鶴田石材株式会社/鶴田康範さん
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鶴田石材株式会社/鶴田康範さん
岡山県南西部に位置し、笠岡諸島最大の面積を誇る北木島は、かつて日本の近代建築を支えた採石業で栄えた歴史があり、「石の島」として知られています。今もこの島で、石材業を営み、歴史ある石切り場(採石場)を守り続けているのが鶴田石材株式会社・代表取締役の鶴田康範さんです。鶴田さんは島の特産品であり、瀬戸内三大銘石の一つに数えられる「北木石(きたぎいし)」を産業観光の切り口でPR。島民や旅行会社と連携した観光ツアーの企画や北木石のグッズ制作のほか、島で唯一残された採石場に「石切りの渓谷(たに)展望台」を設置しました。令和元年(2019年)、北木島を含めた備讃諸島の石切りストーリーが日本遺産に認定。地域の観光振興に大いに貢献しています。
北木島の採石の歴史
北木島の石切りの歴史は大坂城(大阪城)の石垣に使用された江戸時代にさかのぼります。島で採石される良質な花崗岩は、明治時代の国家的大事業である日本銀行本店本館造営をはじめ、明治神宮の神宮橋、三越本店、靖国神社の大鳥居などに次々と採用され、日本の近代化を支える建材として全国にその名を知られていきました。北木石の材質は、石に粘りがあり、薄く加工しても割れにくいという特性があり、建材だけでなく墓石などにも高い需要が生まれ、海運も発展し、島は大いに栄えました。ところが、1960年代以降は安価な輸入石材の影響で島の石材業は徐々に衰退していきます。ピーク時は島内に127もあったといわれる採石場が、現在は鶴田石材1社のみとなっています。
商社勤務から石材業へ転身
鶴田石材が創業したのは、明治25年(1892年)のことです。島内でも採石が活発な金風呂(かなふろ)地区で石材業を営んできました。康範さんは4代目にあたりますが、当初家業を継ぐ予定はなく、東京の大学に進学後、専門商社で営業職に就きました。ある日、父の英輔さんが体調を崩したことをきっかけに帰省。島の採石の現状を目の当たりにし、故郷に戻ることを決めました。「安価な外国製の石が入ってきてから、北木石が売れなくなっていました。もともと石切りは危険と隣り合わせのハイリスクハイリターンな仕事。でも私が戻った頃はハイリスクノーリターンな状況でした。石材業をやめる事業者も増え、自社の社員も半分以下に減っていました」。この危機的状況を回避するため、鶴田さんは様々な取組に着手します。
北木石の歴史を掘り起こし、価値を再構築
平成16年(2004年)、鶴田石材に入社。父・英輔さんが石を切り出し、鶴田さんが営業にまわる二人三脚の日々が始まりました。その中で、鶴田さんが最初に行ったのは、北木石の歴史の掘り起こしでした。「営業先で北木石を見せたとき、これは海外産の偽物ですかと問われ、愕然としたのがきっかけです。そこで、歴史や特性などを含め北木石の本来の価値を正確に知ってもらう努力を始めました」。
休日に足を使ってコツコツと調査を重ね、北木石材商工業組合の協力のもと、北木石のパンフレットが完成しました。昔ながらの石工たちは職人気質で、石を切り出すことについてはプロでも、北木石の歴史や特性をわかりやすく説明できる人が少なく、鶴田さんはそのことも競争力を失った原因ではないかと考えていました。パンフレットが完成したことにより、ブランドイメージは徐々に蘇っていきました。
産業観光への転換と新たな取組
県内外での営業活動を通して、今後は取引先だけでなくエンドユーザーに直接訴えていく時代だと感じた鶴田さんは、産業観光に注目します。その第一歩として、島の漁師と連携した観光ツアーを企画。漁師体験(つり、網漁)や、石切りの現場見学をツアーに組み込むなどの取組を始めました。併せて、北木石のお土産物も制作。お皿やコースター、ランチョンマットなど様々なアイテムを企画・販売し、石の美しさと耐久性をアピール。その背景には当時たくさん出回っていた北木石の粗悪品の存在がありました。「粗悪品は薬品で品質をごまかしており、雨にふられると黄ばんだりします。しかし弊社の北木石は地中深くから切り出しているため、石に粘りがあるだけでなく酸化(変色)しにくい。そのことをどうしても証明したかった」と鶴田さんは語ります。この取組が評価され、平成22年(2009年)、北木石は「かさおかブランド」に認定。見事、その信用を回復させました。
