観光スポット
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ベンガラ色で統一されたノスタルジックな風景
中国山地の山懐に抱かれた吹屋は、ベンガラ生産やその原料であるローハで巨大な富を築いた豪商たちが作り上げた町。赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された赤い町並みが印象的です。精巧な意匠が施された豪商たちの屋敷は一見の価値あり。旧吹屋小学校や銅山跡…

雲海に浮かぶ姿はまさに天空の城!
天守が残る日本で唯一の山城で、江戸時代から残る現存天守12城のひとつです。山城の周辺は、高さ10m以上の巨大な岩壁がそびえ、”難攻不落の名城”の面影が残っています。最近は“雲海に浮かぶ天空の山城”として全国的に人気の撮影スポットとな…

雲海に浮かぶ備中松山城を望む展望台
雲海が発生する時期は、9月下旬~4月上旬の明け方~午前8時頃。特に10月下旬~12月上旬の早朝には濃い朝霧が期待できます。雲海に浮かんだ備中松山城の姿は幻想的で、誰もが写真に撮りたいと思うおすすめスポットです。

雲海の湧き立つ神秘の里
岡山県西部の吉備高原に位置し、標高654mの高さから北は大山、南は瀬戸内海を望むことができます。園内ではツツジ、アジサイ、紅葉など四季折々の植物が植えられ、ことに春先に咲く10万本ものツツジの景観は自然公園弥高山を象徴する美しさです。また、「弥高山公園」…

映画のロケ地にもなった豪奢な雰囲気を味わって
享和、文化の頃(1800年頃)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼氏の邸宅です。江戸末期に建てられた楼門づくりで、城郭にも劣らない堂々たる石垣が今もそのままに当時の富豪ぶりをたたえています。

平成24年(2012)まで、現役最古の木造校舎として使用されていた小学校です。明治6年(1873)に拡智小学校として開校し、後に吹屋小学校、吹屋町立尋常高等小学校となりました。東校舎・西校舎等は明治33年(1900)、本館は明治42年(1909)の建築。本館2階、講堂内部…

石灰岩でできた奇岩・巨岩の渓谷
成羽川の支流、島木川にある石灰岩でできた約2kmに及ぶ渓谷。滝あり、鍾乳洞あり、羽山デッケンと呼ばれる奇岩・巨岩ありと変化に富んだ自然を楽しむことができます。岩肌の新緑、秋の紅葉は息を飲むほどの絶景です。また、自然に出来た棲龍洞(穴小屋)の一角のトン…

雲海の見える標高654mの公園
標高654mで麓から約60mの標高差のある弥高山を中心とする17haの弥高山公園は、春は10万本のツツジ、初夏はアジサイ、秋には紅葉・雲海が見頃となる自然豊かな公園です。貸別荘、バンガロー、ロッジ客室、山の家などの各種宿泊施設とキャンプ場等、グループや家族、学…

コンクリートの壁と自然が調和した美術館
高梁市成羽美術館は、郷土出身の洋画家 児島虎次郎の遺徳を顕彰するとともに市民に親しまれる美術館を目的に、1953年開館しました。現在の美術館は1994年、3代目として現在地に新築開館しました。地下一階地上二階のコンクリート打ち放しの建物で、展示室のほかに流…

全国でも珍しいマンガ専門の美術館
国内外のマンガ約12万冊を所蔵した全国でも珍しいマンガ専門の美術館です。館内の漫画読書室には昭和30年代後半の貸し本時代のなつかしい漫画から、最新のコミックスまで実に約60,000冊の漫画が展示され、館内で自由に閲覧することができます。名誉館長・漫画家富永一…

時代に守られてきた、美しい景観
高梁川に流れ込む紺屋川は、かつて備中松山城外堀の役割を果たしていました。河畔には美しい桜と柳の並木道が続き、県下最古の教会・高梁キリスト教会堂や藩校有終館跡など情緒豊かな街並みが広がっており、「日本の道100選」にも選ばれています。春には満開の桜を見…

冒険心をそそる神秘的な銅山の坑道
江戸時代から大正時代まで採掘されていた坑道で、主に黄銅鉱、硫化鉄鉱が産出されていました。昭和53年に復元され、坑内を見学できるようになっています。冒険心をそそる神秘的な坑内は年中15度前後で、天然のエアコンが効いています。

白壁の長屋門や土壁が続く町並み
臥牛山南麓に広がる備中松山城の城下町です。武家の町として営まれた石火矢町は、今も武家屋敷や城下町の町割りがそのまま残り、昔の面影を留めています。

絶妙なバランスで支えられた大塊
標高400mの石灰岩の台地上にそびえる、自然が生み出した華麗な三つの大塊。夫岩は高さ12m、妻岩は高さ16mで愛児のような岩を抱いています。夫岩は下部が細く、くさびのような岩と岩自体の形状から、絶妙なバランスによって支えられており、見ごたえ十分。周辺では、春…

