観光スポット
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慶長年間、池田利隆公が子宝に恵まれなかった際、祈祷後たちまち名君と仰がれた光政公が誕生したとされる由緒ある神社です。

温かみのある和風モダンな館内に、岡山県の誇る美術工芸品「備前焼」を常設展示。年間を通して趣向を凝らした企画展も開催されています。


里庄町の歴史、民俗、産業等に関する資料(大原焼、農耕具、生活用具)を展示し、これまでの里庄町について紹介しています。また、仁科芳雄、小川郷太郎両博士に関する資料も展示しています。

那須与一が屋島の合戦の功績として与えられた荏原荘に、那須氏が地頭として来地後、菩提寺として開基したと言われています。境内には、与一が屋島の合戦で弓を引く際に破り捨てた片袖を祀ったという袖神稲荷があります。また、寺の北東の山中には与一を供養する五輪塔…
埋蔵文化財を身近に感じ、興味と理解を深める学習施設
井原市内に所在する埋蔵文化財を、整理・研究・展示・収蔵するほか、市内に所在する文化財を活用し、市民の文化財に対する興味と理解を深めるための拠点施設です。展示室は、市内から銅鐸が3点出土したということで、エントランスに復元した銅鐸や銅鐸の埋納の祭祀の…
江戸時代から伝承される「農村歌舞伎」を公演
毎年10月に、江戸時代から美作市粟井地区に伝承されてきた「農村歌舞伎」で、美作市重要無形民俗文化財に指定されている「粟井春日歌舞伎」の公演を行っています。地元の人々による地下芝居で、作り込まれた舞台に華やかな衣装、味わいのある演目、伝統芸能を継承しつ…
吉備高原の南端に位置する、標高372.7mの山頂に築かれた山城です。 平安時代、この一帯は山岳仏教の霊場として栄え、多数の径塚が築かれたことから、径山城と呼ばれています。
美咲町中央運動公園の中に建つ黄福のオブジェ“幸せの「あいのす」”は、黄福のレンガ約5,000個を使用して町が制作したオブジェ。この中に入って“幸せの黄色いベンチ”に座り、「きみ(黄身)が好きだ~」と叫ぶと恋が叶うかも?黄福のレンガと…

文久3年(1863)に1万石に加増され、旗本から大名となり、陣屋を新たに築きました。しかし、慶応2年(1866)の倉敷浅尾騒動により襲撃を受け、焼失。
備中国風土記逸文『宮瀬川』(みやせがわ)によると、賀陽郡に『伊勢御神社』(いせのみかみのやしろ)の東に河があり、河の西に『吉備建日子命宮』(きびたけひこのみことのみや)があるので、この河を『宮瀬川』と称した、とある。この『伊勢御神社』を、神明神社(…
戦国時代にはこの城を中心に、松田氏・宇喜多氏・毛利氏などによって激烈な争奪戦が繰り広げられた。遺構は、山頂の本丸、二の丸、三の丸の主要な郭をはじめ、石垣、堀切等が確認されている。
東アジア情勢が緊迫した7世紀頃に築造されたと推定されています。発掘調査の結果、土塁線や一の木戸等の水門、石塁構造が確認されています。
現在の社殿は1888年の改築で、境内にある奥御前神社は「狼様(おおかみさま)」と呼ばれ、盗難悪疫除けの神として広く民間の信仰を集めています。

旧仁掘尋常高等小学校の建物を資料館として利用しています。学校の道具類や農機具、昭和の中頃まで使用された生活道具が主な展示品ですが映画館の映写機や古写真など町の様子を偲ばせる資料も展示しています。

北房地域の歴史と民俗を展示する施設。国指定史跡の大谷1号墳から出土した遺物や、中世の刀鍛冶国重一党の名刀も展示されています。

創建は奈良時代の神亀3年(726年)にまで遡り、行基によって開基されたといわれています。平安時代に九条家の祈願所となり、鎌倉時代に源頼朝の命令で梶原景時が再建しました。本尊の薬師如来は国指定の重要文化財。持仏の不動明王と二童子像も国の重要文化財に、本堂…
950年の歴史をもつ備前加茂大祭の行われる境内にはその歴史を物語るかのように樹齢約500~600年ものスギ、ヒノキ、イチョウの巨木がうっそうと繁り、静かなたたずまいを今に残しています。

昭和24年建設の現役木造校舎中学校
笠岡諸島の真鍋島にある中学校の木造校舎。昭和24年に建設された木造校舎は今でも現役です。懐かしい佇まいを見学に訪れる人も多く、観光スポットとして知られています。趣のある外観は映画「瀬戸内少年野球団」のロケ地としても使われました。

眼鏡橋とカキツバタのコントラストが美しい
神社の境内にある池一面にカキツバタが咲き、池に架かる眼鏡橋とともに独特の景観を生み出します。

生涯学習センターと人と科学の未来館サイピア、県立烏城高等学校を併設した複合施設。正門からの縦線と、各棟を繋ぐ空中デッキの横線によるシンプルでわかりやすい設計となっています。建築家/完成年:芦原義信/1996年見学・撮影について:館内見学可能

