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藤原基房は関白藤原忠道に二男で、1172(承安2)年に関白になりましたが、平清盛と対立し1179(治承3)年に関白を罷免されこの地に配流されました。浄土寺の西側に関白屋敷があったと伝えられており、岡山藩主池田継政が建立した碑があります。
長径2m、短径1.5mの花崗岩自然石の上面に直径70cm、深さ17cmの円柱穴を掘り、さらにその中底に径16cmの小穴を備えた、奈良時代の層塔の心礎を残しています。
宝暦8年から行われている伝統の獅子舞
天安元年(857年)美作一宮中山神社から勧請して祠頭大明寺と称し、今日の西粟倉村、旧東粟倉村のうち知社、筏津、川東を除いた地域と兵庫県に編入されている奥海を加えた広大な地域の総鎮守です。
明治29年の葉煙草専売法の公布に伴い、加茂葉たばこ取扱所として設置(明治30年頃)されたものを、旧加茂川町が平成6年から資料館として保存・活用し、現在に至っています。収蔵品は地元の人々から寄附された古くからの生活用具、農具、祭礼具等で、600種類約1,000点…

牛窓湾を廻る5基の大型前方後円墳の一つで、湾の西端の丘陵上にあり、墳長約55m。円筒埴輪その他副葬品が多数出土しています。
土木学会推奨土木遺産にもなっている古き良き日本の原風景
鳴滝のすぐそばにある、石積みのつづら折り林道です。高低差約30mの難所を越えるためにつくられた道は幾重にもカーブが続いており、明治時代に建設された石垣が今も当時のままの姿で残っています。

真言宗東光寺の山門外の地蔵堂に祀られ、縁日に油供養を行っていたことから「吉田の油地蔵」として親しまれています。像の左右に残る刻銘から、南北朝時代の1380(康暦2)年に、円仏の発願で造立されたことが分かります。花崗岩製で像高98cm。自然石の正面に地蔵菩薩…

大正12年、作備線(現在の姫新線)に建てられました。プラットホームや階段は大正時代の面影を残しています。

津山市街の北西にある神楽尾城跡は、山頂の本丸から東側に平屋城、南東に津山城、南西に嵯峨山城が望めます。

備前・備中の国境に近い旧山陽道にり、一里塚の様子をよく示しています。道路を挟んで両側に塚があり、北塚に黒松、南塚に榎の巨木がありましたが、枯れたため今は若木が植えられています。
昭和38年(1963)4月1日、岡山県指定名勝となった近水園・吟風閣の隣接地に博物館的施設として開設されました。蘭学、医学の先駆者である緒方洪庵(おがたこうあん)に関するものや、足守藩に関する古文書、そして発掘調査された成果をもとに、縄文時代から近世の陣屋…

木造二階建の寄棟造、桟瓦葺の大型の洋風住宅で、明治24年(1891)に建てられました。1・2階とも正面に半円形のアーチを置き、扉口を設ける。円柱が並ぶ吹き抜けのバルコニーは、17~18世紀に西欧諸国の植民地時代の建築(コロニアル様式)を模しており、異国情緒をよ…

清瀧寺は弘仁12年(821年)人皇52代嵯峨天皇の勅旨により弘法大師が開基されたものと伝えられている。
産業関係では手延べそうめんの製造器具や戦前農家経済をうるおしていた麦稈真田の関係器具・室町時代に庶民の日用雑器を焼いた窯跡や町内で発掘された土器など展示しています。また、書画展示コーナーでは、鴨方町とゆかりの深い先人の作品を展示しています。

真言宗高野山派の準別格本山である円通寺の境内にあり、県重文「山伏の笈」をはじめ数多くの寺宝、古文書等がおさめられています。
文化文政時代の頃からこの地方では芝居が盛んで、中島東地区の松神神社に歌舞伎舞台が伝わっています。当時の精巧な回り舞台が保存されており、昭和38年に「岡山県重要有形民俗文化財」に指定され、現在も毎年春に中島東地区の方を中心に公演が開催されています。

