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備前国の戦国大名・浦上宗景により再興された神社で、15世紀代の石鳥居や江戸時代に建立された本殿が残ります。旧赤坂郡式内社のひとつ、宗形三女神を祭神として祀っています。

奈良時代(760年)に報恩大師によって創建されました。再興と火災の後、江戸時代に建てられた三重塔と仁王門は今でも現存しています。境内には春の梅や桜、秋には紅葉が彩りを添え、絵巻物のような優雅な時間を過ごすことができます。

現在の社殿は1888年の改築で、境内にある奥御前神社は「狼様(おおかみさま)」と呼ばれ、盗難悪疫除けの神として広く民間の信仰を集めています。

江戸時代初期の慶長9年(1604)に初代津山藩主森忠政の津山城築城に際して城南の覗山(のぞきやま)に移り、さらに慶長13年に現在地へ移築された。現在の本殿は、寛永12年(1635)に2代目藩主の森長継が再建したもの。
真言宗の古刹。奈良時代の736年(天平8年)、越後の僧侶智泰澄により開基されたと伝えられています。本尊は十一面観世音菩薩。1404年(応永11年)の紀年名のある鰐口が伝わり、室町時代初期の作と推定される仁王像が山門に安置されています。仁王像は岡山県の指定文化…
室町時代の初期、信州戸隠神社から勧請した神社。古くは大鶴神社と称していました。祭神は天手力男之命と須佐之男命。5月中旬に行われるお田植祭、11月上旬の秋季大祭、12月上旬の霜月祭などのお祭りや初詣などのときには多くの参詣者でにぎわいます。神社全体が真庭…
1577年(正徳5年)に建立された清水寺。県指定の無形文化財の奇祭、「護法祭」が伝承されています。五穀豊穣、天下泰平を祈願し、毎年5月15日深夜に行われます。護法善神が修験者らの祈りつけにより、行を終えて身を清めた「護法実」と呼ばれる人物の身に乗り移り、「…

真言宗東光寺の山門外の地蔵堂に祀られ、縁日に油供養を行っていたことから「吉田の油地蔵」として親しまれています。像の左右に残る刻銘から、南北朝時代の1380(康暦2)年に、円仏の発願で造立されたことが分かります。花崗岩製で像高98cm。自然石の正面に地蔵菩薩…

創建は奈良時代の神亀3年(726年)にまで遡り、行基によって開基されたといわれています。平安時代に九条家の祈願所となり、鎌倉時代に源頼朝の命令で梶原景時が再建しました。本尊の薬師如来は国指定の重要文化財。持仏の不動明王と二童子像も国の重要文化財に、本堂…
天台宗開祖・伝教大師最澄(さいちょう)の高弟、慈覚大師円仁の開山。1666(寛文6)年、池田光政による寺社整理で焼き払われましたが、1681(天和元)年、信亮法師が現在の地に龍城院として法燈を中興し継承しました。庭園は、徳島嵯峨派の庭師による江戸時代の造庭…
萱拭屋根の本坊が目印
嵯峨天皇によって創建された京都嵯峨野の大覚寺を大本山と仰ぐ、真言宗の寺院。本尊は、弘法大師作と伝えられる聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)で、1558~1569年に宝妙寺が創建された際に移され、現在に至るまで本尊として篤く信仰されています。
菅原道真が筑紫へ左遷されたとき、途中で船から降りて丘にあがり、真水を汲んで、その水で墨をすり、歌を一首詠んだ所といわれ、その跡に創建されたのがこの神社とされています。

石山は慶長8(1603)年、森忠政の津山城築城にあたり最初に石を切り出したところです。この寺は、石材の切り出し中死んだ人を弔ったり、工事の安全を願って建てられたと言われています。寺の周囲には石切場跡があり、今だ岩肌にはノミの痕が残っています。

寺伝によると、729年(天平元年)行基菩薩が創建し、1543年(天文12年)もしくは1547年(天文16年)に現在地に移転されました。現在の本堂は棟札から1726年(享保11年)に再建されたものです。
広く美作地方一円の人々から古来より「学問の神」「書の神」として崇敬され、信仰を集めています。受験シーズンには合格祈願が毎年行われています。

