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奈良時代(760年)に報恩大師によって創建されました。再興と火災の後、江戸時代に建てられた三重塔と仁王門は今でも現存しています。境内には春の梅や桜、秋には紅葉が彩りを添え、絵巻物のような優雅な時間を過ごすことができます。
門前から約150の石段が山門へ続く。奈良時代の高僧報恩大師が建立した備前48ヶ所寺の一つとされ、現存するのは江戸時代後期の建築と見られる本堂と山門。
もとは高田城。今は調練場の石積みと頂上の平坦地を残すのみです。鎌倉時代末期からの激しい攻防を今に伝える貴重な城址です。
箸立天満宮境内にある御神木「伊吹ヒバ」は、推定樹齢800年から1,000年といわれ、858年(天安2年)に菅原道真が、長岡庄を経て高田庄へ旅する途中立ち寄った際に、昼食に使った箸を立てたものが育ったと伝えられています。合格祈願の天神様として知られ、受験シーズン…
延喜元年(901年)に創建された真言宗の由緒ある古いお寺。約80枚の花鳥の彩色画からなる天井絵は、郷土の文人が寛政9年(1797年)に描いたもので、真庭市の指定文化財にもなっています。
鴨方藩の庄屋を世襲し油商等を営んだ家で、藩主の宿泊所や文化人の交流の場として使われた由緒ある町家です。建築年代は1687年に修理をしたという棟札から300年以上を経ており、県内に残る江戸前期の最古の町家であると同時に全国的にも最初期のものです。現在はかも…
早島の氏神として600年の歴史を刻む鶴崎神社。四代領主戸川安晴が奉納した絵馬や太田利平太が奉納した早島十景の扁額は町の重要文化財に指定されています。
里庄富士のふもとの小高い丘陵にあります。白壁と老松がめぐり優美な鐘楼堂、銅板屋根の本堂や山門などの諸堂があり、甍を垂れ閑静にして端正なたたずまいです。
里庄町の歴史、民俗、産業等に関する資料(大原焼、農耕具、生活用具)を展示し、これまでの里庄町について紹介しています。また、仁科芳雄、小川郷太郎両博士に関する資料も展示しています。
脇本陣と背中を合わせるようにあるのが、遊びの心の美術館「古意庵」です。古い土蔵を改装したもので、オーナーの坪井立男さんが個人的に集めた数々の美術品が展示されています。
美作三十三カ所観音五番霊場で、本尊は観世音菩薩。本寺には1774(安永3)年に泰禅上人によって求められたという大般若経六百巻があり、仁王門には一対の金剛力士が安置されています。観音寺の裏手には、西日本最大級で岡山県では最大の前方後方墳「植月寺山古墳」が…
1577年(正徳5年)に建立された清水寺。県指定の無形文化財の奇祭、「護法祭」が伝承されています。五穀豊穣、天下泰平を祈願し、毎年5月15日深夜に行われます。護法善神が修験者らの祈りつけにより、行を終えて身を清めた「護法実」と呼ばれる人物の身に乗り移り、「…
南北朝時代に創建された古寺で、「バンバ踊り」が伝承されています。仏教寺本堂前の石段の中段に建立してある仁王門。その左右に配されていた金剛力士像。向かって右側の阿形像の脊部内面左肩に「建長元年巳酉三月二十日」の墨書があります。二駆とも檜材の寄木造で、…
「たまごかけごはん」を全国に広めた立役者
日本の新聞界の先駆者として、また、辞書の編纂・目薬の調剤など多彩な分野で知られた岸田吟香に関する資料を展示している記念館です。美咲町旭文化会館内にあります。また、美咲町が展開する「たまごかけごはん」ストーリーの主役で、「たまごかけごはん」をこよなく…
通称名は垪和郷一の宮(ハガゴウイチノミヤ)。一宮八幡神社の獅子舞は、県指定無形民俗文化財に指定されています。
風格漂う島の有力者の邸宅と樹齢約250年の巨木
平安時代の末期から真鍋島の有力者として栄えてきた真鍋家の旧邸宅です。明治初期に建てられた木造家屋の主屋は国の登録文化財に指定されており、書院造りの座敷を有します。軒先には岡山県内では珍しい樹木「ホルトノキ」があり、樹齢約250年。ホルトノキは熱帯~亜…
弘法大師が開創した真言宗の古刹
