観光スポット
カテゴリやエリアで検索しよう!
カテゴリやエリアで検索しよう!
平安時代、花山上皇が備中国にご滞在された際、この地に伏見稲荷大社(京都府)を勧進されたのが始まり。戦国時代から歴代の備中松山城主の崇敬が厚く、社殿の造営や寄進などが行われてきました。
里庄富士のふもとの小高い丘陵にあります。白壁と老松がめぐり優美な鐘楼堂、銅板屋根の本堂や山門などの諸堂があり、甍を垂れ閑静にして端正なたたずまいです。
寺伝によると、729年(天平元年)行基菩薩が創建し、1543年(天文12年)もしくは1547年(天文16年)に現在地に移転されました。現在の本堂は棟札から1726年(享保11年)に再建されたものです。
昭和44年5月に国・県からの補助を受けて建てた収蔵庫と、昭和44年12月に広く市民一般の方々からいただいた寄付金により建てた展示館とを総称したものです。郷土館では、笠岡市内の考古・歴史・民俗資料を収集・展示して、郷土の歴史と文化の紹介につとめています。

江戸時代初期の元和7(1621)年の創建としているが、詳しいことは分かっていません。本堂は江戸時代後期の天保2(1831)年に建築されたものです。
岡山市街地の中にある前方後円墳
市街地の中にある全長150mの前方後円墳で、後円部頂上の天計(あまはかり)神社社殿の床下には竪穴式石室の天井石が露出しています。

探鳥や草木の観察など自然が楽しめる農業公園です。岡山市東区竹原出身で現在の第一生命保険株式会社の創始者である矢野恒太恒翁により設立された三徳塾が前身。現在は農業公園として、また農業研修や交流の場所として利用されています。周囲を森に囲まれ、樹木や草花…

木造二階建の寄棟造、桟瓦葺の大型の洋風住宅で、明治24年(1891)に建てられました。1・2階とも正面に半円形のアーチを置き、扉口を設ける。円柱が並ぶ吹き抜けのバルコニーは、17~18世紀に西欧諸国の植民地時代の建築(コロニアル様式)を模しており、異国情緒をよ…

弥生時代中期の住居が復元された大小5つの住居跡や作業所跡などがあります。隣接する弥生の里文化センターと合わせ見学ができます。

江戸中期に建築された(およそ300年前の)三間取り広間型の農家を移築したもので国の重要文化財に指定されています。

「けえべん」の歴史と歩みを紹介するミュージアム
かつて岡山市街地(後楽園駅)から西大寺市駅までの11.5kmを結んでいた軽便鉄道「西大寺鐵道」の歴史と歩みを伝えるミュージアム。当時の西大寺市駅の跡地に造られた「西大寺バスセンター」の一角にあり、貴重な資料展示をはじめ、西大寺鐵道沿線の風景をデフォルメし…

土蔵造二階建で、壁の大部分は海鼠壁として特徴ある外見を見せています。土蔵は、勝間田宿旧脇本陣の建造物として残された唯一の遺構で、参勤交代の要衝でもあった宿場町の景観を今に伝える建造物として貴重なものです。

美作三大社の1つで主祭神に神武天皇の父にあたる「彦波限建鵜茸草茸不合尊」を、相殿には中山神社の主祭神「鏡作神」と美作総社宮の主祭神「大己貴命」を祀っています。

白鳳時代創建の寺院跡。主要伽藍は、塔を中心に東側に金堂、西側に講堂を配した独特のもので、元禄4(1691)年に編さんされた美作地域の地誌「作陽誌」にも記載されている。

元禄年間、岡山藩の重臣・津田永忠のもと、田原用水を西に延長するために架けられた水路橋。現在は、小野田川から記念公園に復元移転されています。
縄文から弥生時代の遺跡。特に縄文晩期にトチ、ドングリなどの食糧を貯蔵していた穴が残されており、当時の生活を知る貴重な遺跡として知られています。
北房地域の歴史と民俗を展示する施設。国指定史跡の大谷1号墳から出土した遺物や、中世の刀鍛冶国重一党の名刀も展示されています。



阪谷朗廬が青少年の人材育成のために開いた漢学塾跡
嘉永4年(1851年)に漢学者の阪谷朗廬が開いた「桜渓塾」を当時のまま保存整備している史跡公園です。「朗廬阪谷先生垂帷跡」の記念碑に刻まれた題字は、渋沢栄一が書いた文字。裏側に彫られた碑文の書も栄一によるものです。

保田扶佐子の生家の一角に作られた小さなアートスペース。保田扶佐子の絵画、版画、アーティストブック等と、保田の居住するスペイン・バルセロナでコレクションした美術品・希少本などを展示しています。

津山市内には、加茂町・勝北・久米の3館の歴史民俗資料館があり、各地域ごとの歴史や文化について展示・紹介しています。


江戸時代初期の元和4年(1618年)建築の入母屋造り、本瓦葺きの建物です。桃山時代の建築様式を伝える装飾に富んだ建物です。

雷除けに霊験あらたかなことから、別名を「雷神社」と呼ばれる鴨神社。毎年5月3日に行われる大祭は、雷除けの祭りとして古くから農家の信仰を集めてきました。

中和村との境界に近い山中にある江戸末期から明治20年代にかけて稼動した製鉄遺構。山内にはタタラ跡や作業小屋跡など一連の遺構がよく残っています。

消渇神社の主神である一豊姫は、戦国時代末の天文永録年間、この備中国後月郡(現在の岡山県井原市高屋町)で活躍した豪族・藤井能登守皓玄の姫でした。社家の伝承によれば、姫は日頃身体病弱で天照大神少彦名命大国主命を厚く信仰していたのですが、年壮にして激甚な…
埋蔵文化財を身近に感じ、興味と理解を深める学習施設
井原市内に所在する埋蔵文化財を、整理・研究・展示・収蔵するほか、市内に所在する文化財を活用し、市民の文化財に対する興味と理解を深めるための拠点施設です。展示室は、市内から銅鐸が3点出土したということで、エントランスに復元した銅鐸や銅鐸の埋納の祭祀の…
長径2m、短径1.5mの花崗岩自然石の上面に直径70cm、深さ17cmの円柱穴を掘り、さらにその中底に径16cmの小穴を備えた、奈良時代の層塔の心礎を残しています。
備中町出身の書道家「川上景年」氏の書道作品等650点を収蔵。展示・収蔵品の中で展示替えを行っています。

旧仁掘尋常高等小学校の建物を資料館として利用しています。学校の道具類や農機具、昭和の中頃まで使用された生活道具が主な展示品ですが映画館の映写機や古写真など町の様子を偲ばせる資料も展示しています。

通称名は垪和郷一の宮(ハガゴウイチノミヤ)。一宮八幡神社の獅子舞は、県指定無形民俗文化財に指定されています。

4世紀後半ごろの築造。標高180mの丘陵部先端に位置する全長59.1m前方後円墳です。古墳時代の美作西部地域における重要な古墳です。
標高340mの山頂に築かれた山城で、北東を大手、南を搦手とし、南北に細長い曲輪を連ねています。東西12m、南北20mの平坦部の西側と北側に石垣が築かれています。

白鳳時代後半に創建され、平安時代末までに廃寺になったと見られている伽藍跡に残っている県下最大の塔心礎。