観光スポット
カテゴリやエリアで検索しよう!
カテゴリやエリアで検索しよう!
国指定文化財
寒風古窯跡群は7世紀の飛鳥時代を中心とした約100年間にわたり、須恵器が焼かれていたところです。出土遺物は杯や甕など一般的なものの他に、鴟尾や硯、陶棺があり、焼かれた須恵器が奈良の都からも出土することから、単なる地方窯ではなく、半官窯的な性格をもつ窯で…

榧原山麓にある備前焼を焼いた室町時代から江戸時代の共同窯で、3基の窯(東側窯跡、中央窯跡、西側窯跡)と巨大な物原からなっています。東側窯跡は全長53.8m、全幅3~5m、傾斜角度17度の半地下式の登り窯で単房の窯としては国内で最大規模です。

最も古い墳形を示す全長130mの大型前方後円墳。発掘調査により長大な竪穴式石室をはじめ、銅鏡など多数の遺物が出土しました。
大庄屋の風格を残す旧家
この住宅は板絵図が残っていて、1786年に建築されたことが知られています。長屋門、蔵2棟が付属し、この地域の上層農家の構えを残している貴重な文化財として、1969年に国指定重要文化財(建造物)に指定されました。現在は、宿泊施設・地域活動の拠点として整備され…

旧山陽道を眼下に見下ろす高台にある中世の城址。井原で生まれた戦国時代の英雄、伊勢新九郎(後の北条早雲)が青年期を過ごした場所が、早雲を偲ぶ歴史公園として整備されています。山頂には「北条早雲生誕の地」の石碑が建っています。

幼稚園舎として全国で初めての重要文化財
明治41年(1908)に竣工。設計は岡山県工師江川三郎八。木造平屋建、中央に八角形の遊戯室、その四方に保育室が取り付く梅鉢型平面となっています。幼稚園舎として全国で初めての重文指定を受けました。

県下三大巨石古墳の一つ
県下三大巨石古墳の一つで、内部にある石室は、巨大ないくつもの石を精密に組み合わせた横穴式の大空間で、入口の羨道とその奥の玄室に分かれています。6世紀後半の築造と考えられており、直径54m、高さ7mの円墳です。

もとは高田城。今は調練場の石積みと頂上の平坦地を残すのみです。鎌倉時代末期からの激しい攻防を今に伝える貴重な城址です。
本丸、二の丸、三の丸と、段重ねのケーキのように彫りが鋭く、中世城砦の名残を色濃くとどめる城址です。また、遠藤周作氏の小説「反逆」の舞台としても有名です。

吉井川近くの台地上に所在する古代寺院。主要伽藍が判明し、遺構の残存状況は良好である。出土した瓦から中央との強い関係が想定され、古代美作国の政治情勢を示す上でも重要である。
岡山市撫川にある、県指定史跡。約30アールの城跡の北側と西側には完全な石垣が残り、水をたたえた濠が周囲を取り巻いていて、戦国時代末期の沼城の跡を留めています。

全国でも珍しい!人名フルネームの駅
宮本武蔵の生誕地を走るローカル鉄道、智頭急行智頭線の駅。全国でも珍しい、人名フルネームがそのまま名づけられた駅です。駅前には武蔵の少年時代の銅像が設置されているほか、駅舎にはハート形の窓があり、隠れた恋愛パワースポットとしても人気です。

貴族の対立や疫病や災害の危機を仏教の力で鎮め護ろうと、天平13(741)年、聖武天皇の発願(ほつがん)により全国に建てられた国分寺のひとつです。発掘調査により、南北約190メートル、東西約175メートルの寺域に、南門・中門・金堂・講堂・僧房が一直線に並び、南…

築城年代は定かではありませんが、源平合戦で功のあった庄家長がこの地に築城したのではないかといわれています。

江戸中期の建築といわれる風格ある造りや構えの屋敷
備中松山藩主に諸役として仕えた柚木家の旧宅。江戸中期の建築といわれ、藩主お成りの屋敷でもあった風格ある造りや構えには格別の趣が見られます。また幕末に朝敵となった藩の全責任を負い、藩老熊田恰(くまたあたか)が自刃した屋敷でもあります。

出雲往来の一里塚として津山藩初代藩主の森忠政によって築造されたもので、県下に現存する数少ない一里塚として県指定文化財に指定されています。
美作河井駅~知和駅間に架かる石造りの鉄橋で、その橋を通る列車との風景は鉄道ファンにとって絶好の撮影スポットです。

5世紀後半に造られた前方後円墳で、造山古墳(岡山市)、作山古墳(総社市)に次いで県内3番目の大きさを誇ります。墳丘の周囲は一部が埋没して水田化しているものの水をたたえた周濠(しゅうごう)が巡っており、農業用のため池として改修・再利用されてきました。現…

昭和38年4月1日に開業した因美線唯一の新設駅。早春には桜のトンネルができ絶好の撮影スポットとなります。

土俵が四角いため、角土俵と呼ばれています。国内に現存し、使用されている唯一のものとされ、「角力」と書いて「すもう」と読みます。毎年隣接する小学校の小学生により、角力大会が奉納されています。

江戸時代末期に蘭学医として天下に名をはせた洪庵の誕生地です。現在は宅地と古井戸が残っています。洪庵は、足守藩医の緒方惟因の末子であり、大坂に適塾を開き、福沢諭吉など多くの弟子を育てました。

