海を馬で駆けた佐々木盛綱 源平合戦をリアルに感じる藤戸周辺歴史さんぽ

平安時代末期、全国で起こった源平合戦。倉敷市藤戸は1184年に「藤戸合戦」があった地で、史跡が多く残っています。現在は干拓により陸地となっていますが、当時は海で島が点在していました。源氏の佐々木盛綱(ささきもりつな)が馬に乗って海を渡り、平家軍に勝利したことで知られています。
当時の地形を感じながら、源平合戦ゆかりの地を訪ねてみました。
掲載日:2021年08月10日
  • ライター:こばん(小林美希)
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盛綱橋

藤戸を流れる倉敷川にかかる「盛綱橋」には、大きな佐々木盛綱の像があります。
倉敷川はかつて海で、藤戸海峡があった場所。「藤戸合戦」までは海上合戦に慣れた平家軍が児島周辺を支配し、倉敷市粒江のあたりに城郭を構えていました。九州を目指し西へと攻め進む源氏軍でしたが、舟を持っておらず、源氏と平家は藤戸海峡を挟んで対峙することに。
どうしたら戦えるのか・・・頭を抱える源氏軍。
そんな時、源氏の佐々木盛綱は、地元の漁師に馬で対岸まで渡ることができる浅瀬の場所を教えてもらいます。なんと、盛綱は口封じのためにその漁師をその場で殺し、海に沈めてしまいました。
その情報のおかげで、盛綱を筆頭に源氏軍は藤戸海峡を馬で駆け渡り、平家軍の意表を突く形で勝利。
盛綱はその功績を称えられ、備前国の児島の領主となりました。

乗出岩(のりだしいわ)

盛綱がどのようなルートで海を渡ったのか、史跡をたどってみました。
倉敷市有城にある「乗出岩」は、盛綱が馬と海に入った地点とされています。ここから南に約3kmのところにある先陣庵まで、馬とともに海を渡ったのです。

鞭木(むちき)

乗出岩と先陣庵のおおよそ中間地点、盛綱がちょっと馬を休憩させた場所と伝わるのが鞭木です。少し高さがあり、浅瀬だったのだそう。
今は住宅地の中にある小さな公園となっています。探すのに苦労しました。

先陣庵

海を渡り、平家軍に戦いを挑んだ盛綱。上陸した地が先陣庵です。
戦後に庵を建て、戦没者や浅瀬を教えてくれた漁師の霊を慰めたと伝えられています。
実際に行ってみると、今でも小高い丘となっており、当時は島だったことがよくわかりました。

藤戸寺

奈良時代に行基菩薩が創建した高野山真言宗の寺、藤戸寺。大きな階段や広い境内は見ごたえがあります。
盛綱は戦後、両軍戦没者の供養と、合戦で荒れた藤戸寺の修復を行ないました。
境内奥にある石造五重塔は源平合戦の供養塔と伝えられています。

経ヶ島

藤戸寺から倉敷川を渡ったところにある経ヶ島も、かつては小島だったようです。
浅瀬を聞き出したあとに口封じのため海に沈めた漁師のために大供養を藤戸寺で行ない、写経をこの島に埋めたため「経ヶ島」と呼ばれるようになったそう。
頂上にある2つの塔のうち、小さい方(写真左)が漁師の供養塔と伝えられています。

笹無山

盛綱に亡き者にされた漁師のエピソードは能の謡曲「藤戸」としても有名です。謡曲「藤戸」には児島の領主となった盛綱のもとへ、恨みを訴えに来た漁師の母が登場します。
その母が「佐々木と聞けば笹まで憎い」と、すべての笹を抜いてしまったとされる山が「笹無山」。「佐々木」と「笹」が掛かっているのかと思いきや、説明版によると、浅瀬を教えるときに漁師が目印に笹を立てたことから、笹が憎かったようです。

藤戸まんぢゅう

藤戸といえば、藤戸まんぢゅう。しっとりとしたこしあんに、甘酒を使った薄皮の香りがたまりません。
藤戸饅頭本店は昔懐かしい雰囲気のお店です。映画『ALWAYS三丁目の夕日』のロケ地でもあります。藤戸周辺の史跡巡りを満喫したら、お土産を買いに行きましょう。

ぜひ下の地図をチェックして、盛綱が海を渡ったルートを見てみてください。
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