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消渇神社の主神である一豊姫は、戦国時代末の天文永録年間、この備中国後月郡(現在の岡山県井原市高屋町)で活躍した豪族・藤井能登守皓玄の姫でした。社家の伝承によれば、姫は日頃身体病弱で天照大神少彦名命大国主命を厚く信仰していたのですが、年壮にして激甚な…
1441年(嘉吉元年)、芳井町の天神山に開かれた臨済宗仏通寺派のお寺です。重玄寺を開いた千畝和尚(せんみょうおしょう)は近衛家の生れといわれ、天皇家、近衛家ゆかりの宝物が今に伝えられています。また重玄寺は室町時代に活躍した画僧・雪舟が亡くなった場所と伝…
菅原道真が筑紫へ左遷されたとき、途中で船から降りて丘にあがり、真水を汲んで、その水で墨をすり、歌を一首詠んだ所といわれ、その跡に創建されたのがこの神社とされています。
宝暦年間(1751~1764年)に安国寺と改名され、鐘楼を改築しました。梵鐘には永和3年(1377年)と刻銘されていることから美作地方では最古の物と言われています。
江戸時代初期の慶長9年(1604)に初代津山藩主森忠政の津山城築城に際して城南の覗山(のぞきやま)に移り、さらに慶長13年に現在地へ移築された。現在の本殿は、寛永12年(1635)に2代目藩主の森長継が再建したもの。
寺伝によると、729年(天平元年)行基菩薩が創建し、1543年(天文12年)もしくは1547年(天文16年)に現在地に移転されました。現在の本堂は棟札から1726年(享保11年)に再建されたものです。
国の重要文化財に指定されている宝塔は、総高約4m。花崗岩製。南北朝時代の貞和2年(1346)の造立。石造宝塔としては県下最大のもの。
文化11(1814)年に建てられたもので、社殿・唐門・総門の3棟が現存しています。本殿と拝殿とを会いの間でつなぐ権現造で、屋根は共に入母屋造です。

寺縁起によると、天平勝宝年間(749~757年)に鑑真和上が開基し、後に報恩大師の備前四十八ヵ寺の一つに加えられた寺。
創建は奈良時代の神亀3年(726年)にまで遡り、行基によって開基されたといわれています。平安時代に九条家の祈願所となり、鎌倉時代に源頼朝の命令で梶原景時が再建しました。本尊の薬師如来は国指定の重要文化財。持仏の不動明王と二童子像も国の重要文化財に、本堂…
真休寺はもともと、大山普門院と称して大山にあり、隆永上人代、約320年前、明暦年間に住坊が造営され、岡尾山普門院真休寺と称されたといわれています。本尊の彫刻は慈覚大師にして、格式極めて高く、昭和49年に庫裏、本堂の再建されました。春は桜並木が迎えてくれ…

里庄富士のふもとの小高い丘陵にあります。白壁と老松がめぐり優美な鐘楼堂、銅板屋根の本堂や山門などの諸堂があり、甍を垂れ閑静にして端正なたたずまいです。
国指定重要文化財の不動明王坐像、地蔵菩薩立像が安置されているほか、境内には大樹「モッコク」があり、井原市の天然記念物に指定されています。
慶長19(1614)年、大金持ちの蔵合氏の願いで建てられた寺で、本堂は当時のもので、本尊の不動明王は鎌倉期の作と伝えられています。
南北朝時代に創建された古寺で、「バンバ踊り」が伝承されています。仏教寺本堂前の石段の中段に建立してある仁王門。その左右に配されていた金剛力士像。向かって右側の阿形像の脊部内面左肩に「建長元年巳酉三月二十日」の墨書があります。二駆とも檜材の寄木造で、…

