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北房地域の歴史と民俗を展示する施設。国指定史跡の大谷1号墳から出土した遺物や、中世の刀鍛冶国重一党の名刀も展示されています。

前方後円墳。墳頭には約2m×0.9mの家形石棺が剥き出しの状態で置かれています。1907年(明治40年)に鏡、刀、勾玉、管玉などが多数発見され、現在は東京国立博物館に収蔵されています。

4世紀後半の円墳。東西45m、南北54m。南東側に方形の造出が付属しています。墳丘は2段で3重に埴輪列がめぐっています。全長4m、幅1.5mの竪穴式石室が築かれ、蓋に特殊な彫刻文様を配した刳抜式の石棺が収められ、30数面の青銅鏡のほか多数の優れた副葬品も出土しまし…
津山市内には、加茂町・勝北・久米の3館の歴史民俗資料館があり、各地域ごとの歴史や文化について展示・紹介しています。

宝暦8年から行われている伝統の獅子舞
天安元年(857年)美作一宮中山神社から勧請して祠頭大明寺と称し、今日の西粟倉村、旧東粟倉村のうち知社、筏津、川東を除いた地域と兵庫県に編入されている奥海を加えた広大な地域の総鎮守です。
6世紀後半に築造された全長約45mの前方後円墳。後円部のほぼ中央部に巨大な花崗岩を積み上げて築いた全長約14mの横穴式石室が設けられており、浪形岩製の家形石棺が納められています。
飛鳥時代に創建された寺院跡で、塔の心礎は往時の位置に現存しています。出土した軒丸瓦は2種類が確認されていて、第1類は県内最古の飛鳥様式で、第2類は吉備式と呼ばれるものです。
寺縁起によると、天平勝宝年間(749~757年)に鑑真和上が開基し、後に報恩大師の備前四十八ヵ寺の一つに加えられた寺。
産業関係では手延べそうめんの製造器具や戦前農家経済をうるおしていた麦稈真田の関係器具・室町時代に庶民の日用雑器を焼いた窯跡や町内で発掘された土器など展示しています。また、書画展示コーナーでは、鴨方町とゆかりの深い先人の作品を展示しています。

阪谷朗廬が青少年の人材育成のために開いた漢学塾跡
嘉永4年(1851年)に漢学者の阪谷朗廬が開いた「桜渓塾」を当時のまま保存整備している史跡公園です。「朗廬阪谷先生垂帷跡」の記念碑に刻まれた題字は、渋沢栄一が書いた文字。裏側に彫られた碑文の書も栄一によるものです。

土蔵造二階建で、壁の大部分は海鼠壁として特徴ある外見を見せています。土蔵は、勝間田宿旧脇本陣の建造物として残された唯一の遺構で、参勤交代の要衝でもあった宿場町の景観を今に伝える建造物として貴重なものです。

国指定重要文化財の不動明王坐像、地蔵菩薩立像が安置されているほか、境内には大樹「モッコク」があり、井原市の天然記念物に指定されています。
石山は慶長8(1603)年、森忠政の津山城築城にあたり最初に石を切り出したところです。この寺は、石材の切り出し中死んだ人を弔ったり、工事の安全を願って建てられたと言われています。寺の周囲には石切場跡があり、今だ岩肌にはノミの痕が残っています。

白鳳時代後半に創建され、平安時代末までに廃寺になったと見られている伽藍跡に残っている県下最大の塔心礎。
珍しい壇上積基壇の遺構も出土
白鳳時代の創建と推定される備前地域では最古の寺院跡。地方寺院には珍しい壇上積基壇の遺構も出土しています。近くには備前国庁跡や唐人塚古墳などもあります。

5世紀ごろ築造の全長140mの大型前方後円墳。浦間茶臼山古墳と並ぶ初期の大型古墳の代表的なものです。
約2,000年前の古代ハス「大賀ハス」を咲かせた大賀一郎氏の出身地。庭瀬城址内濠の7つの升に植えられています。

木造二階建の寄棟造、桟瓦葺の大型の洋風住宅で、明治24年(1891)に建てられました。1・2階とも正面に半円形のアーチを置き、扉口を設ける。円柱が並ぶ吹き抜けのバルコニーは、17~18世紀に西欧諸国の植民地時代の建築(コロニアル様式)を模しており、異国情緒をよ…

