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風光明媚な大名庭園!日本三名園のひとつ

岡山藩2代目藩主・池田綱政(つなまさ)が自ら憩いの場として築いた大庭園。季節の花が彩る広々とした園内は江戸時代さながらの別世界。1952年には歴史的文化遺産として“特別名勝”に指定され、ミシュラン・グリーンガイド…

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吉備路の代表的景観!撮影スポットとして注目度UP

奈良時代に聖武天皇の発願によって全国に建立された国分寺のひとつ。仏教の力を借りて天災や飢饉(ききん)から国を守ることを目的に建てられました。現在残っている建物は江戸時代に再興されたもの。境内には高さ約34mの五重…

日本100名城のひとつ。漆黒の天守閣が見事!

豊臣秀吉の家臣で豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した城。めずらしい不等辺五角形をした三層六階建ての天守閣は威厳のある佇まいで、黒い下見板張りの外観から、別名「烏城(うじょう)」と呼ばれています。最上階からは眼下…

現存する日本最古の“庶民のための公立学校”

1670年に岡山藩主池田光政(みつまさ)が日本初の“庶民のための公立学校”を創立。谷深き地に建てられた学校は閑谷学校と名付けられました。日本の歴史を創る有能なリーダーが、ここから多く輩出されました。堂々とした入母…

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ロケ地としても人気!明治40年建築のルネッサンス風校舎

1907(明治40)年にルネッサンス様式の木造校舎として建てられた旧遷喬尋常小学校。完全なシンメトリー(左右対称)のデザインと白亜の外観が印象的です。1990(平成2)年に小学校としての役目を終え、現在は一般に公…

黒田官兵衛の奇策・水攻めの主戦場となった城址

天正10年(1582)、この地で秀吉軍と毛利軍が戦った「高松城水攻め」がありました。近くには水攻め築堤跡が残っています。現在は公園として整備され、当時に思いを馳せながら散策を楽しむことができます。公園の中央にある…

全国第4位の墳丘規模をもつ巨大古墳

全国第4位の規模をも持つ5世紀前半の前方後円墳。全長約360m、後円部径約224m、高さ約27~32.5m。三段築成。後円部墳頂には形象埴輪が、墳丘斜面の各段には大量の葺石と円筒埴輪列が認められる。 墳丘上まで上…

江戸後期まで南.北.西.の三大窯で多量生産していた備前焼も、藩の保護の減少や燃料の関係で大窯の融通窯として規模を縮小した三基の小窯が造られ古備前の壷、茶器、花器、角徳利など小形の品が生産された。天保窯は、そのうち…

吉備の大首長の墓と考えられる前方後円墳

6世紀に築造された全長約100mの前方後円墳で、奈良の石舞台古墳と同規模の巨大な横穴式石室があります。石室の中央には石灰岩の一枚岩をくり抜いて造った家形石棺が安置されています。1967年(昭和42年)2月15日、…

製塩業で財を成した野﨑武左衛門の屋敷

江戸時代後期に大規模な塩田を開き、「塩田王国」を築いた野﨑武左衛門の屋敷。約3,000坪の敷地には、約1,000坪にわたる主屋群と6 棟の土蔵が建ち並び、庭のあちこちに茶室が見られるなど、当時の勢いをうかがわせま…

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庄新町の丘陵上、王墓山古墳の北側に位置する弥生時代後期に築造された日本で最大級の墳丘を持つ弥生墳丘墓です。円丘部の頂上には5個の巨石が立てられ、墳丘の各所から多くの土器片も出土しています。

江戸時代に建てられた母家から、昭和初期の蔵まで各時代の生活様式に対応した造りが保存されています。 城下町津山の歴史を体験できる所です。

大原美術館、倉敷絹織(現(株)クラレ)の創設者 大原孫三郎外、大原家代々が暮らした家。国の重要文化財。 邸内は表からは想像できない景色。石畳に連なる倉群、静寂の日本庭園等々、落ち着いた雰囲気の中で、「倉敷の中の…

大正12年築の木造洋風建築物

昭和20年の空襲による焼失を免れた数少ない建物で、窓枠や内装の一部が改修されているものの、外観や構造等はほとんど手を加えられておらず、建築時の状態を残しています。 構造は、木造3階建で、寄棟造・スレート葺(一部鉄…

全国で10番目に大きな古墳

備中国分寺から西方約1kmにあり、全長282m、高さ24mの県内では第2位、全国では第10位の大型前方後円墳です。

片目を射られた温羅の目から噴き出す血で真っ赤に染まったと言われる川

吉備津彦命が放った2本の矢のうち1本が温羅の左目に命中し、温羅の目から噴き出す血で清流が真っ赤に染まったと言われています。

200年の歴史をもつ上級武士の屋敷

この武家屋敷は昔のままの姿を残している唯一の上級武士の家屋で(別名渡辺邸ともいう)、渡辺氏は家老格の名門で百六十石でした。 老朽化のため昭和61年に修復した際に土蔵を展示館とし、武家に関する資料を展示しています…

備中国分寺の東約600mに位置し、現在は松林の中に建物の礎石や築地塀の痕跡が残り往時をしのぶことができます。天平13年(741年)の国分寺・国分尼寺造立の詔を機に建立されたと考えられています。

吉備中山の山頂付近にある前方後円墳

吉備中山の山頂付近にある約120mの前方後円墳です。都月型円筒埴輪が吉備津神社に伝わるものの、残念ながら宮内庁の管理下にあり、詳しく観察することができません。大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)と呼ばれ…

吉備平定のため派遣された吉備津彦命の射た矢と、鬼ノ城にいた鬼神の温羅が投げた岩がぶつかり、ともに喰らい合い落ちたといわれる伝承がある社。温羅と呼ばれた鬼と吉備津彦命が戦った際に、温羅が投げた岩が吉備津彦命が射た矢…