観光スポット
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200年の歴史をもつ上級武士の屋敷
この武家屋敷は昔のままの姿を残している唯一の上級武士の家屋で(別名渡辺邸ともいう)、渡辺氏は家老格の名門で百六十石でした。老朽化のため昭和61年に修復した際に土蔵を展示館とし、武家に関する資料を展示しています。

おかやま山陽高校所有の海の家(通称ホワイトハウス)をイヌ小屋に見立てて造形家・川埜龍三(かわのりゅうぞう)が行う「犬島ハウスプロジェクト」。「犬島の島犬」はその一環として作られた奥行5m10cm×高さ3m×幅2m40cmの巨大な犬の彫像。犬島の番犬とし…

吉備津神社の北200mの「福田海」という寺院の奥にあります。食肉となった牛の鼻ぐりを集めて供養しています。
812(弘仁3)年弘法大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には、松山城主水谷氏の外護を受け、京都仁和寺の中本寺として栄えました。雲海がたなびく標高500mの山上にあり、平安時代の山岳仏教の姿を色濃く残しています。
日常の中の美しい風景や作品の向こうに広がる身近な自然を感じられるように
岡山市東部、宝伝の沖約3kmに浮かぶ犬島は岡山市唯一の有人島です。犬島の集落に「日常の中の美しい風景や作品の向こうに広がる身近な自然を感じられるように」との願いを込め、2010年、企画展示を目的としたギャラリーが開館しました。アーティスティックディレクタ…

岡山県で最も古い教会堂
明治22年(1889)に建築された現在県下では最古の教会堂で、キリスト教伝導の跡をたどることが出来るだけでなく、明治洋風建築としても貴重なものです。

大庄屋の風格を残す旧家
この住宅は板絵図が残っていて、1786年に建築されたことが知られています。長屋門、蔵2棟が付属し、この地域の上層農家の構えを残している貴重な文化財として、1969年に国指定重要文化財(建造物)に指定されました。現在は、宿泊施設・地域活動の拠点として整備され…

「太平記」に記された「福山合戦」の地として有名。この城を中心に、新田義貞の武将・大井田氏経の軍と東上する足利直義(足利尊氏の弟)の大軍との間に激しい攻防が行われ、その戦いは三日三晩続いたといわれています。

西須恵地区には地名に代表される須恵器窯跡をはじめ古墳、寺跡など数多くの遺跡が分布しています。須恵古代館は長船町域から出土した多くの考古資料を展示。外観は古代の高床式建物をイメージしています。

早島に伝わる花ござ手織り技術を学ぶ
早島伝統の花ござ手織り技術を保存継承する伝承館。手織り機を用いた花ござの制作のほか、ミニ機を用いて地元の小学生などに手織りの体験教室を開催しています。

土居宿は美作七宿の一つとして、また、美作と播磨との国境にかかる宿場として重要な位置を占めていました。石見・伯耆などの諸大名の参勤交代の宿場として利用され、本陣や脇本陣が置かれていました。
城下町津山の西寺町を東西に走る旧出雲街道に面して建つ愛染寺。鐘楼門の両脇に仁王堂が付属している珍しいもので、鐘楼門及び仁王堂は岡山県指定文化財建造物に指定され、仁王像は津山市指定文化財彫刻にも指定されています。

井原市西江原町の「永祥寺」境内にある稲荷で、当地にゆかりのある那須与一が屋島の合戦で扇の的を射抜くとき、破り捨てた袖を祀っています。別名「一発稲荷」として多くの受験生が願かけに訪れます。

台湾出身のアーティストのジェンチョン・リョウの大型彫刻作品
自然豊かな鏡野町を象徴するヤマセミをモチーフとした高さ6.5mにもおよぶ台湾出身のアーティストのジェンチョン・リョウの大型彫刻作品。第1回の「森の芸術祭 晴れの国・岡山」で生まれたものです。山間部の渓流に生息するヤマセミは鏡野町のシンボルとして町の鳥に…

県下三大巨石古墳の一つ
県下三大巨石古墳の一つで、内部にある石室は、巨大ないくつもの石を精密に組み合わせた横穴式の大空間で、入口の羨道とその奥の玄室に分かれています。6世紀後半の築造と考えられており、直径54m、高さ7mの円墳です。

旧井笠鉄道・新山駅舎を利用した昭和56年開館の鉄道記念館。営業時に使用されていた備品や当時の写真などが所狭しと並べられ、敷地内には開業時にドイツのコッペル社から購入したレトロな蒸気機関車が展示されています。

国指定文化財
寒風古窯跡群は7世紀の飛鳥時代を中心とした約100年間にわたり、須恵器が焼かれていたところです。出土遺物は杯や甕など一般的なものの他に、鴟尾や硯、陶棺があり、焼かれた須恵器が奈良の都からも出土することから、単なる地方窯ではなく、半官窯的な性格をもつ窯で…

4世紀後半の円墳。東西45m、南北54m。南東側に方形の造出が付属しています。墳丘は2段で3重に埴輪列がめぐっています。全長4m、幅1.5mの竪穴式石室が築かれ、蓋に特殊な彫刻文様を配した刳抜式の石棺が収められ、30数面の青銅鏡のほか多数の優れた副葬品も出土しまし…
金光教発祥の地
毎年4月と10月には大祭が行われ、全国から多くの参拝者が訪れます。門前町の大谷地区は、明治から現在に至るまでの建物が混在し、懐古的な街並みです。