また、かつて石工たちが作業場で歌っていた石切唄にも注目。保存会に足を運んで唄を覚え、現在は社員全員でその伝承に取り組んでいます。危険と隣り合わせの現場で働く石工たちの気持ちをつなぐ石切唄は、北木島の石切り文化を語るうえで欠かせない存在です。
石切りの渓谷展望台の建設
鶴田さんの取組の中で、北木島の知名度向上に大きな役割を果たしたのが、平成29年(2017年)に完成した「石切りの渓谷展望台」です。この展望台は、島で唯一、今も石切りが行われている同社の丁場(採石現場)の中に建設されました。その背景には産業観光としての役割に加え、危険の伴う石工の仕事と、特殊な技術で切り出される石の価値を感じてほしいという鶴田さんの想いがありました。一番の見どころは、昭和30年代に採石が機械化して以降、高品質な石を求め山の上から地下まで掘り進めた結果生まれた断崖絶壁の風景です。高さ約60メートルの展望台からの眺めは迫力満点で、採石によって切り出された岩肌と美しいエメラルドグリーンの湖面を望むことができます。現役の採石現場を安全に見学できる希少な場として一般公開され、ダイナミックで特異な景観が話題となりました(公開時間は同社のHP参照)。今では、年間約3,000人が訪れる人気スポットになっています。
石切りストーリーが日本遺産に認定
展望台の建設後、笠岡市では日本遺産認定に向けた機運が盛り上がります。世界遺産の権威として知られるニール・コソン卿が現地を訪れ、展望台からの風景を絶賛したことも追い風になったそうです。
令和元年(2019年)5月、北木島を含む備讃諸島の石切りストーリー「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島~海を越え、日本の礎を築いた せとうち備讃諸島~」が、日本遺産に認定されました。構成文化財には、「北木石の丁場(採石場)」や「北木島石切唄」などが含まれ、鶴田さんのこれまでの取組が大きく評価された形となりました。「展望台が日本遺産認定のきっかけになりました。父は“我々は猿山の猿ではない”と展望台の建設には強く反対しており、一年もの間口をきいてくれませんでした。しかし、日本遺産のことは気にかけてくれていたようで、認定されたとき“これで安心して死ねる”とこぼしたことは心に残っています。父が亡くなったのは新聞発表の1か月後のことです」。鶴田さんは、当時をそう振り返ります。
次世代に向け、島の受入体制づくりを強化
日本遺産認定をきっかけに島を訪れる観光客が増えましたが、展望台のある金風呂地区は食事場所などの受入体制が十分ではありませんでした。そこで、令和4年(2022年)海鮮からあげ専門店「橙屋(だいだいや)」をオープン。近海で獲れた海産物のから揚げ丼や、笠岡産鶏もも肉のから揚げなど地産地消の食事を提供しています。現在は週一回水曜日のみの営業ですが、団体の場合は事前に予約すれば、他の曜日も営業してくれるそうです(鶴田石材TEL:0120-68-2120)。
最後に、今後の展望について伺いました。「今は丸亀城城壁修復に使われる石の採石をメインに行っています。今後は石切りの歴史が残る丸亀や小豆島などとも連携しながら、北木石というブランドに恥じない事業を続けていきたいと思います。また、展望台から採石現場を安全に見ていただけるよう、これからも整備を続けます」と語ってくれました。江戸時代から続く石切りの物語が、今もなお息づく北木島。島の石工たちの想いを受け継ぎながら、今日も石を削る音が鳴り響いています。




































