観光スポット
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大谷1号墳は大谷・定古墳群のなかでも早くから注目され、調査研究が行われた古墳です。3段の墳丘と前面に2段の基壇をもつ、5段築成の方墳という全国的にもあまり例のないもので、規模は東西で22.7m、南北で16.2m、高さは1段目から墳頂まで8mを測ります。石室は両袖式…

温泉街の中央に位置する温泉薬師堂は、失ったものが帰ってくるお薬師様として信仰を集めています。また、薬師堂のすく横からは、湯原温泉の源泉がこんこんと湧き出ています。薬湯としてお清めができます。

明治27年に吉川村役場として建築された建物を資料館として活用し、地元に残る昔ながらの農具、生活用具、祭礼具等を展示しています。
戦国時代、備前松田氏の本城として整備
戦国時代に備前松田氏の本城として整備されたと伝わっています。縄張りは県下の山城の中でも1~2番目に挙げられる大規模なものです。江戸時代初期の元和元年(1615)に幕府の命令で壊されましたが、本丸跡付近には井戸が残っており、「天主の井戸」は直径約8m、深さ約…

行者山にそびえ立つ本坊
岡山県下最高峰で、修験道の行場として知られる霊山・後山。7世紀頃、修験道の開祖とされる役行者が後山に入り、修験の道を開いたとする説が残されています。道仙寺は、真言密教の霊山・後山を代表する寺院で、境内には本堂と、神変大菩薩坐像が安置された「観音堂」…

脇本陣・木代邸は出雲往来の宿場として栄えた新庄宿で脇本陣をつとめた家です。屋号は「向馬場屋」と称し、江戸時代の終わり頃に建てられた幕末を代表する建物で、三列六間取りの大規模家屋です。新庄村指定の文化財で、一般開放しています。

丘陵の斜面を整地して造営された下道氏の墓地。ここから和銅元年(708年)の銘文のある銅製骨蔵器等が発見され、奈良時代の墓制を知ることができる貴重な遺跡とされています。
楠戸家住宅は東町にあり、「はしまや」の屋号を持つ明治2年創業の呉服店。現在の店構えは明治中期に整えられたとされていて、主屋二階の漆喰を塗り込めた「虫籠窓(むしこまど)」は特徴的な意匠です。楠戸家住宅は、主屋をはじめ米蔵・炭蔵などが平成8年に登録文化財…

玉島歴史民俗海洋資料室は、玉島歴史民族海洋資料館を玉島市民交流センター内に移設したもので、2012年(平成24)4月に開館しました。海とともに暮らし発展してきた玉島の町の歴史や民俗に関する資料・情報を集めた展示室です。郷土の歴史や民俗を知る上で欠かせない…

一の口水門は、水門の構造などに当時の遺構が良好に残されており、17世紀後半~20世紀初めまで続いた高瀬舟による物資輸送の事を考えるうえで重要な史跡です。

社殿は元禄14年(1701)4月、天保13年3月に造営し現在に至る。大正6年4月、庄村矢部字向山村社楯築神社を合祀した。大正6年10月4日神饌幣帛供進神社に指定。

美作地域の代表的な中世山城遺構。嘉吉元(1441)年に山名教清が築城したもので、戦国時代の戦火で天正18(1590)年に焼失、以後再建されることはなかった。

清瀧寺は弘仁12年(821年)人皇52代嵯峨天皇の勅旨により弘法大師が開基されたものと伝えられている。
真休寺はもともと、大山普門院と称して大山にあり、隆永上人代、約320年前、明暦年間に住坊が造営され、岡尾山普門院真休寺と称されたといわれています。本尊の彫刻は慈覚大師にして、格式極めて高く、昭和49年に庫裏、本堂の再建されました。春は桜並木が迎えてくれ…

京都の石清水八幡宮の別宮として、平安時代中期に創建されたと伝えられており、祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祀っています。本殿は国指定の重要文化財です。10月1日~下旬までの約1ヶ月間続く「吉川八幡宮当番祭」は、10歳前後の男の子が当人となり、古式にの…

旧三浦家別邸。明和元年(1764年)、三河国西尾より移封になり勝山領主となった三浦氏は、明治2年、大政奉還により10代、107年間の歴史に幕を下ろしました。歴代当主は城山の麓(現在の市役所あたり)に屋敷を構えていたものの、城地・建物などはすべて国有となったた…

本殿は、棟札によると1703年(元禄16年)の建築で、檜皮葺、流れ造り三間社です。2本の丸柱を建てて内々陣をつくり、平面的には、中世的な性格をもったものです。妻の部分は、二重虹梁、大瓶束、蟇股、支輪を使用して、美しい構成になっており、江戸中期に完成された…
岡山県指定史跡「田原井堰」が、新井堰の完成により撤去されたために、築造以来300年の歴史と我国有数の規模と構造を誇っていた「田原井堰」の関係資料を保存し、後世に伝える目的で昭和61年に建設されました。

