観光スポット
カテゴリやエリアで検索しよう!
カテゴリやエリアで検索しよう!
大庄屋の風格を残す旧家
この住宅は板絵図が残っていて、江戸時代中期の天明6年(1786年)に建築されたことが知られています。長屋門、蔵2棟が付属し、この地域の上層農家の構えをよく伝えています。

脇本陣・木代邸は出雲往来の宿場として栄えた新庄宿で脇本陣をつとめた家です。屋号は「向馬場屋」と称し、江戸時代の終わり頃に建てられた幕末を代表する建物で、三列六間取りの大規模家屋です。新庄村指定の文化財で、一般開放しています。

江戸後期まで南.北.西.の三大窯で多量生産していた備前焼も、藩の保護の減少や燃料の関係で大窯の融通窯として規模を縮小した三基の小窯が造られ古備前の壷、茶器、花器、角徳利など小形の品が生産された。天保窯は、そのうちの一つ。備前市指定文化財:昭和16年10…

吉備津神社内にある、大吉備津彦命が温羅(うら)との戦いのときに射た矢を置いたとされる岩です。吉備津神社には祭神である大吉備津彦命が、鬼ノ城に住む温羅を弓矢で退治したという伝説にちなんだ、矢を放って魔を祓い、国家安泰・五穀豊穣を祈る「矢立神事」があり…

美作河井駅~知和駅間に架かる石造りの鉄橋で、その橋を通る列車との風景は鉄道ファンにとって絶好の撮影スポットです。

津山市街の北西にある神楽尾城跡は、山頂の本丸から東側に平屋城、南東に津山城、南西に嵯峨山城が望めます。

楠戸家住宅は東町にあり、「はしまや」の屋号を持つ明治2年創業の呉服店。現在の店構えは明治中期に整えられたとされていて、主屋二階の漆喰を塗り込めた「虫籠窓(むしこまど)」は特徴的な意匠です。楠戸家住宅は、主屋をはじめ米蔵・炭蔵などが平成8年に登録文化財…

明治19(1886)年に生まれた利玄は足守藩時代最後の藩主を父にもつ歌人です。青年期から短歌革新運動に力を注ぎ白樺派の中心作家として活躍し、口語、俗語なども大胆に取り入れた写実的で平易な「利玄調」の歌風を完成し、歌壇に新風を巻き起こすとともに、明治大正の…

貴族の対立や疫病や災害の危機を仏教の力で鎮め護ろうと、天平13(741)年、聖武天皇の発願(ほつがん)により全国に建てられた国分寺のひとつです。発掘調査により、南北約190メートル、東西約175メートルの寺域に、南門・中門・金堂・講堂・僧房が一直線に並び、南…

阪谷朗廬が青少年の人材育成のために開いた漢学塾跡
嘉永4年(1851年)に漢学者の阪谷朗廬が開いた「桜渓塾」を当時のまま保存整備している史跡公園です。「朗廬阪谷先生垂帷跡」の記念碑に刻まれた題字は、渋沢栄一が書いた文字。裏側に彫られた碑文の書も栄一によるものです。

多数の遺構と史跡が残る絶景眺望の山城跡
備中杉山城跡の杉山(別名:要害山、標高:226m)は里山づくり活動によって山頂及び遺構場所まで階段が整備されているので中世の山城跡を散策できます。山頂に主郭(本丸)を構え、南北約350mの連郭式山城で要害山と呼ばれるように尾根を除いて険しい谷が続いています…

武蔵の父・無二斎が仕えていた古城跡
竹山城は「太平記」にも登場する中世後期の山城です。宮本武蔵の祖父と父はこの城の家老であり、剣道師範役として仕えました。城跡は展望台となっており、武蔵の里を一望できます。

県下三大巨石古墳の一つで、内部にある石室は、巨大ないくつもの石を精密に組み合わせた横穴式の大空間で、入口の羨道とその奥の玄室に分かれています。6世紀後半の築造と考えられており、直径54m、高さ7mの円墳です。

平氏打倒を謀った「鹿ヶ谷」の密議が露見し、平清盛によって備前・備中境の有木の別所に流された大納言の藤原成親の配所跡と伝えられ、高麗寺の山門跡の礎石や成親の墓などが残っています。
明治41年(1908)に竣工。設計は岡山県工師江川三郎八。木造平屋建、中央に八角形の遊戯室、その四方に保育室が取り付く梅鉢型平面となっています。幼稚園舎として全国で初めての重文指定を受けました。

昭和38年4月1日に開業した因美線唯一の新設駅。早春には桜のトンネルができ絶好の撮影スポットとなります。

県下では珍しい扇の縄と呼ばれる型式で、城郭は扇を広げたように配置され、四段にわたって構築されています。築城時期は不明ですが、南北朝時代に今川氏、後に上田氏が城主となりました。天正3年(1574)に毛利氏の城攻めを受けて落城し、その後江戸時代初期に廃城と…
牛窓湾を廻る5基の大型前方後円墳の一つで、湾の西端の丘陵上にあり、墳長約55m。円筒埴輪その他副葬品が多数出土しています。
旧山陽道を眼下に見下ろす高台にある中世の城址。井原で生まれた戦国時代の英雄、伊勢新九郎(後の北条早雲)が青年期を過ごした場所が、早雲を偲ぶ歴史公園として整備されています。山頂には「北条早雲生誕の地」の石碑が建っています。

