【牛窓歴史散歩】潮騒と牛窓。潮待ち港の面影をたずねて(瀬戸内市)

かつて潮待ちの港として栄えた牛窓。古来より多くの旅人が行き交い、万葉の歌にも詠まれました。今回は「潮騒」をテーマに、地元民がおすすめする牛窓の歴史散歩をお届けします。
掲載日:2025年07月18日
  • ライター:田中シンペイ
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予備知識:「潮待ち」とは

動力がない時代の船は、帆で風を受けるか、櫓(ろ)や櫂(かい)を人力で漕ぐ必要がありましたが、潮の流れに乗れば船を楽に進めることができました。瀬戸内海は細長い海峡のような地形で、干潮と満潮では潮の流れる向きが180度変わるため、自分が進みたい方向へ潮の流れが変わるのを待つことを「潮待ち」と言いました。岡山県の牛窓や、広島県の鞆の浦などが潮待ちの港として知られています。
上の写真は2025年5月に、日韓国交正常化60周年を記念して、韓国の釜山から大阪万博へやってきた「朝鮮通信使」の復元船が牛窓に寄港した際のものです。

本蓮寺

今回は「本蓮寺」から、牛窓をめぐる歴史散歩をはじめたいと思います。
「朝鮮通信使」は朝鮮王朝が江戸幕府へ派遣した外交使節団で、牛窓には計11回寄港し「本蓮寺」などに宿泊しました。2025年の来航は実に261年ぶりの出来事となったそうです。境内には室町時代から江戸時代にかけて造営された本堂や三重塔などが当時の姿のまま残されています。

燈籠堂

「本蓮寺」から「しおまち唐琴通り」という古い町並みをしばらく東の方へ進んでいくと「本町」というエリアに着きます。ここに建つ「燈籠堂」は、江戸時代に岡山藩主「池田綱政」によって夜間航行の標識として築かれたものです。明治以降に木造部分は取り壊されましたが、昭和63年に復元されて往時の姿を取り戻しました。

唐琴の瀬戸

「燈籠堂」と前島との間の海は「唐琴の瀬戸(からことのせと)」と呼ばれます。幅が狭いため潮の流れが速く、逆らって進むのは困難なので牛窓での「潮待ち」が必要となります。潮が速い=海の難所ということで、高い潮騒の音は当時の旅人を不安にさせるものだったかもしれません。

ともづな石(纜石)

この岩は「神功皇后(じんぐうこうごう)」が船をつないだと伝わる「ともづな石」で、牛窓は「神功皇后」にまつわる伝承の多い土地です。
「神功皇后」は懐妊の身で九州の熊襲(くまそ)や朝鮮半島の新羅(しらぎ)を征服し、その帰途に「応神天皇」を産んだという英傑です。架空の人物と考えられてきましたが、実在したとすれば4世紀後半(古墳時代)の人物となります。
「神功皇后」が遠征のため船で九州へ向かう途中、この地で牛鬼という怪物に襲われた際に、住吉明神が現れて牛鬼を投げ倒して退治した「牛転び(うしまろび)」が転訛したのが「牛窓」の由来とされています。

五香宮(ごこうぐう)

猫が有名な「五香宮」では、お宮へ上る階段の途中で、さっそくのお出迎えを受けました(笑)。
あちこちで爆睡する猫たちの邪魔にならないように距離をとって撮影しました…。安心してください、生きてますよ。
「五香宮」は、神明造りに銅板葺きの屋根という荘厳な社殿が目を引きます。当初は、「神功皇后」をお守りしたとされる「住吉三神」が祀られていましたが、江戸時代の岡山藩主「池田光政」により京都伏見の「御香宮神社」から「神功皇后」「応神天皇」が勧請され、合わせて五柱の神を祀るので「五香宮」となったそうです。
※勧請(かんじょう):神の分霊を他の場所に移して祀ること
「燈籠堂」や「五香宮」の周辺では「唐琴の瀬戸」に響く潮騒を聴くことができます。波が浜や岸にぶつかって砕ける音ではなく、潮の流れそのものが発する川のせせらぎのような音、つまり「潮が騒ぐ」という文字通りの「潮騒」を聴くことができるのです。この場所に来たら、ぜひ海に耳をすませてみてください。