1441年、芳井町天神山に建立された重玄寺は、度重なる火災により全焼し、昭和49年に現在の場所へ移築されました。一説には画聖・雪舟が没した場所であるとも言われており、今は墓所と土蔵を残すだけとなった重玄寺跡地ですが、重玄寺跡と雪舟終焉の地を示す石碑、また…
岡山県下初の古墳公園
駐車場、トイレ、屋根付き休憩スペースを完備する、岡山県内初の古墳公園です。公園内の3基と南西に離れて所在する1基の計4基から成る、川戸古墳群。中でも、2号墳は美作地方最大級の横穴式石室をもつ方墳であり、類例の少ない方墳という墳形、この地域で最大規模の石…
里庄富士のふもとの小高い丘陵にあります。白壁と老松がめぐり優美な鐘楼堂、銅板屋根の本堂や山門などの諸堂があり、甍を垂れ閑静にして端正なたたずまいです。
旧和気郡山田村役場庁舎として昭和7年に完成した鉄筋コンクリート造の初期の建物です。会館内には天神山城跡の出土品や町内から寄贈された民具、片上鉄道関係資料など約500点が展示されています。

室町時代から江戸時代にかけて、この地の備前焼の同業者が共同で使用した大規模な窯のひとつです。忌部神社の西の山麓に窯跡の位置を記す碑があります。

標高340mの山頂に築かれた山城で、北東を大手、南を搦手とし、南北に細長い曲輪を連ねています。東西12m、南北20mの平坦部の西側と北側に石垣が築かれています。

備中町出身の書道家「川上景年」氏の書道作品等650点を収蔵。展示・収蔵品の中で展示替えを行っています。

門前から約150の石段が山門へ続く。奈良時代の高僧報恩大師が建立した備前48ヶ所寺の一つとされ、現存するのは江戸時代後期の建築と見られる本堂と山門。

全長85m、史跡両宮山古墳が作られた後の5世紀末の前方後円墳です。納められていた石棺から、古墳の名前の由来となった大量の朱の他に、銅鏡、玉類、鉄器類などが見つかりました。周辺には両宮山古墳をはじめ、和田茶臼山古墳、森山古墳、廻り山古墳、小山古墳などがあ…
全長96mの前方後円墳です。長持形石棺があり、副葬品として漢式鏡、直刀、環頭太刀、銅鏃、鉄鏃など多数が出土しています。

伊弉諾命、伊弉冊命を祭神とする神社。創建は平安時代の末期、久寿2年(1155年)。寛文11年(1671年)に建立された中山造りの本殿は入母屋造銅板葺の造りで、真庭市指定の文化財となっています。
開山は応永年間、最初は真言宗の寺院として建立され、その後、提山良山禅師が1679(延宝7)年に入山し、臨済宗永源寺派の末寺(大正14年発行・永源寺宗派図)となり今日に至る。
江戸時代初期の元和7(1621)年の創建としているが、詳しいことは分かっていません。本堂は江戸時代後期の天保2(1831)年に建築されたものです。
白鳳時代創建の寺院跡。主要伽藍は、塔を中心に東側に金堂、西側に講堂を配した独特のもので、元禄4(1691)年に編さんされた美作地域の地誌「作陽誌」にも記載されている。


1851年母の看護の為に帰郷した学者阪谷朗廬(ろうろ)が若者の育成を目指して開いた漢学塾の跡地。現在では、記念碑があります。
丘陵の斜面を整地して造営された下道氏の墓地。ここから和銅元年(708年)の銘文のある銅製骨蔵器等が発見され、奈良時代の墓制を知ることができる貴重な遺跡とされています。
箸立天満宮境内にある御神木「伊吹ヒバ」は、推定樹齢800年から1,000年といわれ、858年(天安2年)に菅原道真が、長岡庄を経て高田庄へ旅する途中立ち寄った際に、昼食に使った箸を立てたものが育ったと伝えられています。合格祈願の天神様として知られ、受験シーズン…

4世紀後半ごろの築造。標高180mの丘陵部先端に位置する全長59.1m前方後円墳です。古墳時代の美作西部地域における重要な古墳です。
昭和44年5月に国・県からの補助を受けて建てた収蔵庫と、昭和44年12月に広く市民一般の方々からいただいた寄付金により建てた展示館とを総称したものです。郷土館では、笠岡市内の考古・歴史・民俗資料を収集・展示して、郷土の歴史と文化の紹介につとめています。
