなかでは最大級にはいります。埴輪などから中期前葉の築造が考えられています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10766.html

旧片山家住宅

1759年の創業以来200年余に渡って弁柄(ベンガラ)の製造・販売を手がけてきた。現在でも弁柄が栄えた江戸時代末から明治時代の屋敷構えを残しており、吹屋の町並景観で欠くことのできない存在となっている。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10843.html
旧片山家住宅

猿掛城跡

築城年代は定かではありませんが、源平合戦で功のあった庄家長がこの地に築城したのではないかといわれています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_11672.html
猿掛城跡

美作国分寺跡

吉井川近くの台地上に所在する古代寺院。主要伽藍が判明し、遺構の残存状況は良好である。出土した瓦から中央との強い関係が想定され、古代美作国の政治情勢を示す上でも重要である。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10575.html

中山茶臼山古墳

吉備中山の山頂付近にある前方後円墳

吉備中山の山頂付近にある約120mの前方後円墳です。都月型円筒埴輪が吉備津神社に伝わるものの、宮内庁の管理下にあるため詳しく観察することができません。大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)と呼ばれています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10089.html
中山茶臼山古墳

備前国分寺跡

貴族の対立や疫病や災害の危機を仏教の力で鎮め護ろうと、天平13(741)年、聖武天皇の発願(ほつがん)により全国に建てられた国分寺のひとつです。発掘調査により、南北約190メートル、東西約175メートルの寺域に、南門・中門・金堂・講堂・僧房が一直線に並び、南…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_11260.html
備前国分寺跡

倉敷物語館

江戸から昭和初期にかけての建造物が残っていた古民家、東大橋家住宅の母屋と4つの土蔵、中庭を全面改修した観光・文化施設で、多目的ホールなどを備えています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10391.html
倉敷物語館

旧柚木家住宅(西爽亭)

備中松山藩主に諸役として仕えた柚木家の旧宅。江戸中期の建築といわれ、藩主お成りの屋敷でもあった風格ある造りや構えには格別の趣が見られます。また幕末に朝敵となった藩の全責任を負い、藩老熊田恰(くまたあたか)が自刃した屋敷でもあります。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10300.html
旧柚木家住宅(西爽亭)

知和駅

開業以来ほとんど手の加えられていない昭和6年当時の古い駅舎で、秘境駅ランキングにも入っている秘境の駅です。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10595.html
知和駅

方谷園

備中松山藩儒・山田方谷(1805~1877)の功績・遺徳を末永く顕彰するため、時の上房郡教育会の拠出金により造られた小公園。明治43年(1910)5月に完成しました。山田方谷は、幕末の藩政改革などに貢献した陽明学者。園内には、三島中州撰文の方谷園記念碑、方谷山田…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10902.html
方谷園

倉安川吉井水門

倉安川吉井水門は、岡山藩主・池田光政が津田永忠に命じて、1679年から約1年をかけて完成させた倉安川を利用し、当時、岡山藩が干拓した新田へかんがい用水を供給するために造られました。また、吉井川を下る高瀬舟を直接岡山城下へ導くための取入口の水門としても利…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10080.html
倉安川吉井水門

遺跡&スポーツミュージアム

地下に眠る遺跡と県出身アスリートの資料館

岡山県総合グラウンドの地下には、縄文時代から近代にかけての複合遺跡である津島遺跡が眠っています。昭和46年に一部が国指定史跡に指定されました。さらにその後の発掘調査の結果を受けて、平成14年に史跡の範囲が拡大され、現在に至っています。発掘調査で出土した…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10029.html
遺跡&スポーツミュージアム

矢喰宮(矢喰岩)

吉備平定のため派遣された吉備津彦命の射た矢と鬼ノ城にいた鬼神の温羅(うら)が投げた岩がぶつかり、ともに喰らい合い落ちたといわれる伝承がある社。温羅と呼ばれた鬼と吉備津彦命が戦った際に、温羅が投げた岩が吉備津彦命が射た矢とぶつかり、落ちた場所という言…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10109.html
矢喰宮(矢喰岩)

こうもり塚古墳

吉備の大首長の墓と考えられる前方後円墳

6世紀に築造された全長約100mの前方後円墳で、奈良の石舞台古墳と同規模の巨大な横穴式石室があります。石室の中央には石灰岩の一枚岩をくり抜いて造った家形石棺が安置されています。1967年(昭和42年)2月15日、国の史跡に指定されました。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10759.html
こうもり塚古墳

かもがた町家公園

日本の歴史公園100選

江戸時代の岡山藩と鴨方支藩を結ぶ街道「旧鴨方往来」沿いに、 町家2棟、倉3棟を忠実に修復した江戸時代の歴史的建築物と伝統植物園を合わせもつ公園で、岡山県内で最も古い築後300年以上の町家(県重要文化財)が残っています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_11559.html
かもがた町家公園