弥生時代初めの頃の集落、水田が全国で初めて見つかった遺跡
現在の岡山県総合グラウンド一帯に広がる縄文時代晩期から弥生・古墳時代にかけての大規模な遺跡。昭和43年の発掘調査で、全国ではじめて弥生時代前期の集落と水田が一緒に確認されたことで大きな注目を集め、国指定史跡となりました。発掘調査に基づき復元された「津…

出雲街道勝間田宿場には諸藩の参勤交代に当って、津山藩主が専用としていた下山本陣と松江・勝山の藩主などが宿泊した木村本陣(出雲本陣)がありました。現在は下山本陣の一部が残っていたものを改修保存し、開放しています。

もとは高田城。今は調練場の石積みと頂上の平坦地を残すのみです。鎌倉時代末期からの激しい攻防を今に伝える貴重な城址です。
大正12年、作備線(現在の姫新線)に建てられました。プラットホームや階段は大正時代の面影を残しています。

尼子氏に従って美作に入った草苅氏が天文2(1533)年に築城。城郭の範囲は、東西1.6km、南北0.5kmで、県内最大級の規模。天正12(1584)年に草苅氏が退城するまで約50年間一度も落城しなかったという。石垣、土塁、堀切等の遺構が確認される。

岡山市撫川にある、県指定史跡。約30アールの城跡の北側と西側には完全な石垣が残り、水をたたえた濠が周囲を取り巻いていて、戦国時代末期の沼城の跡を留めています。

本丸、二の丸、三の丸と、段重ねのケーキのように彫りが鋭く、中世城砦の名残を色濃くとどめる城址です。また、遠藤周作氏の小説「反逆」の舞台としても有名です。

福山西北に独立した高さ164mの小山山頂部分にあります。東西の郭跡や,堀切・土塁状の遺構が見られます。鎌倉時代の終わり頃、備中の豪族 庄資房が初めて築城したと伝えられますが、室町時代中期に細川氏の守護代石川氏が約150年にわたって居城していたとみられてい…
江戸中期に建築された(およそ300年前の)三間取り広間型の農家を移築したもので国の重要文化財に指定されています。

4世紀後半の円墳。東西45m、南北54m。南東側に方形の造出が付属しています。墳丘は2段で3重に埴輪列がめぐっています。全長4m、幅1.5mの竪穴式石室が築かれ、蓋に特殊な彫刻文様を配した刳抜式の石棺が収められ、30数面の青銅鏡のほか多数の優れた副葬品も出土しまし…
岡山藩主の池田光政が藩士の子弟教育のために設けた学校跡。昭和20年(1945)の岡山空襲で講堂や校門等の建物群は全焼し、現在では泮池だけが残っています。
全国で10番目に大きな古墳
備中国分寺から西方約1kmにあり、全長282m、高さ24mの県内では第2位、全国では第10位の大型前方後円墳です。

土俵が四角いため、角土俵と呼ばれています。国内に現存し、使用されている唯一のものとされ、「角力」と書いて「すもう」と読みます。毎年隣接する小学校の小学生により、角力大会が奉納されています。

牛窓港背後の鹿歩山(海抜約90m)に築かれた全長約84mの前方後円墳。古墳時代中期後半に築造されたもの。円筒埴輪その他副葬品が多数出土している。
旧三浦家別邸。明和元年(1764年)、三河国西尾より移封になり勝山領主となった三浦氏は、明治2年、大政奉還により10代、107年間の歴史に幕を下ろしました。歴代当主は城山の麓(現在の市役所あたり)に屋敷を構えていたものの、城地・建物などはすべて国有となったた…

室町時代から江戸時代にかけて、この地の備前焼の同業者が共同で使用した大規模な窯のひとつです。忌部神社の西の山麓に窯跡の位置を記す碑があります。

岡山県で最も古い教会堂
明治22年(1889)に建築された現在県下では最古の教会堂で、キリスト教伝導の跡をたどることが出来るだけでなく、明治洋風建築としても貴重なものです。

戦国時代、備前松田氏の本城として整備
戦国時代に備前松田氏の本城として整備されたと伝わっています。縄張りは県下の山城の中でも1~2番目に挙げられる大規模なものです。江戸時代初期の元和元年(1615)に幕府の命令で壊されましたが、本丸跡付近には井戸が残っており、「天主の井戸」は直径約8m、深さ約…

美作地域の代表的な中世山城遺構。嘉吉元(1441)年に山名教清が築城したもので、戦国時代の戦火で天正18(1590)年に焼失、以後再建されることはなかった。

開業以来ほとんど手の加えられていない昭和6年当時の古い駅舎で、秘境駅ランキングにも入っている秘境の駅です。
