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雪舟・阪谷朗廬・内山完造といった芳井町ゆかりの人物を中心に、芳井町の歴史や文化を写真や資料でわかりやすく解説しています。
開場から20年余が経過して、各ホールの改良が進み、 丘陵地にありながらアップダウンの少ない平坦なホールが大半でグリーンが見渡せる準リンクスコースとして成長進化しています。
1851年母の看護の為に帰郷した学者阪谷朗廬(ろうろ)が若者の育成を目指して開いた漢学塾の跡地。現在では、記念碑があります。
井原市西江原町の「永祥寺」境内にある稲荷で、当地にゆかりのある那須与一が屋島の合戦で扇の的を射抜くとき、破り捨てた袖を祀っています。別名「一発稲荷」として多くの受験生が願かけに訪れます。
1185年2月19日、四国屋島の合戦で弱冠17歳の那須与一は、扇の的を見事一矢で射落とした軍功により備中荏原荘など5ヵ所の領地を賜りました。この墓は古くから扇の的一射必中の故事にあやかって願い事がかなうと伝えられてきました。近頃、特に高校・大学受験の合格を祈…
北条早雲の父である、高越城主伊勢新左衛門盛定が建てた伊勢氏の菩提寺で、早雲も改修・造営を行い、祖先の菩提を弔っています。境内にある宝篋印塔は、盛定と早雲の墓と伝えられています。
白糸の滝は、詩人・西条八十の命名した滝として有名です。交通の便の良い県道166号線沿いにあるため、隠れた名勝として訪れる人は少なくありません。季節によっては水量が少ないこともありますが、実際には、5段、落差25mもある大きな滝です。
県下では珍しい扇の縄と呼ばれる型式で、城郭は扇を広げたように配置され、四段にわたって構築されています。築城時期は不明ですが、南北朝時代に今川氏、後に上田氏が城主となりました。天正3年(1574)に毛利氏の城攻めを受けて落城し、その後江戸時代初期に廃城と…
弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての墳墓群で、箱式石棺・土壙墓・特殊器台棺等多様な埋葬を伴う集団墓と、前方後円墳状の墳丘墓とから成り立っています。集団墓から発見された特殊器台から、古墳時代の円筒埴輪の起源が特殊器台から変化したことも明らかになりま…
酒造り文化、歴史の伝承、開かれた酒蔵を目指し、酒造資料館の併設、絶滅していた酒米の復活、有機無農薬による酒米づくりから酒造りまで体験できる「酒づくり大学」の開催等地域に密着した活動を行っています。
飛鳥時代に創建された寺院跡で、塔の心礎は往時の位置に現存しています。出土した軒丸瓦は2種類が確認されていて、第1類は県内最古の飛鳥様式で、第2類は吉備式と呼ばれるものです。
備中松山藩儒・山田方谷(1805~1877)の功績・遺徳を末永く顕彰するため、時の上房郡教育会の拠出金により造られた小公園。明治43年(1910)5月に完成しました。山田方谷は、幕末の藩政改革などに貢献した陽明学者。園内には、三島中州撰文の方谷園記念碑、方谷山田…
新鮮野菜、果物、手作り加工品を販売。直売所は、弥高山のふもとにあり、四季を通じて美しい景色を楽しめます。4月第3日曜日には、弥高つつじ祭を開催。
垂直にそそり立った岩壁が数百メートルにわたって連なっています。この岩壁を求めて、全国からフリークライミングをする若者たちが訪れ、思い思いにチャレンジしています。
高瀬川ダムは、岡山県西北部の新見市神郷釜村に位置しており、一級河川高梁川水系では最上流のダムです。ゲート操作を行わない自然調節方式としては、鳴滝ダムと並び岡山県で最初のダムです。
岡山県南部の稲作地帯約12,000haへ、かんがい用水を補給するため、農林水産省により築造され、土地改良区へ管理委託されています。ダム周辺は県立自然公園に位置し、豊かな自然に囲まれ、訪れる人へ憩いの空間を提供しています。湖の名称は美穀湖(みよしこ)。
千屋ダムは、洪水調整、流水の正常な機能の維持、上水道及び水島臨海工場地帯(倉敷市)への工業用水の確保供給と併せて、発電を行っている多目的ダムである。
山田方谷が隠棲の後に立てた小庵で、外祖父母を祀る持仏堂と3畳の仏間、3畳の床の間を中心とした平屋の簡素な建物です。県の文化財史跡に指定されています。
JR芸備線矢神駅の上り線ホームに薄緑色(萌葱色)に咲く桜。花は緑色と黄色の部分が混じっていて、黄緑色の花びらの中心に白い線が入り、満開になるにしたがって紅色の線が現れます。開花時期は普通の桜よりやや遅く、4月下旬~5月上旬頃。
安倍晴明ゆかりの神社
寄島町の鎮守の森、大浦神社は997年、安倍晴明がその霊地に応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三神を祭り、地方の氏神とした、と伝えられています。社殿は当初、三郎島の霊地にまつられていましたが、永禄年中、鴨方藩の細川通董公により現在の地に移されました。境内地…
早島町消防団の訓練やスポーツ少年団の練習、地域団体によるグラウンドゴルフ、夏まつりなどが行われるグランドです。
2018年3月にオープンした施設です。細い山道を抜けた先にあるのは、まさに桃源郷と言わんばかりの風景です。地元野菜を使った田舎料理や農業体験や自然体験ができます。山歩きや山菜採りの際の休憩施設としてはもちろん、手ぶらでキャンプやバーベキューもできます。
築城年代は定かではありませんが、源平合戦で功のあった庄家長がこの地に築城したのではないかといわれています。
丘陵の斜面を整地して造営された下道氏の墓地。ここから和銅元年(708年)の銘文のある銅製骨蔵器等が発見され、奈良時代の墓制を知ることができる貴重な遺跡とされています。
郷土が生んだ古代史の英傑、吉備真備公の道徳を偲んで設けられました。広場の正面には巨大な吉備公の像が建立され、矢掛の町を見守っています。「日本の歴史公園100選」に選定されています。
1533(天文2)年に法印精良上人が開山し、1692(元禄5)年に現在の場所に移転しました。1812(文化9)年の大火で本堂を焼失しましたが、弘法大師自作28体のひとつとされている大師像は自ら本堂より抜け出て難を逃れたといわれています。その夜、眼に火傷を負った僧侶…
椿の花を敷きつめた真紅の絨毯は必見!
圀勝寺の境内には樹高8m、樹齢350年を超えるといわれる、立派な大椿があります(町指定天然記念物)。4月上旬~中旬にかけて八重の花をつけ、落ちた花が樹下に真紅の絨毯を織り成します。深い緑の葉と色鮮やかな赤い花々の対比は息をのむほどに美しい風景。毎年4月の…
旅の記念に井原デニムのハンドメイド体験
オープンファクトリー・実演販売・体験スペースの複合的な機能を持つ体験型デニムショップです。デニムの聖地井原市で井原デニムとコラボした服飾小物を一つ一つ心を込めて手づくりしています。また、トートバッグやクラッチバッグ、BOXティッシュケースなど。井原デ…
校門の扁額は「日本資本主義の父」渋沢栄一が揮毫
嘉永6年(1853年)開校の、一橋徳川家と地元有力者が運営した郷校です。漢学者の阪谷朗廬が初代館長を務めました。校門に掲げられた「興譲館」の扁額は、阪谷朗廬と親交のあった渋沢栄一が明治45年(1912年)に揮毫したものです。