境内には御神木として崇められている推定樹齢660年の大杉があり、目通り周囲5.4m、樹高約40m。美作県民局の名木百選です。

熱心な日蓮宗徒であったと伝えられる浮田土佐守こと宇喜多忠家が、天正9(1581)年に起工し、同11(1583)年に完成しました。棟札より慶安4(1648)年に大修理が行われたことがわかっており、創建当時の豪壮な桃山建築の特色を残しています。

温泉街の中央に位置する温泉薬師堂は、失ったものが帰ってくるお薬師様として信仰を集めています。また、薬師堂のすく横からは、湯原温泉の源泉がこんこんと湧き出ています。薬湯としてお清めができます。

1577年(正徳5年)に建立された清水寺。県指定の無形文化財の奇祭、「護法祭」が伝承されています。五穀豊穣、天下泰平を祈願し、毎年5月15日深夜に行われます。護法善神が修験者らの祈りつけにより、行を終えて身を清めた「護法実」と呼ばれる人物の身に乗り移り、「…

寺伝によると823年から832年頃に弘法大師が開山し、当初は「極楽山雲清寺」という寺号だった古刹です。後醍醐天皇も隠岐に流される時に立ち寄ったと伝わります。のちに火災で焼失したが15世紀半ばに再興し、「極楽山清眼寺」に改号しました。

現在の本堂は宝暦7(1757)年に再建したもの。西東三鬼の代表作「水枕 がばりと寒い 海がある」の句碑墓があります。
文化文政時代の頃からこの地方では芝居が盛んで、中島東地区の松神神社に歌舞伎舞台が伝わっています。当時の精巧な回り舞台が保存されており、昭和38年に「岡山県重要有形民俗文化財」に指定され、現在も毎年春に中島東地区の方を中心に公演が開催されています。

739年に創建されたお寺。約1,500坪ある境内は、周囲を120mに及ぶ石垣と城壁のような白壁に囲まれ、「白鷺が羽を広げたような」偉容を誇っています。
那須与一が屋島の合戦の功績として与えられた荏原荘に、那須氏が地頭として来地後、菩提寺として開基したと言われています。境内には、与一が屋島の合戦で弓を引く際に破り捨てた片袖を祀ったという袖神稲荷があります。また、寺の北東の山中には与一を供養する五輪塔…
通称名は垪和郷一の宮(ハガゴウイチノミヤ)。一宮八幡神社の獅子舞は、県指定無形民俗文化財に指定されています。

江戸時代初期の元和4年(1618年)建築の入母屋造り、本瓦葺きの建物です。桃山時代の建築様式を伝える装飾に富んだ建物です。

平安中期、村上天皇の御世955(天暦9)年に創建。木野山山頂に奥宮があり、山麓に里宮が鎮座する。
雷除けに霊験あらたかなことから、別名を「雷神社」と呼ばれる鴨神社。毎年5月3日に行われる大祭は、雷除けの祭りとして古くから農家の信仰を集めてきました。
延喜元年(901年)に創建された真言宗の由緒ある古いお寺。約80枚の花鳥の彩色画からなる天井絵は、郷土の文人が寛政9年(1797年)に描いたもので、真庭市の指定文化財にもなっています。
開山は応永年間、最初は真言宗の寺院として建立され、その後、提山良山禅師が1679(延宝7)年に入山し、臨済宗永源寺派の末寺(大正14年発行・永源寺宗派図)となり今日に至る。
江戸時代初期の元和7(1621)年の創建としているが、詳しいことは分かっていません。本堂は江戸時代後期の天保2(1831)年に建築されたものです。
八塔寺山の深い緑の中、神亀5年弓削道鏡が開基したと伝えられ、今なお当時を偲ばせる寺院です。天台宗・本尊は十一面観音(行基作と伝う)境内裏の首なし地蔵は乳の出に霊験があり、池田光政寄進のつり鏡が現存する。
門前から約150の石段が山門へ続く。奈良時代の高僧報恩大師が建立した備前48ヶ所寺の一つとされ、現存するのは江戸時代後期の建築と見られる本堂と山門。