観光スポット
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1577年(正徳5年)に建立された清水寺。県指定の無形文化財の奇祭、「護法祭」が伝承されています。五穀豊穣、天下泰平を祈願し、毎年5月15日深夜に行われます。護法善神が修験者らの祈りつけにより、行を終えて身を清めた「護法実」と呼ばれる人物の身に乗り移り、「…

2025年9月上旬頃から奈義町立図書館に設置される「未来のための宇宙論」は、サンドラ・シント氏と奈義町の子供たちと共同で新作の壁画が制作されました。第1回の「森の芸術祭 晴れの国・岡山」で生まれたものです。図書館の利用時間内であれば、どなたでも観賞するこ…

町のシンボル「赤いトンガリ屋根」
明治45年(1912)に建築された旧勝田郡役所庁舎で、県内では唯一、郡役所の姿を留める貴重な建物として国登録有形文化財になっています。勝央町役場や郷土美術館として長く使用された町の歴史シンボルであり、令和4年から7年に建物の保存修理が行われ、貴重な明治期の…

椿の花を敷きつめた真紅の絨毯は必見!
圀勝寺の境内には樹高8m、樹齢350年を超えるといわれる、立派な大椿があります(町指定天然記念物)。4月上旬~中旬にかけて八重の花をつけ、落ちた花が樹下に真紅の絨毯を織り成します。深い緑の葉と色鮮やかな赤い花々の対比は息をのむほどに美しい風景。毎年4月の…

明治43年に建築された旧総社警察署の建物です。現存する市内唯一の明治洋風建築で、八角形の楼閣風の入口が明治の雰囲気を漂わせています。館内には備中売薬や阿曽の鋳物、い草産業など、明治を中心とした伝統産業の資料が展示されています。

作州絣の道具・資料の展示、反物・小物の販売をしています。また、織りの実演や棉繰り・糸紡ぎ体験もあります。

吉備平定のため派遣された吉備津彦命の射た矢と鬼ノ城にいた鬼神の温羅(うら)が投げた岩がぶつかり、ともに喰らい合い落ちたといわれる伝承がある社。温羅と呼ばれた鬼と吉備津彦命が戦った際に、温羅が投げた岩が吉備津彦命が射た矢とぶつかり、落ちた場所という言…

【両山寺本堂】江戸中期に津山藩主森長盛公が寄進したといわれている本格的仏殿です。本堂は入母屋(いりもや)造りで、正面には唐破風(からはふう)造りの向拝(こうはい)が付いています。その向拝に施された、古風で美しい絵柄の「ひきまた」と「こうりょう」、木…

自然豊かな鏡野町を象徴するヤマセミをモチーフとした高さ6.5mにもおよぶ台湾出身のアーティストのジェンチョン・リョウの大型彫刻作品。第1回の「森の芸術祭 晴れの国・岡山」で生まれたものです。山間部の渓流に生息するヤマセミは鏡野町のシンボルとして町の鳥に…

瀬戸内海地方各地にある蛇神信仰「道通様」の総本宮的神社
猿田彦命を主祭神とする西日本随一の神社で、商売繁盛、出世海運、交通安全の神として広く信仰を集めています。また、中四国の瀬戸内海地方各地にある「道通様」という蛇神信仰の総本宮的な地位を占めており、腹痛や神経痛に御利益があるとされています。

武蔵の父・無二斎が仕えていた古城跡
竹山城は「太平記」にも登場する中世後期の山城です。宮本武蔵の祖父と父はこの城の家老であり、剣道師範役として仕えました。城跡は展望台となっており、武蔵の里を一望できます。

国の重要文化財に指定された倉敷町屋の代表的な建築物
江戸時代に新田開発などで大きな財を成した大橋家が、1796(寛政8)年に建てた建物です。倉敷の代表的な町家のひとつに数えられ、長屋門や倉敷窓・倉敷格子などを備えた往時の商家の姿を現在に残す重厚な建築物です。

鎌倉時代に奈良東大寺大仏殿を再建した際、その瓦を焼いた窯跡の一つです。大寺山と称する丘陵の南端の畑の上の切り立った崖の斜面に窯跡が現れています。
三重県の朝熊山・金剛證寺と福島県の霊厳山・圓蔵寺とともに「日本三所虚空蔵菩薩」と称されている。源氏・北条氏・足利氏など遠方より寄進し信仰したと伝えられ、近世では大阪商人達が商売繁盛を願って寄進し参詣したという。また、子どもの生まれて初めての厄除け『…

新庄は、江戸時代、松江藩主松平家の本陣が置かれるなど、山陽と山陰を結ぶ出雲街道の重要な宿場町として栄えました。町並みの両側には清流豊かな水路が整備され、また日露戦争の勝利を記念して植えられた桜の木が伝統的な建物とみごとに調和して美しいたたずまいを見…

古墳時代の美作に君臨した豪族を知る
吉井川と吉野川の合流点を見下ろす、海抜約320mの山の頂にある4世紀末~5世紀初頭に築造された、径59m、高さ9mの円墳です。発掘調査の結果、多数の副葬品が出土し、古墳時代に美作の一角に君臨した豪族をうかがう貴重な資料となっています。
備中国分寺やこうもり塚古墳がある吉備路風土記の丘の一角で、歴史ロマンかおる地に立地。備中国分寺や鬼ノ城といった地域の史跡について説明したパネル展示をはじめ、かな書家で文化勲章受章者の故高木聖鶴氏の作品が常設展示されています。企画展や作品発表が行われ…


