古風な天守
天守の構造(1)
そして、天守台は「不等辺五角形」という非常にめずらしい形状で、同じ長さの辺や平行な辺がひとつもありません。これは全国の城の中で唯一無二です。
天守の構造(2)
創意工夫の結晶
・一重目の屋根では、中央から少し右側が2階の壁面にせりあがって不格好になることを防ぐため「唐破風」の出窓でデコレーションしています。
・二重目の大屋根では、2階平面の不等辺六角形に対応するために両端が「縋破風(すがるはふ)」のように変化するなど、複雑さを極めています。
・下から数えて三番目の三角形の屋根は、屋根裏部屋である3階の採光と換気のための出窓なので「重」には含みません。
・四重目は「唐破風」を設けることで、三重目の大屋根と下から迫ってくる出窓の屋根をうまく調和させています。
・五重目は入母屋の向きを二重目、三重目とは90度変えて変化をつけています。
参考:安土城との類似性
安土城は本能寺の変で焼失した後、数百年にわたり土に埋もれていました。発掘調査の結果、安土城の天守台は不等辺八角形であることが判明しましたが、建物の実態は謎に包まれていて詳細はよく分かっていません。はたして、不等辺八角形の天守台にピタリと沿うように天守を建てたのか、あるいは天守台の形状を無視して内側に長方形の天守を建てたのか、今も論争が続いています。もし、前者であるなら岡山城の天守と似ていた可能性は高いと思われます。
不等辺五角形の理由
まず、上の図をご覧ください。本丸にはかつて「岡山」という名前の小さな丘陵があり、その地形に沿って未発達な技術で石垣を築いたので「本段」の石垣のコーナーはすべて鈍角(角度が90度より大きいこと)になっています。対照的に、「中の段」は少し後の時代の新しい技術を用いた石垣なのでコーナーがすべて90度になっています。
残された謎
全国的に見ても天守台の形状と無関係に天守を建てた事例は多く、例えば会津若松城では天守の1階が天守台より小さく作られ、空いたスペースは土塀で囲ってカバーしていました。豊臣秀吉の大坂城天守でも同様の処置が施されていたようです。岡山城の天守においても、北側を少しセットバックさせれば1階平面を長方形にすることは可能だったはずですが、実際にはその方法が選ばれることはありませんでした。その理由こそが謎の核心だと思います。
仮説
岡山城の天守は城全体の北東に位置しているので、「鬼門除け」のために、あえてこのような形状にしたのではないでしょうか。その実例として、大分県の日出城に現存する「鬼門櫓」では、北東隅を斜めにカットしたように作られていて、建物の平面は「五角形」になっています。
まとめ
いずれにしても、岡山城の天守があのように複雑な形状をしている理由は謎なのです。世の中、謎を秘めているものほど美しいと思いませんか?唯一無二の天守をぜひ現地でご覧になって、その美しさを実感してみてください。