高梁川と高瀬舟の歴史めぐり カブライダーこばんが行く!vol.13

新見市から倉敷市に縦断する高梁川沿いには、かつて物資の輸送で活躍していた高瀬舟について知ることができるスポットが点在します。
高梁川の源流がある新見市千屋花見からスーパーカブで南下しながら、見どころを紹介します。
掲載日:2021年05月07日
  • ライター:こばん(小林美希)
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高梁川の源流があるまち 新見市千屋花見

新見市から瀬戸内海までを南北に流れている高梁川は、吉井川、旭川とともに岡山三大河川の一つです。支流を含めた流域面積は岡山県で最大となっています。
今回は源流があるまちから高梁川本川に沿って河口まで走り、見どころを訪れました。
まずは源流がある新見市千屋花見へ。鳥取県との県境にあるまちです。源流はたいそう山の奥ということで、探すのは諦めました。
それでも、源流付近の高梁川を見てびっくり! まるで小川です。
高梁川の河口付近の浅口市に住んでいる私にとって、高梁川といえば川幅が広い大きな川というイメージだったので驚きました。
山に降った雨や雪解け水が、わき水となって山のあちこちから集まり、徐々に大きな川になっていくのですね。
国道180号を南下するルートは、水量が増え広がっていく川幅を見ながら走ることができおすすめです。

千屋ダム(新見市)

千屋ダムは高梁川本川の最上流部にあるダムです。河川の水量の調整や、生活用水、水島臨海工場地帯への工業用水の確保供給、発電などを行っています。平成10年(1998年)に完成しました。
2つの赤い小さな屋根がかわいらしいですよね。
上からの風景は圧巻!
管理事務所1階に展示室があり、ダムの仕組みや千屋ダムができるまでを学ぶことができます。
ダムカードもゲットしました。

高梁市観光駐車場

国道180号を南下し、高梁市観光駐車場へ。駐車場の一角に、原寸大で復元された高瀬舟があります。
高瀬舟とは、河川で用いられた木造の舟のこと。物資の輸送に使われていました。室町時代頃から使われてきたそうですが、高梁川では江戸時代以降に特に活躍しました。備中松山藩主水谷(みずのや)氏の時代に高梁川河口西岸の干拓を行なったため、玉島港の整備とともに高瀬舟を通すための「高瀬通し」という運河を築いた独特の歴史があります。高瀬舟は昭和3年(1928年)、現在のJR伯備線の全線開通まで利用されていました。
復元された高瀬舟は、中に入ることもできます。意外と広く、その大きさに驚きました。
周りには高瀬舟の歴史や史跡紹介などのパネルが展示されています。

高梁市郷土資料館

高梁市郷土資料館2階にも、復元された高瀬舟が展示されています。
舟漕ぎに使われていた櫓(ろ)や、たまり水を汲みだす「垢取り」という道具、神棚なども見ることができます。命がけの移動だったのでしょう。
高梁市郷土資料館は、旧高梁尋常高等小学校の本館。明治37年(1904年)に建築され、市の重要文化財として保存されています。中の展示だけでなく建物も見ごたえがありました。
江戸時代から昭和初期にかけての生活用具など3000点が展示されています。

落合橋下の猿尾(高梁市)

高梁市の国道180号沿い、落合橋の西の下には「猿尾(さるお)」があります。写真左下の白い石垣です。
猿尾とは、川の水流から守るための土手のような石垣のこと。舟着き場の名残です。江戸時代には川沿いにたくさんの猿尾があったようですが、今も残っているものは珍しいそう。
見学のための駐車場や看板などはありませんが、ドライブ中に見つけられたらラッキーです。

一の口水門(倉敷市)

さらに南下し総社市に入ると、どんどん川幅が広がってきました。高梁川の西側の河川敷にあるそうじゃ水辺の楽校ではキャンプを楽しんでいる人も。
倉敷市船穂にある「一の口水門」を訪れました。江戸時代に築かれた運河、「高瀬通し」の起点です。ここから旧玉島港まで約9kmの水路が整備され、高瀬舟が行き来していたのです。用水路としても活用されていました。
実際に訪れると、幅が小さく驚きました。幅5~7mの水路が続いています。写真左の土手の向こうが高梁川です。
下流約350mのところには、二の水門があります。ふたつの水門との間で水位の調整を行っていたそうです。
看板には「舟には3人ないし4人が乗り込んでいた。親方は舟に残って棹を川底につき立てて舟を進め、小船頭と呼ばれる曳子が綱を肩にして両岸から引っ張った」とあり、イラストが。
上流に向かうのは大変だったでしょうね。

玉島市民交流センター 玉島歴史民俗海洋資料室(倉敷市)

高梁川の河口がある倉敷市玉島へ。玉島市民交流センターにある玉島歴史民俗海洋資料室を訪れました。玉島の歴史や民俗に関する資料が展示されています。
入口に大きな船の模型が! 高瀬舟かと思ったら、千石船でした。
その隣の小さな模型が、高瀬舟です。
千石船(北前船)の寄港地だった旧玉島港は、瀬戸内海随一の商港として繁栄しました。
千石船と高瀬舟が一緒に並んだ写真を見ることもできました。高瀬舟は下りは綿・煙草・鉄・銅などを運び、上りはニシン粕などを運んでいたそうです。人々の生活を支える物資の輸送において、重要な動脈となっていたことがわかります。

終わりに

実際に高梁川沿いを新見市千屋花見から倉敷市玉島まで走ってみると、その距離100km以上でした。こんなに長い距離を舟で行き来していたとは! 特に川の流れに逆らって上流へ向かうのは大変だったろうと思います。
史跡を訪れると、当時の賑やかな様子が目に浮かびます。ぜひ高梁川沿いを走るときには史跡めぐりもしてみてください。
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