日本のおもちゃの歴史を物語る貴重なコレクションを展示した博物館です。江戸から明治、大正、昭和の日本製おもちゃが3,000点以上揃っています。
茶臼山公園の桜花と片上湾の展望は見ごたえがあり、さらに公園から御滝山真光寺にかけての景観も見事です。

昭和44年5月に国・県からの補助を受けて建てた収蔵庫と、昭和44年12月に広く市民一般の方々からいただいた寄付金により建てた展示館とを総称したものです。郷土館では、笠岡市内の考古・歴史・民俗資料を収集・展示して、郷土の歴史と文化の紹介につとめています。

1926(大正15)年に建築された木造三階建、銅板葺、時計付の塔屋や細部の浮き彫り等に特徴があります。基督教文書伝道をを目的として設立された日本唯一の基督教公共図書館です。創設者は森本慶三、内村鑑三の門に入った森本が内村の支持を得て開館した。現在は、歴史…

金山寺は備前48ヵ寺の根本道場として栄えた名刹です。報恩大師により749年に開山。平安末期に栄西禅師が入山し、灌室、菩薩堂などを建立しました。毎年2月の第1土曜に県内で最も古い会陽「金山寺会陽」が行われます。
行基(667生749没)の開基と伝えられ、寛永年中(1624~43年)に字槍原より現地に移り、薬師院万福寺の称を日光院真福寺と改め、権大僧都光範が中興開山となりました。美作国七福神霊場所(弁財天)で智識・学芸の神様。知恵、記憶、名誉福徳を授ける七福神の中の唯一…

戦国時代に岡山の宇喜多勢と安芸の毛利勢がこの地で激突した際、宇喜多勢の総大将・宇喜多与太郎基家は足を失傷し竹やぶへ隠れましたが、村人が探索の武士に居場所を教えたため、与太郎は捕らえられました。その後、村人が与太郎へのおわびと供養のため、また足の悪い…
八塔寺山の深い緑の中、神亀5年弓削道鏡が開基したと伝えられ、今なお当時を偲ばせる寺院です。天台宗・本尊は十一面観音(行基作と伝う)境内裏の首なし地蔵は乳の出に霊験があり、池田光政寄進のつり鏡が現存する。

多数の遺構と史跡が残る絶景眺望の山城跡
備中杉山城跡の杉山(別名:要害山、標高:226m)は里山づくり活動によって山頂及び遺構場所まで階段が整備されているので中世の山城跡を散策できます。山頂に主郭(本丸)を構え、南北約350mの連郭式山城で要害山と呼ばれるように尾根を除いて険しい谷が続いています…

7つの大テーマで地質時代から現代までの歩みを展示
津山は美作国府・国分寺や津山城が所在するなど、古代から近世まで一貫して美作の政治・経済・文化の中心地として繁栄してきました。特に、1603年森忠政(もりただまさ)が美作18万石余に封ぜられ、まもなく津山城を築いてからは城下町として独特の文化を育んできまし…

下津井港の背後にある標高89メートルの城山跡です。春には約300本のソメイヨシノやヤマザクラが目を愉しませてくれます。

県下では珍しい扇の縄と呼ばれる型式で、城郭は扇を広げたように配置され、四段にわたって構築されています。築城時期は不明ですが、南北朝時代に今川氏、後に上田氏が城主となりました。天正3年(1574)に毛利氏の城攻めを受けて落城し、その後江戸時代初期に廃城と…
天明年間(1781~1788年)頃、伊予の国 宇和島藩家老の山家(やんべ)清近衛公頼を祭った宇和島の和霊神社の分霊を祭ったとみられます。悪疫を鎮め、勝運の神様として近郷の人々から崇拝されていました。

名瀑を前に鎮座する開運の守護神。
江戸時代中期の元禄10年(1697年)に津山藩主の森長武によって再建された入母屋造り・平入りの一間社。鎌倉時代の様式・構造を基本として、細部には江戸中期の華麗な意匠が随所に見られます。別名「滝宮神社」と呼ばれ、開運招福の守護神であり、祈雨に顕著な霊験があ…

大庄屋の風格を残す旧家
この住宅は板絵図が残っていて、江戸時代中期の天明6年(1786年)に建築されたことが知られています。長屋門、蔵2棟が付属し、この地域の上層農家の構えをよく伝えています。
妹島和世作品「あしあと」は、「動物のような、生き物のような椅子をつくり、人間と一緒になってその場を楽しんでいるような空間をつくりたい」と妹島さんによってデザインされました。第1回の「森の芸術祭 晴れの国・岡山」で生まれたこの椅子は、彼女のデザインを…

生涯学習センターと人と科学の未来館サイピア、県立烏城高等学校を併設した複合施設。正門からの縦線と、各棟を繋ぐ空中デッキの横線によるシンプルでわかりやすい設計となっています。建築家/完成年:芦原義信/1996年見学・撮影について:館内見学可能

中和村との境界に近い山中にある江戸末期から明治20年代にかけて稼動した製鉄遺構。山内にはタタラ跡や作業小屋跡など一連の遺構がよく残っています。
ベンガラの町の人の住まう活きた文化財
西江家は江戸時代、幕領における惣代庄屋で、代官御用所を兼ねた館である。自主的行政機構として吹屋地区の「民の暮らし」を統括。郷蔵・駅馬舎・手習い場・お白洲・役宅などが現在もそのまま保存されている。また、六代目西江兵右衛門が紅柄産業に着手、成功し、吹屋…

美作河井駅~知和駅間に架かる石造りの鉄橋で、その橋を通る列車との風景は鉄道ファンにとって絶好の撮影スポットです。

1976年から津山市立南小学校敷地に設置しているSL「C11-80号」を、津山の玄関口の新たなシンボルとして2017年に津山駅北口広場に移設されました。