宝暦8年から行われている伝統の獅子舞
天安元年(857年)美作一宮中山神社から勧請して祠頭大明寺と称し、今日の西粟倉村、旧東粟倉村のうち知社、筏津、川東を除いた地域と兵庫県に編入されている奥海を加えた広大な地域の総鎮守です。
和気氏政庁跡の南側に位置し、出土の瓦から奈良時代に建てられた古代和気氏の氏寺「藤野寺」があったといわれています。
950年の歴史をもつ備前加茂大祭の行われる境内にはその歴史を物語るかのように樹齢約500~600年ものスギ、ヒノキ、イチョウの巨木がうっそうと繁り、静かなたたずまいを今に残しています。

本殿は、棟札によると1703年(元禄16年)の建築で、檜皮葺、流れ造り三間社です。2本の丸柱を建てて内々陣をつくり、平面的には、中世的な性格をもったものです。妻の部分は、二重虹梁、大瓶束、蟇股、支輪を使用して、美しい構成になっており、江戸中期に完成された…
慶長19(1614)年、大金持ちの蔵合氏の願いで建てられた寺で、本堂は当時のもので、本尊の不動明王は鎌倉期の作と伝えられています。
清瀧寺は弘仁12年(821年)人皇52代嵯峨天皇の勅旨により弘法大師が開基されたものと伝えられている。
嘉吉年間(1441~44)の創建と言われています。宇宮谷に勧請したのを嘉吉年中旧領主赤松氏が今の地に遷し再建しました。当時は日生神社、厳島神社と言われていましたが、後に春日神社と改称されました。旧領主の赤松氏、宇喜多氏、池田氏の尊崇深く、境内除地、神田、…

那須与一が屋島の合戦の功績として与えられた荏原荘に、那須氏が地頭として来地後、菩提寺として開基したと言われています。境内には、与一が屋島の合戦で弓を引く際に破り捨てた片袖を祀ったという袖神稲荷があります。また、寺の北東の山中には与一を供養する五輪塔…
平安時代、花山上皇が備中国にご滞在された際、この地に伏見稲荷大社(京都府)を勧進されたのが始まり。戦国時代から歴代の備中松山城主の崇敬が厚く、社殿の造営や寄進などが行われてきました。
早島の氏神として600年の歴史を刻む鶴崎神社。四代領主戸川安晴が奉納した絵馬や太田利平太が奉納した早島十景の扁額は町の重要文化財に指定されています。

熱心な日蓮宗徒であったと伝えられる浮田土佐守こと宇喜多忠家が、天正9(1581)年に起工し、同11(1583)年に完成しました。棟札より慶安4(1648)年に大修理が行われたことがわかっており、創建当時の豪壮な桃山建築の特色を残しています。

消渇神社の主神である一豊姫は、戦国時代末の天文永録年間、この備中国後月郡(現在の岡山県井原市高屋町)で活躍した豪族・藤井能登守皓玄の姫でした。社家の伝承によれば、姫は日頃身体病弱で天照大神少彦名命大国主命を厚く信仰していたのですが、年壮にして激甚な…
雷除けに霊験あらたかなことから、別名を「雷神社」と呼ばれる鴨神社。毎年5月3日に行われる大祭は、雷除けの祭りとして古くから農家の信仰を集めてきました。
境内には御神木として崇められている推定樹齢660年の大杉があり、目通り周囲5.4m、樹高約40m。美作県民局の名木百選です。

門前から約150の石段が山門へ続く。奈良時代の高僧報恩大師が建立した備前48ヶ所寺の一つとされ、現存するのは江戸時代後期の建築と見られる本堂と山門。
開山は応永年間、最初は真言宗の寺院として建立され、その後、提山良山禅師が1679(延宝7)年に入山し、臨済宗永源寺派の末寺(大正14年発行・永源寺宗派図)となり今日に至る。
江戸時代初期の元和7(1621)年の創建としているが、詳しいことは分かっていません。本堂は江戸時代後期の天保2(1831)年に建築されたものです。
文化11(1814)年に建てられたもので、社殿・唐門・総門の3棟が現存しています。本殿と拝殿とを会いの間でつなぐ権現造で、屋根は共に入母屋造です。

里庄富士のふもとの小高い丘陵にあります。白壁と老松がめぐり優美な鐘楼堂、銅板屋根の本堂や山門などの諸堂があり、甍を垂れ閑静にして端正なたたずまいです。
延喜元年(901年)に創建された真言宗の由緒ある古いお寺。約80枚の花鳥の彩色画からなる天井絵は、郷土の文人が寛政9年(1797年)に描いたもので、真庭市の指定文化財にもなっています。