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尼子氏に従って美作に入った草苅氏が天文2(1533)年に築城。城郭の範囲は、東西1.6km、南北0.5kmで、県内最大級の規模。天正12(1584)年に草苅氏が退城するまで約50年間一度も落城しなかったという。石垣、土塁、堀切等の遺構が確認される。

標高340mの山頂に築かれた山城で、北東を大手、南を搦手とし、南北に細長い曲輪を連ねています。東西12m、南北20mの平坦部の西側と北側に石垣が築かれています。

白鳳時代後半に創建され、平安時代末までに廃寺になったと見られている伽藍跡に残っている県下最大の塔心礎。
戦国時代にはこの城を中心に、松田氏・宇喜多氏・毛利氏などによって激烈な争奪戦が繰り広げられた。遺構は、山頂の本丸、二の丸、三の丸の主要な郭をはじめ、石垣、堀切等が確認されている。
現在の社殿は1888年の改築で、境内にある奥御前神社は「狼様(おおかみさま)」と呼ばれ、盗難悪疫除けの神として広く民間の信仰を集めています。

文化11(1814)年に建てられたもので、社殿・唐門・総門の3棟が現存しています。本殿と拝殿とを会いの間でつなぐ権現造で、屋根は共に入母屋造です。

天明年間(1781~1788年)頃、伊予の国 宇和島藩家老の山家(やんべ)清近衛公頼を祭った宇和島の和霊神社の分霊を祭ったとみられます。悪疫を鎮め、勝運の神様として近郷の人々から崇拝されていました。

文化文政時代の頃からこの地方では芝居が盛んで、中島東地区の松神神社に歌舞伎舞台が伝わっています。当時の精巧な回り舞台が保存されており、昭和38年に「岡山県重要有形民俗文化財」に指定され、現在も毎年春に中島東地区の方を中心に公演が開催されています。

雷除けに霊験あらたかなことから、別名を「雷神社」と呼ばれる鴨神社。毎年5月3日に行われる大祭は、雷除けの祭りとして古くから農家の信仰を集めてきました。
備中高松城水攻めの前哨戦、加藤清正一番槍の高名で有名な城
備中高松城水攻めの前哨戦、加藤清正一番槍の高名で有名な城。足守川東岸にある標高40mほどの独立丘陵上に位置し、丘陵全てを城郭に利用していたと考えられる。最上段に本丸跡があり、城地の名残をよくとどめている。二の丸・三の丸跡は畑地となっている。
土蔵造二階建で、壁の大部分は海鼠壁として特徴ある外見を見せています。土蔵は、勝間田宿旧脇本陣の建造物として残された唯一の遺構で、参勤交代の要衝でもあった宿場町の景観を今に伝える建造物として貴重なものです。

昭和52年墓地造成工事中に発見され、53年に岡山県教育委員会が発掘調査をしました。5世紀初頭頃の前方後方墳で全長35m、前方部と後方部にそれぞれ箱式石棺を持ち、そのどちらにも2体の被葬者がほとんど完全な形でうちちがいに葬られており、後方部からは径12cmのほう…

木造二階建の寄棟造、桟瓦葺の大型の洋風住宅で、明治24年(1891)に建てられました。1・2階とも正面に半円形のアーチを置き、扉口を設ける。円柱が並ぶ吹き抜けのバルコニーは、17~18世紀に西欧諸国の植民地時代の建築(コロニアル様式)を模しており、異国情緒をよ…

北房地域の歴史と民俗を展示する施設。国指定史跡の大谷1号墳から出土した遺物や、中世の刀鍛冶国重一党の名刀も展示されています。

菅原道真が筑紫へ左遷されたとき、途中で船から降りて丘にあがり、真水を汲んで、その水で墨をすり、歌を一首詠んだ所といわれ、その跡に創建されたのがこの神社とされています。

全長85m、史跡両宮山古墳が作られた後の5世紀末の前方後円墳です。納められていた石棺から、古墳の名前の由来となった大量の朱の他に、銅鏡、玉類、鉄器類などが見つかりました。周辺には両宮山古墳をはじめ、和田茶臼山古墳、森山古墳、廻り山古墳、小山古墳などがあ…
美咲町中央運動公園の中に建つ黄福のオブジェ“幸せの「あいのす」”は、黄福のレンガ約5,000個を使用して町が制作したオブジェ。この中に入って“幸せの黄色いベンチ”に座り、「きみ(黄身)が好きだ~」と叫ぶと恋が叶うかも?黄福のレンガと…

