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金山寺は備前48ヵ寺の根本道場として栄えた名刹です。報恩大師により749年に開山。平安末期に栄西禅師が入山し、灌室、菩薩堂などを建立しました。毎年2月の第1土曜に県内で最も古い会陽「金山寺会陽」が行われます。

1441年(嘉吉元年)、芳井町の天神山に開かれた臨済宗仏通寺派のお寺です。重玄寺を開いた千畝和尚(せんみょうおしょう)は近衛家の生れといわれ、天皇家、近衛家ゆかりの宝物が今に伝えられています。また重玄寺は室町時代に活躍した画僧・雪舟が亡くなった場所と伝…

寺伝によると、729年(天平元年)行基菩薩が創建し、1543年(天文12年)もしくは1547年(天文16年)に現在地に移転されました。現在の本堂は棟札から1726年(享保11年)に再建されたものです。
739年に創建されたお寺。約1,500坪ある境内は、周囲を120mに及ぶ石垣と城壁のような白壁に囲まれ、「白鷺が羽を広げたような」偉容を誇っています。
宝暦8年から行われている伝統の獅子舞
天安元年(857年)美作一宮中山神社から勧請して祠頭大明寺と称し、今日の西粟倉村、旧東粟倉村のうち知社、筏津、川東を除いた地域と兵庫県に編入されている奥海を加えた広大な地域の総鎮守です。
延喜元年(901年)に創建された真言宗の由緒ある古いお寺。約80枚の花鳥の彩色画からなる天井絵は、郷土の文人が寛政9年(1797年)に描いたもので、真庭市の指定文化財にもなっています。
1577年(正徳5年)に建立された清水寺。県指定の無形文化財の奇祭、「護法祭」が伝承されています。五穀豊穣、天下泰平を祈願し、毎年5月15日深夜に行われます。護法善神が修験者らの祈りつけにより、行を終えて身を清めた「護法実」と呼ばれる人物の身に乗り移り、「…

伊弉諾命、伊弉冊命を祭神とする神社。創建は平安時代の末期、久寿2年(1155年)。寛文11年(1671年)に建立された中山造りの本殿は入母屋造銅板葺の造りで、真庭市指定の文化財となっています。
鎌倉時代末期の13世紀に創建された西身延(にしみのぶ)と呼ばれる古刹。日蓮宗西国布教の拠点となりました。本堂は、県の重要文化財に指定されており、境内の番神堂は、国の重要文化財に指定されています。

広く美作地方一円の人々から古来より「学問の神」「書の神」として崇敬され、信仰を集めています。受験シーズンには合格祈願が毎年行われています。

江戸時代初期の元和7(1621)年の創建としているが、詳しいことは分かっていません。本堂は江戸時代後期の天保2(1831)年に建築されたものです。
美作三大社の1つで主祭神に神武天皇の父にあたる「彦波限建鵜茸草茸不合尊」を、相殿には中山神社の主祭神「鏡作神」と美作総社宮の主祭神「大己貴命」を祀っています。

清瀧寺は弘仁12年(821年)人皇52代嵯峨天皇の勅旨により弘法大師が開基されたものと伝えられている。
温泉街の中央に位置する温泉薬師堂は、失ったものが帰ってくるお薬師様として信仰を集めています。また、薬師堂のすく横からは、湯原温泉の源泉がこんこんと湧き出ています。薬湯としてお清めができます。

菅原道真が筑紫へ左遷されたとき、途中で船から降りて丘にあがり、真水を汲んで、その水で墨をすり、歌を一首詠んだ所といわれ、その跡に創建されたのがこの神社とされています。

現在の社殿は1888年の改築で、境内にある奥御前神社は「狼様(おおかみさま)」と呼ばれ、盗難悪疫除けの神として広く民間の信仰を集めています。

井原市西江原町の「永祥寺」境内にある稲荷で、当地にゆかりのある那須与一が屋島の合戦で扇の的を射抜くとき、破り捨てた袖を祀っています。別名「一発稲荷」として多くの受験生が願かけに訪れます。