元禄年間、岡山藩の重臣・津田永忠のもと、田原用水を西に延長するために架けられた水路橋。現在は、小野田川から記念公園に復元移転されています。
古墳時代の美作に君臨した豪族を知る
吉井川と吉野川の合流点を見下ろす、海抜約320mの山の頂にある4世紀末~5世紀初頭に築造された、径59m、高さ9mの円墳です。発掘調査の結果、多数の副葬品が出土し、古墳時代に美作の一角に君臨した豪族をうかがう貴重な資料となっています。
江戸時代から伝承される「農村歌舞伎」を公演
毎年10月に、江戸時代から美作市粟井地区に伝承されてきた「農村歌舞伎」で、美作市重要無形民俗文化財に指定されている「粟井春日歌舞伎」の公演を行っています。地元の人々による地下芝居で、作り込まれた舞台に華やかな衣装、味わいのある演目、伝統芸能を継承しつ…
全国でも珍しい構造の古墳
大谷1号墳は大谷・定古墳群のなかでも早くから注目され、調査研究が行われた古墳です。3段の墳丘と前面に2段の基壇をもつ、5段築成の方墳という全国的にもあまり例のないもので、規模は東西で22.7m、南北で16.2m、高さは1段目から墳頂まで8mを測ります。石室は両袖式…

明治19(1886)年に生まれた利玄は足守藩時代最後の藩主を父にもつ歌人です。青年期から短歌革新運動に力を注ぎ白樺派の中心作家として活躍し、口語、俗語なども大胆に取り入れた写実的で平易な「利玄調」の歌風を完成し、歌壇に新風を巻き起こすとともに、明治大正の…

備中国分寺の東約600mに位置し、現在は松林の中に建物の礎石や築地塀の痕跡が残り、往時をしのぶことができます。天平13年(741年)の国分寺・国分尼寺造立の詔を機に建立されたと考えられています。

多数の遺構と史跡が残る絶景眺望の山城跡
備中杉山城跡の杉山(別名:要害山、標高:226m)は里山づくり活動によって山頂及び遺構場所まで階段が整備されているので中世の山城跡を散策できます。山頂に主郭(本丸)を構え、南北約350mの連郭式山城で要害山と呼ばれるように尾根を除いて険しい谷が続いています…

岡山市街地の中にある前方後円墳
市街地の中にある全長150mの前方後円墳で、後円部頂上の天計(あまはかり)神社社殿の床下には竪穴式石室の天井石が露出しています。

戦国時代、備前松田氏の本城として整備
戦国時代に備前松田氏の本城として整備されたと伝わっています。縄張りは県下の山城の中でも1~2番目に挙げられる大規模なものです。江戸時代初期の元和元年(1615)に幕府の命令で壊されましたが、本丸跡付近には井戸が残っており、「天主の井戸」は直径約8m、深さ約…

脇本陣・木代邸は出雲往来の宿場として栄えた新庄宿で脇本陣をつとめた家です。屋号は「向馬場屋」と称し、江戸時代の終わり頃に建てられた幕末を代表する建物で、三列六間取りの大規模家屋です。新庄村指定の文化財で、一般開放しています。

中世の山城跡で、南朝方の挙兵に呼応した地頭伊東大和二郎宣祐が山陽道をふさぐ目的で1333年(元弘3年)に築いたとされ、室町時代には備前守護代の浦上氏が居城していましたが、戦国時代末期に廃城となりました。上部構造物を失っていますが、頂上に不整形な楕円形の…
瀬戸内海の大多府島に、池田藩によって元禄11年に築港された大多府港にある港湾施設です。2段に石を積んだ構造で、曲面形状になる堤の築造技術は一見の価値あり。随所に後世の補修が見られますが、現存する数少ない明治期前の港湾施設として大変貴重なものです。

蒜山高原の中央部に16基の円墳があり、代表的な4基を「四ツ塚」と呼びます。その1号墳の石室は片袖式で、天井と壁面に朱を塗り、底部には石と木炭を敷いて水抜きの装置が設けられていました。

福山西北に独立した高さ164mの小山山頂部分にあります。東西の郭跡や,堀切・土塁状の遺構が見られます。鎌倉時代の終わり頃、備中の豪族 庄資房が初めて築城したと伝えられますが、室町時代中期に細川氏の守護代石川氏が約150年にわたって居城していたとみられてい…
前方後円墳。墳頭には約2m×0.9mの家形石棺が剥き出しの状態で置かれています。1907年(明治40年)に鏡、刀、勾玉、管玉などが多数発見され、現在は東京国立博物館に収蔵されています。

珍しい壇上積基壇の遺構も出土
白鳳時代の創建と推定される備前地域では最古の寺院跡。地方寺院には珍しい壇上積基壇の遺構も出土しています。近くには備前国庁跡や唐人塚古墳などもあります。

平氏打倒を謀った「鹿ヶ谷」の密議が露見し、平清盛によって備前・備中境の有木の別所に流された大納言の藤原成親の配所跡と伝えられ、高麗寺の山門跡の礎石や成親の墓などが残っています。
下津井港の背後にある標高89メートルの城山跡です。春には約300本のソメイヨシノやヤマザクラが目を愉しませてくれます。