ベンガラは赤色顔料として宝永4(1707)年に吹屋で開発され、特産地として栄えました。ベンガラ館は明治の頃のベンガラ工場を復元したもので、当時の製造工程を紹介しています。

地元を愛するスタッフがおもてなしの心でみなさまをご案内します。日々研修を積んでいるお城や城下町の知識だけでなく、地元のガイドならではの高梁の魅力をお伝えします。郷土の偉人・山田方谷に関するガイドや、備中松山城をふもとから歩いて登城するウォーキングコ…

江戸時代中期から後期にかけて、百二十石から百五十石取りで、近習役や番頭役などを勤めた武士の住宅である。江戸中期の建築として平屋建て、桟瓦葺き、箕甲・入母屋造りで大ぶりな三ッ花懸魚を取付け、玄関には幅二間の式台を設け、玄関の間の正面には一間半の棚を設…

石の風車やお城型展望館、展望台、アスレチック、食事処、地元の野菜を販売する市場などがあり、家族で楽しめるスポットです。

寛和年間(985~987)花山法皇の開基といわれています。真言宗に属し、本尊は薬師瑠璃光王如来で、50年毎に秘仏御開帳法要があります。昭和58年に『男はつらいよ』のロケが行われました。

高梁市文化交流館2階に設置され、美術展示室・歴史展示室・市民ギャラリーがあります。美術展示室では収蔵品の公開や、高梁の歴史、ゆかりの芸術家の作品を紹介する特別展・企画展を年数回開催しています。また、歴史展示室は戦国から江戸時代末期までの備中松山城に…

豊かな緑に覆われた広大なエリアには、「思い出の森」や「ふれあいの森」など6つのテーマに基づいた森のほか、キャンプ場などがあります。中心施設のビジターセンターには宿泊施設や炊事場が整備されており、人びとが緑に憩い、森の大切さに触れることができるように…

812(弘仁3)年弘法大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には、松山城主水谷氏の外護を受け、京都仁和寺の中本寺として栄えました。雲海がたなびく標高500mの山上にあり、平安時代の山岳仏教の姿を色濃く残しています。
小堀遠州作の枯山水庭園が素晴らしい
頼久寺は足利尊氏が諸国に建立させた安国寺のひとつと言われ、庭園は国指定の名勝となっています。庭園は備中国奉行として当地に赴任していた小堀遠州が築いた枯山水で、遠州庭園の原点が見える庭として注目されています。江戸初期の完成で、桃山後期の特徴が表れてお…

標高550mの山嶺に江戸時代から明治にかけて、ベンガラという特産品の製造で巨大な富を築いた豪邸(広兼邸)や商家・町家が建ち並び昔が偲ばれます。コース例:広兼邸→笹畝坑道→ベンガラ館→旧片山家住宅・郷土館

武家屋敷・旧折井家のある石火矢町は、両側に土塀が続き、格式のある門構えの家並みが見られ、岡山県指定の「石火矢町ふるさと村」の一角にあります。この建物は今から170年前天保年間に建てられたもので、200石前後の武士が住んでいた建物です。母屋と長屋門からなり…

1759年の創業以来200年余に渡って弁柄(ベンガラ)の製造・販売を手がけてきた。現在でも弁柄が栄えた江戸時代末から明治時代の屋敷構えを残しており、吹屋の町並景観で欠くことのできない存在となっている。

JR備中高梁駅隣接の複合施設内(高梁市図書館2階)にあります。観光案内やお土産販売、備中松山城乗合タクシー予約受付、レンタサイクル、荷物預かり等を行っています。【地酒も販売】「白菊酒造」米、水、技、酒造りの条件に恵まれた岡山の良さをお酒に映して香り良…

城下町高梁を一望できる展望所
眼下には城下町として知られている高梁市街を一望できます。晴れた日は、中国山地の山の稜線が折り重なるように連なっていく美しい風景を眺めることができます。


備中松山藩儒・山田方谷(1805~1877)の功績・遺徳を末永く顕彰するため、時の上房郡教育会の拠出金により造られた小公園。明治43年(1910)5月に完成しました。山田方谷は、幕末の藩政改革などに貢献した陽明学者。園内には、三島中州撰文の方谷園記念碑、方谷山田…


新城池を中心に、赤松林をはじめとする様々な樹木・植物が育成しています。また、八丈岩・三枚岩などと呼ばれる多くの奇岩が自然に味わい深い趣を加え、素晴らしい景観を作り出しています。公園内は、全体面積91ヘクタールの森林レクリエーション施設で、多目的グラウ…

硬式野球の公式戦もできる天然芝の本格的な野球場のほか、さまざまなスポーツが楽しめる多目的グラウンドも備えています。


「高梁市成羽美術館」隣の、地域局・公民館・図書室・ホール・バス停留所の機能を集約した高梁市成羽複合施設(愛称:たいこまるプラザ)内にある観光案内所です。