嘉吉年間(1441~44)の創建と言われています。宇宮谷に勧請したのを嘉吉年中旧領主赤松氏が今の地に遷し再建しました。当時は日生神社、厳島神社と言われていましたが、後に春日神社と改称されました。旧領主の赤松氏、宇喜多氏、池田氏の尊崇深く、境内除地、神田、…

6世紀の後半に造られた備中地域最後の前方後円墳
6世紀後半に築造された全長約45mの前方後円墳。後円部のほぼ中央部に巨大な花崗岩を積み上げて築いた全長約14mの横穴式石室が設けられており、浪形岩製の家形石棺が納められています。
美咲町中央運動公園の中に建つ黄福のオブジェ“幸せの「あいのす」”は、黄福のレンガ約5,000個を使用して町が制作したオブジェ。この中に入って“幸せの黄色いベンチ”に座り、「きみ(黄身)が好きだ~」と叫ぶと恋が叶うかも?黄福のレンガと…

境内には御神木として崇められている推定樹齢660年の大杉があり、目通り周囲5.4m、樹高約40m。美作県民局の名木百選です。

津山市街の北西にある神楽尾城跡は、山頂の本丸から東側に平屋城、南東に津山城、南西に嵯峨山城が望めます。

庭瀬領主・戸川達安の妹が嫁ぎ先の宇喜多家で他界した際、母親である妙承尼(常山城主友林院殿の室)が娘の冥福を願い、達安もまた妹の死を哀れむとともに、妙承尼の心のうちを察してその願望を叶えようと考え開創した。
備前・備中の国境に近い旧山陽道にり、一里塚の様子をよく示しています。道路を挟んで両側に塚があり、北塚に黒松、南塚に榎の巨木がありましたが、枯れたため今は若木が植えられています。
慶長年間、池田利隆公が子宝に恵まれなかった際、祈祷後たちまち名君と仰がれた光政公が誕生したとされる由緒ある神社です。

直径約2.5m、高さが18mあり、葉が一年中黄金色をしている珍しい杉です。推定樹齢は180年ですが、突然変異で葉緑素を失って葉黄素のみとなってしまい、葉が黄金色となりました。岡山県の天然記念物に指定されています。


武蔵終焉の地・熊本県の宮本武蔵顕彰会が当地を訪れ、武蔵生誕の地であると確証し、それを記念して建立されました。碑の正面には旧熊本藩主細川護成候伯爵の染筆により「宮本武蔵生誕地」と刻まれています。

広島県福山市神辺町出身の日本画家・金島桂華の作品を中心に、橋本関雪、児玉希望、小林和作などの近現代の日本画・洋画を収集しています。庭園は上田宗箇流第15代家元・上田宗源の設計監修によるもので、茶道の風雅幽寂の境地を表現。開館10周年の際に、第16代家元・…

吉井川近くの台地上に所在する古代寺院。主要伽藍が判明し、遺構の残存状況は良好である。出土した瓦から中央との強い関係が想定され、古代美作国の政治情勢を示す上でも重要である。
奈良時代の和銅年間(707~715年)以前の創建と伝えられている古社です。大隅神社の神輿は、1842年に造られたもので、津山市の重要有形民俗文化財となっています。

慶長8(1603)年に森忠政が美濃金山の涅槃寺を移し作州の菩提寺としたが、元禄11(1698)年に森家の後の津山藩主・松平宣富の祖母の戒名より泰安寺と改め、松平家の菩提寺となりました。美作西国三十三所観音霊場、神名:子安観音

明治時代に数多くの詩を発表し、大正時代以降は随筆の分野で多数の読者を魅了した薄田泣菫の家には、彼の詩集のほか、交友のあった芥川龍之介や与謝野晶子などの文人からの資料も展示されています。

岡山藩主の池田光政が藩士の子弟教育のために設けた学校跡。昭和20年(1945)の岡山空襲で講堂や校門等の建物群は全焼し、現在では泮池だけが残っています。
熱心な日蓮宗徒であったと伝えられる浮田土佐守こと宇喜多忠家が、天正9(1581)年に起工し、同11(1583)年に完成しました。棟札より慶安4(1648)年に大修理が行われたことがわかっており、創建当時の豪壮な桃山建築の特色を残しています。

出土遺物を陳列した展示室や収蔵庫をはじめ、遺物の化学的処理を行う木器・鉄器保存処理室、遺物整理室などがあります。
天明年間(1781~1788年)頃、伊予の国 宇和島藩家老の山家(やんべ)清近衛公頼を祭った宇和島の和霊神社の分霊を祭ったとみられます。悪疫を鎮め、勝運の神様として近郷の人々から崇拝されていました。

天台宗開祖・伝教大師最澄(さいちょう)の高弟、慈覚大師円仁の開山。1666(寛文6)年、池田光政による寺社整理で焼き払われましたが、1681(天和元)年、信亮法師が現在の地に龍城院として法燈を中興し継承しました。庭園は、徳島嵯峨派の庭師による江戸時代の造庭…