真鍋島の本浦集落の高台にある、真言宗の古刹です。平安時代(795年)に弘法大師によって開創。江戸時代に火災で焼失しましたが、1793年に再建。以来修復を行いながら大切に守られているお寺です。
池田家の菩提寺である京都花園妙心寺護国院の火災をきっかけに、池田光政が津田永忠に命じて作らせた岡山藩主池田家の墓所。山中にあり、光政の祖父輝政(姫路城城主)、父利隆、光政らを儒式で埋葬しています。輝政の「一のお山」を中心に、合計7つの「お山」で構成…
白鳳時代後半に創建され、平安時代末までに廃寺になったと見られている伽藍跡に残っている県下最大の塔心礎。
尼子氏に従って美作に入った草苅氏が天文2(1533)年に築城。城郭の範囲は、東西1.6km、南北0.5kmで、県内最大級の規模。天正12(1584)年に草苅氏が退城するまで約50年間一度も落城しなかったという。石垣、土塁、堀切等の遺構が確認される。
矢筈城(高山城)は、加茂町山下から知和にまたがる標高756mの矢筈山に、美作国と因幡国に勢力を有した草苅衡継(ひらつぐ)が、天文元(1532)年から翌年にかけて築いた山城で、東西1600m・南北500mの壮大な規模を誇る岡山県内で最大級の中世山城です。
国指定重要文化財の不動明王坐像、地蔵菩薩立像が安置されているほか、境内には大樹「モッコク」があり、井原市の天然記念物に指定されています。
白鳳時代に創建された寺院跡で、賀陽氏の氏寺であったと考えられています。発掘調査によって、塔などの伽藍配置の一部は明らかにまりましたが、全容は未解明です。
吉備高原の南端に位置する、標高372.7mの山頂に築かれた山城です。 平安時代、この一帯は山岳仏教の霊場として栄え、多数の径塚が築かれたことから、径山城と呼ばれています。
天明年間(1781~1788年)頃、伊予の国 宇和島藩家老の山家(やんべ)清近衛公頼を祭った宇和島の和霊神社の分霊を祭ったとみられます。悪疫を鎮め、勝運の神様として近郷の人々から崇拝されていました。
平安中期、村上天皇の御世955(天暦9)年に創建。木野山山頂に奥宮があり、山麓に里宮が鎮座する。
八塔寺山の深い緑の中、神亀5年弓削道鏡が開基したと伝えられ、今なお当時を偲ばせる寺院です。天台宗・本尊は十一面観音(行基作と伝う)境内裏の首なし地蔵は乳の出に霊験があり、池田光政寄進のつり鏡が現存する。
赤磐市出身で日本を代表する女性詩人・永瀬清子の人と作品が紹介されています。遺族から寄贈を受けた蔵書や原稿、書画、書簡などの遺品が展示されており、隣接する熊山図書館では、清子の映像の視聴・著書や関連図書の閲覧もできます。
縄文から弥生時代の遺跡。特に縄文晩期にトチ、ドングリなどの食糧を貯蔵していた穴が残されており、当時の生活を知る貴重な遺跡として知られています。
創建は奈良時代の神亀3年(726年)にまで遡り、行基によって開基されたといわれています。平安時代に九条家の祈願所となり、鎌倉時代に源頼朝の命令で梶原景時が再建しました。本尊の薬師如来は国指定の重要文化財。持仏の不動明王と二童子像も国の重要文化財に、本堂…
天台宗開祖・伝教大師最澄(さいちょう)の高弟、慈覚大師円仁の開山。1666(寛文6)年、池田光政による寺社整理で焼き払われましたが、1681(天和元)年、信亮法師が現在の地に龍城院として法燈を中興し継承しました。庭園は、徳島嵯峨派の庭師による江戸時代の造庭…
町指定の天然記念物で、推定樹齢400年とされています。一本杉の根元には、道行人々の安全を願う『道祖神』が祭られています。
横穴式石室を持つ3基の後期古墳と奈良時代の火葬墓からなる墳墓群で、日本の葬制、墓制を知るうえで貴重な遺構です。
多数の遺構と史跡が残る絶景眺望の山城跡
備中杉山城跡の杉山(別名:要害山、標高:226m)は里山づくり活動によって山頂及び遺構場所まで階段が整備されているので中世の山城跡を散策できます。山頂に主郭(本丸)を構え、南北約350mの連郭式山城で要害山と呼ばれるように尾根を除いて険しい谷が続いています…
西須恵地区には地名に代表される須恵器窯跡をはじめ古墳、寺跡など数多くの遺跡が分布しています。須恵古代館は長船町域から出土した多くの考古資料を展示。外観は古代の高床式建物をイメージしています。