明治24年、山陽本線開通に伴ってできたもので、土木学会推奨の土木遺産に認定されています。場所は、市立三石保育園東側にあります。

清瀧寺は弘仁12年(821年)人皇52代嵯峨天皇の勅旨により弘法大師が開基されたものと伝えられている。
天台宗開祖・伝教大師最澄(さいちょう)の高弟、慈覚大師円仁の開山。1666(寛文6)年、池田光政による寺社整理で焼き払われましたが、1681(天和元)年、信亮法師が現在の地に龍城院として法燈を中興し継承しました。庭園は、徳島嵯峨派の庭師による江戸時代の造庭…

旅人の喉を潤してきた清水
武蔵神社から鎌坂を800mほど登った場所に湧き出ている清水です。かつてこの峠を超える旅人が喉を潤す際に、あまりに冷たくて美味だったことから「銭一貫(1000文)の値打ちがある」といわれ、この名が付けられました。また、宮本武蔵が故郷を離れて修行の旅に出る際に…
赤磐市出身で日本を代表する女性詩人・永瀬清子の人と作品が紹介されています。遺族から寄贈を受けた蔵書や原稿、書画、書簡などの遺品が展示されており、隣接する熊山図書館では、清子の映像の視聴・著書や関連図書の閲覧もできます。

町指定の天然記念物で、推定樹齢400年とされています。一本杉の根元には、道行人々の安全を願う『道祖神』が祭られています。
岡山藩主の池田光政が領内の神社11,003社を601社にまとめ、正徳2年(1712)次の藩主である綱政がこのうち5社だけを残して、596社をここに移して合祀した宮跡です。
平安時代、花山上皇が備中国にご滞在された際、この地に伏見稲荷大社(京都府)を勧進されたのが始まり。戦国時代から歴代の備中松山城主の崇敬が厚く、社殿の造営や寄進などが行われてきました。
4世紀後半ごろの築造。標高180mの丘陵部先端に位置する全長59.1m前方後円墳です。古墳時代の美作西部地域における重要な古墳です。
寺伝によると、729年(天平元年)行基菩薩が創建し、1543年(天文12年)もしくは1547年(天文16年)に現在地に移転されました。現在の本堂は棟札から1726年(享保11年)に再建されたものです。
治承・寿永の乱の際、平氏が源氏に勝利した「水島の合戦」の記念碑。水玉ブリッジライン源平大橋(玉島大橋)西側に建てられています。

一の口水門は、水門の構造などに当時の遺構が良好に残されており、17世紀後半~20世紀初めまで続いた高瀬舟による物資輸送の事を考えるうえで重要な史跡です。

東アジア情勢が緊迫した7世紀頃に築造されたと推定されています。発掘調査の結果、土塁線や一の木戸等の水門、石塁構造が確認されています。
江戸時代初期の元和4年(1618年)建築の入母屋造り、本瓦葺きの建物です。桃山時代の建築様式を伝える装飾に富んだ建物です。

弥生時代中期の住居が復元された大小5つの住居跡や作業所跡などがあります。隣接する弥生の里文化センターと合わせ見学ができます。

宿場町時代の関門
1596年から1614年まで、幕府による国境警備にあたった惣門です。美作七駅の1つとして土居宿駅を定めた際に、東西それぞれの出入り口に設けられた関門は、1869年の関所廃止令により一度取り壊さた後、2001年3月に復元されました。門の造りは、高さ6m50cm、幅7m88cmの高…
風格漂う島の有力者の邸宅と樹齢約250年の巨木
平安時代の末期から真鍋島の有力者として栄えてきた真鍋家の旧邸宅です。明治初期に建てられた木造家屋の主屋は国の登録文化財に指定されており、書院造りの座敷を有します。軒先には岡山県内では珍しい樹木「ホルトノキ」があり、樹齢約250年。ホルトノキは熱帯~亜…

中和村との境界に近い山中にある江戸末期から明治20年代にかけて稼動した製鉄遺構。山内にはタタラ跡や作業小屋跡など一連の遺構がよく残っています。

里庄富士のふもとの小高い丘陵にあります。白壁と老松がめぐり優美な鐘楼堂、銅板屋根の本堂や山門などの諸堂があり、甍を垂れ閑静にして端正なたたずまいです。
美作中心部の丘陵上に存在する。日上天王山古墳は、全長56.9mの美作最古の前方後円墳の一つで、竪穴式石槨、葺石、二重口縁の壺形土器が確認されている。日上畝山古墳群は大半が5世紀後半から6世紀前半に築造された、円墳・方墳56基が現存する古式群集墳である。
倉敷市福田町の干拓地を中心とした歴史・民俗資料を展示しています。倉敷市の平地の大半は中世以降の干拓地です。米の生産が経済を支配していた江戸時代、各藩はこぞって新田開発をおしすすめました。旧高梁川河口には、干拓するのに適した広い湿地や干潟が広がってい…