室町時代から江戸時代にかけて備前焼の同業者が共同で使用した大規模な窯の一つです。伊部の西方、蕃山の山麓に位置し、窯跡を伝える記念碑があります。

寺伝によると、729年(天平元年)行基菩薩が創建し、1543年(天文12年)もしくは1547年(天文16年)に現在地に移転されました。現在の本堂は棟札から1726年(享保11年)に再建されたものです。
旧瀬戸町域から出土した考古遺物や民俗資料を展示し、旧町域内の歴史や民俗を概観できます。なかでも、シカを描いた陣場山遺跡出土の埴輪や国指定史跡の万富東大寺瓦窯跡出土の東大寺瓦などの貴重な考古資料を展示しています。
片山潜は、1859年に久米南町羽出木村の庄屋に生まれたが、家計困窮のため、すぐ農耕、炭焼きなどをして働きました。このため、ほぼ独学で勉強し、明治13年に岡山県師範学校に入学。翌年、上京後、印刷工員として苦学し、明治17年、25歳で渡米。明治25年、アイオワ州グ…

商業で栄えた林野地区の蔵を活用
商業のまちとして栄えた時代の代表的な建物として、当時の文化や歴史を今に伝える地域の文化施設です。外側は風情のあるなまこ壁、内側は松の梁が剥き出しにかかるしっかりとした造りで、米倉として使われていた当時のまま温度が一定に保たれるなど、先人の知恵が詰ま…
吉備の方墳のなかでは最大級
旧山陽道を挟んで作山古墳の500mほど南にある古墳です。36x38mの規模をもち、吉備の方墳のなかでは最大級にはいります。埴輪などから中期前葉の築造が考えられています。
子授けの神様としても古くから信仰
久米南町と赤磐市との境に鎮座する「金勢大明神」は、夜尿症や腰から下の病気にご利益があり、子授けの神様としても古くから信仰されており、全国から参拝者が絶えません。神社には願いが叶った参拝者が持参する男性器を模した供え物が数多く奉納されています。

尼子氏に従って美作に入った草苅氏が天文2(1533)年に築城。城郭の範囲は、東西1.6km、南北0.5kmで、県内最大級の規模。天正12(1584)年に草苅氏が退城するまで約50年間一度も落城しなかったという。石垣、土塁、堀切等の遺構が確認される。

広く美作地方一円の人々から古来より「学問の神」「書の神」として崇敬され、信仰を集めています。受験シーズンには合格祈願が毎年行われています。

昭和28年創業で、今も当時の装いのまま店内には可愛い民芸品がたくさん展示されています。竹細工作りも体験できます。

慶長19(1614)年、大金持ちの蔵合氏の願いで建てられた寺で、本堂は当時のもので、本尊の不動明王は鎌倉期の作と伝えられています。
日本最初の公開民間天文台で、天文台内の5m観測ドームを記念館にしています。1926年に32cm反射望遠鏡を英国から購入して、日本最初の民間公開天文台「倉敷天文台」を創設した原澄治と、1941年~1990年まで倉敷天文台主事として新彗星や新星等新天体捜索に活躍した本田…
探鳥や草木の観察など自然が楽しめる農業公園です。岡山市東区竹原出身で現在の第一生命保険株式会社の創始者である矢野恒太恒翁により設立された三徳塾が前身。現在は農業公園として、また農業研修や交流の場所として利用されています。周囲を森に囲まれ、樹木や草花…

明治以前の勝北地域における生活様式や地域文化について、民具・農耕具・古文書などの展示品により紹介しています。

奈良時代(760年)に報恩大師によって創建されました。再興と火災の後、江戸時代に建てられた三重塔と仁王門は今でも現存しています。境内には春の梅や桜、秋には紅葉が彩りを添え、絵巻物のような優雅な時間を過ごすことができます。
日本古来の「たたら」製鉄が古くから行われてきた富地域。鍛冶屋谷たたら遺跡にはたたら(溶鉱炉)跡をはじめ、たたら師の村の跡が良好な状態で保存されています。たたら展示館では日本の文化や産業に大きく貢献してきた、たたら製鉄を詳しく紹介し遺物を展示していま…
聖人を祀る小さな祠
そば粉聖人様が祀られている小さなお堂。そば粉聖人とは、明治から大正にかけて飢饉や難病に苦しむ人々を救うために、自らの身を削って祈り続けた実在の人物・高木峯次郎(1851年~1918年)の俗称です。その功績を偲び、お堂が建てられました。毎年10月上旬から中旬に…
「けえべん」の歴史と歩みを紹介するミュージアム
かつて岡山市街地(後楽園駅)から西大寺市駅までの11.5kmを結んでいた軽便鉄道「西大寺鐵道」の歴史と歩みを伝えるミュージアム。当時の西大寺市駅の跡地に造られた「西大寺バスセンター」の一角にあり、貴重な資料展示をはじめ、西大寺鐵道沿線の風景をデフォルメし…

平安時代、花山上皇が備中国にご滞在された際、この地に伏見稲荷大社(京都府)を勧進されたのが始まり。戦国時代から歴代の備中松山城主の崇敬が厚く、社殿の造営や寄進などが行われてきました。