牛窓神社

「五香宮」から北東へしばらく進むと「牛窓神社」があります。古くから牛窓明神として土地の神霊をお祀りしていた神社で、平安時代には宇佐八幡宮(大分県)から「神功皇后」と「応神天皇」が勧請されたそうです。
「牛窓神社」はとても風光明媚で、さまざまな風景と出会える場所です。一の鳥居の眼前には牛窓海水浴場(宿井浜)の白い砂浜や磯場が広がっています。また、海岸に露出している断崖は地質学的に貴重なものだそうです。
「牛窓神社」の一の鳥居の正面に続く道の先には前島と「唐琴の瀬戸」が見えています。
ちなみにこれは余談ですが、私の記憶が確かなら牛窓神社の前にある海の家は、少なくとも30年以上前から変わらず営業されている気がします。ここで海を眺めながら食べるかき氷は最高です♪
一の鳥居のそばに万葉の歌碑が建っているので、内容をご紹介したいと思います。

【万葉集 詠み人知らず】
牛窓の 波の潮騒 島響み(とよみ)
寄さえし君に 逢わずかもあらん

[おおよその意味]
牛窓の島々に高く響く潮騒のように大きな浮名が立ってしまったので、思いを寄せるあなたとは会えないままとなるのでしょうか。
[個人的解説]
先を急ぐ旅人が「潮待ち」となって、何もすることがない、何もできないという状況になると、気持ちばかりが焦って、あれこれと想いを巡らせているうちに不安になってしまうのだと思います。「唐琴の瀬戸」の高い潮騒が、その想いに拍車をかけて生まれた歌なのかもしれません。
「牛窓神社」の参道はかなり長いので、少し覚悟が必要です。石段は樹木のトンネルに覆われていて、真夏の炎天下でも、ここだけは真っ暗で涼しいという不思議な空間となっています。
参道の途中にある亀山公園の展望台「望洋亭」で、ぜひ休憩をとってください。唐琴の瀬戸をはじめ、前島、小豆島、家島諸島、播磨灘を見渡すことができます。どの方向を見ても絶景です。この写真では「燈籠堂」「五香宮」「唐琴の瀬戸」のほか、箱庭のような古い町並みが見えています。奥の方でフェリーが停泊しているのは「前島港」です。
「望洋亭」を過ぎてさらに進むと、ようやく二の鳥居と、奥に随神門が見えてきます。この石段を上りきった先に本殿があります。足腰に自信のない方は、鳥居とは反対方向(北側)から車で本殿の少し手前まで上ることができます。
今回ご紹介した場所は比較的近いエリアにあるので、半日あれば徒歩でも見てまわることができると思います。無理をせず、各所で休憩しながら散策を楽しんでくださいね。

まとめ

「牛窓神社」からもう少し北へ足を延ばすと「師楽(しらく)」という名前の小さな入り江があります。このあたりには自然のままの海岸線が残されていて、干潮時には写真のような干潟が姿を現します。原初の牛窓の風景はこんな感じだったのではという想像が膨らみます。「師楽」は「新羅」の転訛だという伝承もあるそうなので、潮待ち港というだけではなく、大陸への玄関口、国際港だった名残かもしれません。
ちなみに、架空の人物とされてきた「神功皇后」ですが、近年の新たな発見や研究の進展によって「古事記」や「日本書紀」の記述が史実に基づいたものである可能性が出てきています。もしかすると実在の人物か、あるいはモデルとなった人物が存在するのかもしれない…。そんな歴史のロマンを感じながら、今回ご紹介した場所を訪れてみるとさらに楽しめると思います。
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