岡山城の石垣を深掘り!市街地に残された石垣を探索しよう♪

現在の岡山城は城郭の中心部分であった「本丸」が公園として整備されていますが、かつては「二の丸」や「西の丸」などを持つ壮大な城郭でした。今回は岡山城の石垣の見どころや、市街地に残存する石垣について詳しく紹介していきます。
掲載日:2025年06月25日
  • ライター:田中シンペイ
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岡山城の全容

岡山城の全容を図にしてみました。わかりやすいように、ランドマークとなるような現在の建物等の位置も示してあります。城址公園とされている「本丸」以外に、かつてはこれだけの領域が城として存在していたのです。
ちなみに、この図の左側(西側)には、さらに二重の水堀と土塁が築かれていました。江戸時代に幕府が諸大名に命じて提出させた詳細な城の絵図「正保城絵図 備前国岡山城絵図」によると、それら西側の防塁上には隅櫓や楼門などの構造物がまったく見られないため「惣構(そうがまえ)」(城下町を囲む防塁)と解釈して、今回の私の記事では城に含めないことにしました。

予備知識「石垣の進歩」

日本の城は戦国時代末期から江戸時代初期にかけて急激な発展を遂げました。例えば、今のパソコンやスマートフォンはすごいスピードで進化しているので、製造年が数年違うだけで性能が段違いだったりしますよね。それと同様に、当時の城も技術的な進歩がめまぐるしく、工事が行なわれた時期が少し違うだけで石材の加工方法や積み方などが大きく異なるのです。
加えて、石垣の技術者集団の個性による違いもありますので、城主が何度も変わって修築が繰り返された城は、多種多様な石垣が混在する状態となります。岡山城はその最たる例で、「石垣の博物館」と言われるほど多彩な石垣が城内にひしめいています。「本丸 中の段」では、発掘調査で出土した石垣を見ることができるような工夫も行なわれています。

本丸の見どころ

まずは本丸の石垣について、その見どころをご紹介します。一番の注目は「本丸 本段」南面の高石垣だと思います。岡山城をほぼ今のかたちに築き上げた宇喜多秀家によるもので、加工していない自然石を用いた「野面積み(のづらづみ)」という技法で築いた石垣として全国屈指の高さを誇ります。宇喜多氏の時代の技術では高石垣の角の部分を(上から見たときに)直角に積むことが難しく、鈍角で積まれているという特徴があります。
「本丸 本段」の東面の石垣の一部は宇喜多氏の後に入封した小早川秀秋によるものとされています。工事を急いだのでしょうか、小さな丸っこい石を無理やり高く積んでいて、かなり不安定な印象を受けます。「よくこれで400年以上の風雪に耐えたものだな…」と逆に感心してしまい、私は心の中で勝手に「ど根性石垣」と呼んでいます。
「本丸 中の段」の北半分の石垣は小早川氏の後に入封した池田氏の修築によるもので、石切り場から切り出した直方体の石材を用い、「打込接ぎ(うちこみはぎ)」という比較的新しい技法で積まれたものです。城内の最も古い石垣とは約30年の開きがあります。

外下馬門(岡山県立図書館)

それでは城址公園の外に出て、市街地に残存する石垣を見ていきましょう。
写真は「岡山県立図書館」の敷地内に残る「外下馬門(そとげばもん)」の北側の石垣です。水堀を水盤で表現してあり、橋脚のあった場所も示されています。かつては長い木製の橋を渡った先に大きな城門がありました。

二の丸 東面(岡山県庁付近)

岡山県庁の付近にあった「二の丸 東門」から「本丸 下の段」あたりまでの旭川沿いには、比較的良好に石垣が残されています。草木に覆われて少し判別しにくいですが、よく見ると立派な石垣が川沿いに延々と続いていることがわかります。

二の丸 対面所(林原美術館)

「林原美術館」のある場所はかつて「二の丸 対面所」と呼ばれる御殿が建っていました。正面に見える長屋門と敷地内に建つ3棟の土蔵は、岡山藩の支藩「生坂藩」の岡山屋敷から明治時代末に移築されたものです。これらの歴史建築と美術館の本館は登録有形文化財となっています。
「林原美術館」の周囲には「二の丸 対面所」の石垣が良好に残されており、特に西面ではその全容を見ることができます。手前の道路もかつては水堀でした。
駐車場ごしに「二の丸 対面所」の北側の石垣と「林原美術館」の「西蔵」「中蔵」が見えています。この駐車場も昭和20年頃までは水堀だったそうです。

石山(旧本丸)

「NHK岡山放送会館」が建っていたあたりは「石山」と呼ばれる小さな丘で、宇喜多秀家の父である宇喜多直家の時代の「本丸」はここにあったと言われています。今見えている石垣自体は池田氏時代のもので、手前の駐車場は「枡堀」と呼ばれる四角い水堀でした。

石山門

昭和20年まで、ここには「石山門」と呼ばれるL字形の大きな櫓門が建っていました。残念ながら戦災で焼失して、現状はご覧の有様です…。今後の整備に期待したいと思います。
石山門跡から西方へ続く「西の丸」の石垣。この道路もかつては水堀でした。

西手櫓(現存)

「岡山シンフォニービル」の道路を挟んだ向かい側に「西手櫓」が現存しています。この周辺は最大幅が100mもあるような広大な水堀だったそうですが、市街地化が著しくビル街となっています。私が学生の頃は「西手櫓」の真正面に高層ビルが建っていて、まったく姿が見えない状況でしたが、今では駐車場になったおかげで気軽にその雄姿を見ることができます。無骨な外観をしていながら、意外にも二階は書院造になっていて、座敷や床の間を備えているという珍しい櫓です。
「西の丸」の北側の石垣です。おそらく「北西隅櫓」と「北門」の間に続いていた石垣だと思われます。ここには岡山城の全体図と現在地を示したナイスな看板が立っています。このような案内板が各所にほしいところです。

まとめ

「西の丸」の石垣は、ほぼ完存と言ってもよいくらい良好に残されています。そして何といっても貴重な現存建築である「西手櫓」の存在があります。「二の丸」も一部ではありますが往時の姿をとどめていて、そこには「林原美術館」など歴史スポットと親和性の高い魅力的な施設もあり、歴史好きの方であればこのエリアをめぐるのはとても楽しいと思います。

ここで少しだけ現状に苦言を呈するなら、貴重な城の遺構が「点」で存在し、まったく連続性がないということが言えると思います。現在、「西の丸」にあった小学校は廃校となり、市民会館やNHKの移転など、公園整備に向けた条件は整っています。遠方から岡山城を訪れた方が「本丸」だけではなく、これらの遺構をスムーズに見学できるように、点を線に、線を面にしていく整備が望まれます。それまでは、宝探しの気分で現地をめぐってみるのも一興かと思います。
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