横穴式石室を持つ3基の後期古墳と奈良時代の火葬墓からなる墳墓群で、日本の葬制、墓制を知るうえで貴重な遺構です。

土木学会推奨土木遺産にもなっている古き良き日本の原風景
鳴滝のすぐそばにある、石積みのつづら折り林道です。高低差約30mの難所を越えるためにつくられた道は幾重にもカーブが続いており、明治時代に建設された石垣が今も当時のままの姿で残っています。

町指定の天然記念物で、推定樹齢400年とされています。一本杉の根元には、道行人々の安全を願う『道祖神』が祭られています。
平安中期、村上天皇の御世955(天暦9)年に創建。木野山山頂に奥宮があり、山麓に里宮が鎮座する。
白鳳時代に創建された寺院跡で、賀陽氏の氏寺であったと考えられています。発掘調査によって、塔などの伽藍配置の一部は明らかにまりましたが、全容は未解明です。
739年に創建されたお寺。約1,500坪ある境内は、周囲を120mに及ぶ石垣と城壁のような白壁に囲まれ、「白鷺が羽を広げたような」偉容を誇っています。
治承・寿永の乱の際、平氏が源氏に勝利した「水島の合戦」の記念碑。水玉ブリッジライン源平大橋(玉島大橋)西側に建てられています。

神社の屋根瓦や木の彫刻飾りでは昔話やおとぎ話の世界が楽しめます
南北朝時代の1351年(正平6年)5月5日の創建で備中杉山城の守護神です。杉山山頂には杉山城の主郭と軍神社がありましたが、のちに軍神社は杉山麓に奉遷され、1909年(明治42年)頃に再建されました。奥の院は奉遷の頃に杉山山頂に創建されたようです。神様は二人で、①…

昭和38年(1963)4月1日、岡山県指定名勝となった近水園・吟風閣の隣接地に博物館的施設として開設されました。蘭学、医学の先駆者である緒方洪庵(おがたこうあん)に関するものや、足守藩に関する古文書、そして発掘調査された成果をもとに、縄文時代から近世の陣屋…

約165mの前方後円墳
約165mの前方後円墳で、操山丘陵の中央にあり上道平野を見渡すことができる絶好の位置にあります。1953年に発掘調査され、二つの竪穴式石槨が確認されました。どちらも石列と埴輪列による方形区画がめぐらされていて、出土品から4世紀末5世紀初頭の築造と考えられてい…
文化11(1814)年に建てられたもので、社殿・唐門・総門の3棟が現存しています。本殿と拝殿とを会いの間でつなぐ権現造で、屋根は共に入母屋造です。


1441年、芳井町天神山に建立された重玄寺は、度重なる火災により全焼し、昭和49年に現在の場所へ移築されました。一説には画聖・雪舟が没した場所であるとも言われており、今は墓所と土蔵を残すだけとなった重玄寺跡地ですが、重玄寺跡と雪舟終焉の地を示す石碑、また…
牛窓湾を廻る5基の大型前方後円墳の一つで、湾の西端の丘陵上にあり、墳長約55m。円筒埴輪その他副葬品が多数出土しています。
開山は応永年間、最初は真言宗の寺院として建立され、その後、提山良山禅師が1679(延宝7)年に入山し、臨済宗永源寺派の末寺(大正14年発行・永源寺宗派図)となり今日に至る。
長い農耕の歴史の中で使われてきた道具や農民たちの生活を支えてきた民具などを展示しています。また、文献や古文書も展示しています。
牛窓港背後の鹿歩山(海抜約90m)に築かれた全長約84mの前方後円墳。古墳時代中期後半に築造されたもの。円筒埴輪その他副葬品が多数出土している。
真言宗高野山派の準別格本山である円通寺の境内にあり、県重文「山伏の笈」をはじめ数多くの寺宝、古文書等がおさめられています。
丘陵の斜面を整地して造営された下道氏の墓地。ここから和銅元年(708年)の銘文のある銅製骨蔵器等が発見され、奈良時代の墓制を知ることができる貴重な遺跡とされています。