月の輪古墳

古墳時代の美作に君臨した豪族を知る

吉井川と吉野川の合流点を見下ろす、海抜約320mの山の頂にある4世紀末~5世紀初頭に築造された、径59m、高さ9mの円墳です。発掘調査の結果、多数の副葬品が出土し、古墳時代に美作の一角に君臨した豪族をうかがう貴重な資料となっています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_11875.html

美作河井駅・手動転車台

1931年9月12日開業の、現在も開業当時の木造駅舎がそのまま使われています。また、以前はラッセル車の向きを変えるために使用されていた転車台があります。これは、使用されなくなり土中に埋まっていたのを、鉄道ファンの協力により掘り起こされたものです。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10600.html
美作河井駅・手動転車台

興譲館

校門の扁額は「日本資本主義の父」渋沢栄一が揮毫

嘉永6年(1853年)開校の、一橋徳川家と地元有力者が運営した郷校です。漢学者の阪谷朗廬が初代館長を務めました。校門に掲げられた「興譲館」の扁額は、阪谷朗廬と親交のあった渋沢栄一が明治45年(1912年)に揮毫したものです。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_15979.html
興譲館

旧岡山藩藩学校跡

岡山藩主の池田光政が藩士の子弟教育のために設けた学校跡。昭和20年(1945)の岡山空襲で講堂や校門等の建物群は全焼し、現在では泮池だけが残っています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10051.html

金川城跡(玉松城)

戦国時代、備前松田氏の本城として整備

戦国時代に備前松田氏の本城として整備されたと伝わっています。縄張りは県下の山城の中でも1~2番目に挙げられる大規模なものです。江戸時代初期の元和元年(1615)に幕府の命令で壊されましたが、本丸跡付近には井戸が残っており、「天主の井戸」は直径約8m、深さ約…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10055.html
金川城跡(玉松城)

大廻小廻山城跡

東アジア情勢が緊迫した7世紀頃に築造されたと推定されています。発掘調査の結果、土塁線や一の木戸等の水門、石塁構造が確認されています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10180.html

三浦駅

昭和38年4月1日に開業した因美線唯一の新設駅。早春には桜のトンネルができ絶好の撮影スポットとなります。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10599.html
三浦駅

西江邸

ベンガラの町の人の住まう活きた文化財

西江家は江戸時代、幕領における惣代庄屋で、代官御用所を兼ねた館である。自主的行政機構として吹屋地区の「民の暮らし」を統括。郷蔵・駅馬舎・手習い場・お白洲・役宅などが現在もそのまま保存されている。また、六代目西江兵右衛門が紅柄産業に着手、成功し、吹屋…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10883.html
西江邸

沼城跡

沼城は、天文初年頃に中山信正によって築かれた。信正は、金川城の松田氏、後に天神山城の浦上宗景に仕えた。永禄2年に宇喜多直家によって城は奪われ、直家は居城を新庄山城から沼城へと移した。直家はここを拠点に、備前・美作・備中へと勢力を拡大した。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10172.html

木下利玄生家

明治19(1886)年に生まれた利玄は足守藩時代最後の藩主を父にもつ歌人です。青年期から短歌革新運動に力を注ぎ白樺派の中心作家として活躍し、口語、俗語なども大胆に取り入れた写実的で平易な「利玄調」の歌風を完成し、歌壇に新風を巻き起こすとともに、明治大正の…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10108.html
木下利玄生家

藤原成親遺跡(高麗寺山門跡と藤原成親墓地)

平氏打倒を謀った「鹿ヶ谷」の密議が露見し、平清盛によって備前・備中境の有木の別所に流された大納言の藤原成親の配所跡と伝えられ、高麗寺の山門跡の礎石や成親の墓などが残っています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10095.html

旧高戸家住宅(伝承館)

鴨方藩の庄屋を世襲し油商等を営んだ家で、藩主の宿泊所や文化人の交流の場として使われた由緒ある町家です。建築年代は1687年に修理をしたという棟札から300年以上を経ており、県内に残る江戸前期の最古の町家であると同時に全国的にも最初期のものです。現在はかも…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_11572.html
旧高戸家住宅(伝承館)

宮本武蔵生誕地碑

武蔵終焉の地・熊本県の宮本武蔵顕彰会が当地を訪れ、武蔵生誕の地であると確証し、それを記念して建立されました。碑の正面には旧熊本藩主細川護成候伯爵の染筆により「宮本武蔵生誕地」と刻まれています。

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_11480.html
宮本武蔵生誕地碑

河原邸

江戸時代に建てられた大庄屋の屋敷で、母屋と2つの離れ座敷のほか、民俗資料展示室、蔵が設置されている学術的にも貴重な伝統建築です。歴史再発見の場として、また伝承、伝統、さらに新しい知的生産や学習・交流の場として利用できるよう整備されています。金~日曜…

https://www.okayama-kanko.jp/spot/detail_10044.html
河原邸
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