中山神社・高野神社と並ぶ美作三社の1つであり、神社の創建等は不詳。美作65郷912社を合祀しています。
創建は奈良時代の神亀3年(726年)にまで遡り、行基によって開基されたといわれています。平安時代に九条家の祈願所となり、鎌倉時代に源頼朝の命令で梶原景時が再建しました。本尊の薬師如来は国指定の重要文化財。持仏の不動明王と二童子像も国の重要文化財に、本堂…
那須与一が屋島の合戦の功績として与えられた荏原荘に、那須氏が地頭として来地後、菩提寺として開基したと言われています。境内には、与一が屋島の合戦で弓を引く際に破り捨てた片袖を祀ったという袖神稲荷があります。また、寺の北東の山中には与一を供養する五輪塔…
江戸時代初期の慶長9年(1604)に初代津山藩主森忠政の津山城築城に際して城南の覗山(のぞきやま)に移り、さらに慶長13年に現在地へ移築された。現在の本殿は、寛永12年(1635)に2代目藩主の森長継が再建したもの。
文化文政時代の頃からこの地方では芝居が盛んで、中島東地区の松神神社に歌舞伎舞台が伝わっています。当時の精巧な回り舞台が保存されており、昭和38年に「岡山県重要有形民俗文化財」に指定され、現在も毎年春に中島東地区の方を中心に公演が開催されています。

神社の屋根瓦や木の彫刻飾りでは昔話やおとぎ話の世界が楽しめます
南北朝時代の1351年(正平6年)5月5日の創建で備中杉山城の守護神です。杉山山頂には杉山城の主郭と軍神社がありましたが、のちに軍神社は杉山麓に奉遷され、1909年(明治42年)頃に再建されました。奥の院は奉遷の頃に杉山山頂に創建されたようです。神様は二人で、①…

雷除けに霊験あらたかなことから、別名を「雷神社」と呼ばれる鴨神社。毎年5月3日に行われる大祭は、雷除けの祭りとして古くから農家の信仰を集めてきました。

子授けの神様としても古くから信仰
久米南町と赤磐市との境に鎮座する「金勢大明神」は、夜尿症や腰から下の病気にご利益があり、子授けの神様としても古くから信仰されており、全国から参拝者が絶えません。神社には願いが叶った参拝者が持参する男性器を模した供え物が数多く奉納されています。

宝暦年間(1751~1764年)に安国寺と改名され、鐘楼を改築しました。梵鐘には永和3年(1377年)と刻銘されていることから美作地方では最古の物と言われています。

門前から約150の石段が山門へ続く。奈良時代の高僧報恩大師が建立した備前48ヶ所寺の一つとされ、現存するのは江戸時代後期の建築と見られる本堂と山門。
文化11(1814)年に建てられたもので、社殿・唐門・総門の3棟が現存しています。本殿と拝殿とを会いの間でつなぐ権現造で、屋根は共に入母屋造です。

里庄富士のふもとの小高い丘陵にあります。白壁と老松がめぐり優美な鐘楼堂、銅板屋根の本堂や山門などの諸堂があり、甍を垂れ閑静にして端正なたたずまいです。
消渇神社の主神である一豊姫は、戦国時代末の天文永録年間、この備中国後月郡(現在の岡山県井原市高屋町)で活躍した豪族・藤井能登守皓玄の姫でした。社家の伝承によれば、姫は日頃身体病弱で天照大神少彦名命大国主命を厚く信仰していたのですが、年壮にして激甚な…
国指定重要文化財の不動明王坐像、地蔵菩薩立像が安置されているほか、境内には大樹「モッコク」があり、井原市の天然記念物に指定されています。
奈良時代(760年)に報恩大師によって創建されました。再興と火災の後、江戸時代に建てられた三重塔と仁王門は今でも現存しています。境内には春の梅や桜、秋には紅葉が彩りを添え、絵巻物のような優雅な時間を過ごすことができます。
天明年間(1781~1788年)頃、伊予の国 宇和島藩家老の山家(やんべ)清近衛公頼を祭った宇和島の和霊神社の分霊を祭ったとみられます。悪疫を鎮め、勝運の神様として近郷の人々から崇拝されていました。

平安時代、花山上皇が備中国にご滞在された際、この地に伏見稲荷大社(京都府)を勧進されたのが始まり。戦国時代から歴代の備中松山城主の崇敬が厚く、社殿の造営や寄進などが行われてきました。
現在の本堂は宝暦7(1757)年に再建したもの。西東三鬼の代表作「水枕 がばりと寒い 海がある」の句碑墓があります。