本丸、二の丸、三の丸と、段重ねのケーキのように彫りが鋭く、中世城砦の名残を色濃くとどめる城址です。また、遠藤周作氏の小説「反逆」の舞台としても有名です。

美作地方では最古の物と言われています。
宝暦年間(1751~1764年)に安国寺と改名され、鐘楼を改築されました。梵鐘には永和3年(1377年)と刻銘されていることから美作地方では最古の物と言われています。

幼稚園舎として全国で初めての重要文化財
明治41年(1908)に竣工。設計は岡山県工師江川三郎八。木造平屋建、中央に八角形の遊戯室、その四方に保育室が取り付く梅鉢型平面となっています。幼稚園舎として全国で初めての重文指定を受けました。

池田家の菩提寺である京都花園妙心寺護国院の火災をきっかけに、池田光政が津田永忠に命じて作らせた岡山藩主池田家の墓所。山中にあり、光政の祖父輝政(姫路城城主)、父利隆、光政らを儒式で埋葬しています。輝政の「一のお山」を中心に、合計7つの「お山」で構成…

梅雨の季節が楽しみになるあじさい寺
津山の南にある神南備山のふもとに静かに構える長法寺は「あじさい寺」として親しまれています。明治6年の津山城取り壊しの際、アジサイを描いた腰高障子(現在は市指定重要文化財)が贈られ、それをきっかけにアジサイが植えられ始めました。今では梅雨の季節になる…

吉備高原の自然に抱かれた隈研吾氏設計のアートスペース
世界的建築デザイナー隈研吾氏がCLT材をふんだんに使用して設計したアートスペース。1階にはフロアの家具や内装のデザイン・制作を手掛けたイールドインテリアプロダクツが監修するカフェレストラン<吉備高原食堂 麓-ROKU->があり、地元産の新鮮な食材使った料理を…

築城年代は定かではありませんが、源平合戦で功のあった庄家長がこの地に築城したのではないかといわれています。

旧山陽道を眼下に見下ろす高台にある中世の城址。井原で生まれた戦国時代の英雄、伊勢新九郎(後の北条早雲)が青年期を過ごした場所が、早雲を偲ぶ歴史公園として整備されています。山頂には「北条早雲生誕の地」の石碑が建っています。

武蔵の父・無二斎が仕えていた古城跡
竹山城は「太平記」にも登場する中世後期の山城です。宮本武蔵の祖父と父はこの城の家老であり、剣道師範役として仕えました。城跡は展望台となっており、武蔵の里を一望できます。

吉備路にゆかりのある文学者の情報を展示
明治以後の吉備路ゆかりの小説家、歌人、詩人、俳人、映画人などの著書や資料を収集・展示しています。展示以外のスペースは、講座・講演会をはじめコンサート・美術展・朗読会・ミニシアターなどに利用可能。2階研究室は、小説や詩の会、短歌、俳句の会などで利用で…

桜井宮覚仁親王と冷泉宮頼仁親王が、隠岐で亡くなった父君である後鳥羽上皇の一周忌供養のために、1240(仁治元)年に建立したものと伝えられています。


城の北部分にある登り土塁などは戦国時代末期に見られる技法の一つです。16世紀末まで存在しました。三星城跡のある「三星山」には、毎年8月と12月中旬~1月中旬まで「天」という文字を点灯しています。
吉井川近くの台地上に所在する古代寺院。主要伽藍が判明し、遺構の残存状況は良好である。出土した瓦から中央との強い関係が想定され、古代美作国の政治情勢を示す上でも重要である。

弘仁年中の創建。素戔鳴尊、木山牛頭天王を祭り、牛馬の神、五穀豊穣や商売繁盛の神様として多くの信仰を集めてきました。神仏混合の霊地で、かつては木山寺とともに「木山様」と呼ばれて木山山上にありました。本殿は入母屋造平入り銅板葺で、天正8年に再建立。随神…

旧御津町域から出土した考古遺物や民俗資料を展示
岡山市御津郷土歴史資料館は、旧御津町域から出土した考古遺物や民俗資料を展示し、岡山市域北部の歴史や民俗を概観できます。なかでも、全国的にも珍しい弥生時代のお祭りの様子を描いた新庄尾上遺跡出土の土器や原遺跡から出土した石鏃などの貴重な考古資料も展示し…

大吉備津彦命が温羅との戦いの時に射た矢を置いたとされる岩
吉備津神社内にある、大吉備津彦命が温羅(うら)との戦いの時に射た矢を置いたとされる岩です。吉備津神社には祭神である大吉備津彦命が、鬼ノ城に住む温羅を弓矢で退治したという伝説にちなんだ、矢を放って魔を祓い、国家安泰・五穀豊穣を祈る「矢立神事」がありま…

静寂な境内が趣深い山上の寺
標高430mの山上にある寺で、老杉古柏も鬱蒼とした静寂な境内が情緒ある風情を醸し出しています。木山寺の創建は、遠く弘仁6年(815年)の初冬。高祖弘法大師が美作の地を訪れた際、木樵姿の翁がこの霊山に大師を導き、仏堂建立にふさわしい地であると説きました。この…

庭瀬領主・戸川達安の妹が嫁ぎ先の宇喜多家で他界した際、母親である妙承尼(常山城主友林院殿の室)が娘の冥福を願い、達安もまた妹の死を哀れむとともに、妙承尼の心のうちを察してその願望を叶えようと考え開創した。