観光スポット
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名瀑を前に鎮座する開運の守護神。
江戸時代中期の元禄10年(1697年)に津山藩主の森長武によって再建された入母屋造り・平入りの一間社。鎌倉時代の様式・構造を基本として、細部には江戸中期の華麗な意匠が随所に見られます。別名「滝宮神社」と呼ばれ、開運招福の守護神であり、祈雨に顕著な霊験があ…

牛窓オリーブ園の山頂広場に設置されているハートの形をしたオブジェ。作品名は『ランデヴー』ピンクを基調にしたチェック柄で、見る角度によってさまざまな形に変化します。手がけたのは、瀬戸内市出身のアーティスト・隠崎麗奈さん。「恋人の聖地」とも呼ばれている…

奈良時代に建てられた備前48ヶ寺のひとつ
奈良時代孝謙天皇の勅願で報恩大師の建てた備前48ヶ寺の1つとの寺伝を持っています。

平安時代の末期、1183年(寿永3年)に開創された古刹の寺。病気平癒・厄除祈願特にがん封じのお寺としてたくさんの方々が参拝しています。四季を通じて様々な美しい花々を楽しむこともできます。
江戸時代中期から後期にかけて、近習役や番頭役などを勤めた武士の住宅
江戸時代中期から後期にかけて、百二十石から百五十石取りで、近習役や番頭役などを勤めた武士の住宅である。江戸中期の建築として平屋建て、桟瓦葺き、箕甲・入母屋造りで大ぶりな三ッ花懸魚を取付け、玄関には幅二間の式台を設け、玄関の間の正面には一間半の棚を設…

岡山県南部にある33ヵ所に及ぶ石積遺構
岡山県南部の最高峰、標高508.6mの熊山一帯には、33ヵ所に及ぶ石積遺構が所在しており、その中でも最大の石積遺構が国指定史跡「熊山遺跡」です。ピラミッドを思わせる特殊な石積遺構は三段から成り、三段目の頂部中央には方形の竪穴が設けられていて、陶製筒形容器(…

開龍寺にかぶさるような迫力のある巨石が見どころ
真言宗に属する笠岡遍照時の末寺。弘法大師が大同元年(806年)に唐の国から帰国する際に白石島に立ち寄り、37日間の修行を行なったと伝えられています。

白壁の長屋門や土壁が続く町並み
臥牛山南麓に広がる備中松山城の城下町です。武家の町として営まれた石火矢町は、今も武家屋敷や城下町の町割りがそのまま残り、昔の面影を留めています。

国の重要文化財に指定された倉敷町屋の代表的な建築物
江戸時代に新田開発などで大きな財を成した大橋家が、1796(寛政8)年に建てた建物です。倉敷の代表的な町家のひとつに数えられ、長屋門や倉敷窓・倉敷格子などを備えた往時の商家の姿を現在に残す重厚な建築物です。

県指定重要文化財の足守藩家老・杉原家の居宅
もと足守藩家老の杉原氏の住居。江戸時代中期の武士の書院造り住宅遺構として貴重なものです。

素盞鳴命・大国主命・少名彦名命の三方が神として祀られています。現在の社殿は元禄8年(1695年)に再建されたもので、社殿の正面に長い廊下、境内の周りには堀が巡るなど、地方の神社では立派なたたずまいを見せています。
170年以上前に建てられた、格式のある門構えの家並み
武家屋敷・旧折井家のある石火矢町は、両側に土塀が続き、格式のある門構えの家並みが見られ、岡山県指定の「石火矢町ふるさと村」の一角にあります。この建物は今から170年前天保年間に建てられたもので、200石前後の武士が住んでいた建物です。母屋と長屋門からなり…

池に映える朱色の鳥居と紅葉が美しい
創建は奈良時代は天平勝宝年間、この地で山岳修行をしていた報恩大師によるものとされています。雨乞いの神である竜神様、八大龍王と、豊作の神であるお稲荷様、最上稲荷が渾然一体となった民間信仰の霊場でした。宗派は、かつて天台宗であった時期があり、日蓮宗に改…

雪舟像や国宝指定作品6点の陶板画などを展示
雪舟像や国宝指定作品6点の陶板画などを展示。雪舟について見て学べるほか、憩いの広場も利用できます。多目的広場ゾーンでは、桜やモミジを植樹しており、自然の中でゆったりとした時間を過ごせます。展示交流施設では、雪舟の生涯や功績などを紹介しています。時期…

第一合同銀行の倉敷支店として大正11年(1922)に竣工したルネサンス風の建物。大原美術館や有隣荘など、大原家関連の建物の多くに関わった総社市出身の建築家、薬師寺主計が設計しました。鉄筋コンクリート造の2階建で、アーチ窓上部のステンドグラス、独特なドリス…

大正12年築の木造洋風建築物
昭和20年の空襲による焼失を免れた数少ない建物で、窓枠や内装の一部が改修されているものの、外観や構造等はほとんど手を加えられておらず、建築時の状態を残しています。構造は、木造3階建で、寄棟造・スレート葺(一部鉄板葺)の屋根は3階部分で腰折風に処理する。…

津山の玄関口の新たなシンボル
1976年から津山市立南小学校敷地に設置しているSL「C11-80号」を、津山の玄関口の新たなシンボルとして2017年に津山駅北口広場に移設されました。

ご祭神は、昔話「うらしまたろう」の乙姫様
ご祭神は豊玉姫命こと竜宮城伝説(うらしまたろうが出てくる昔話)の乙姫様です。昔、玉比咩神社のあたりは入江となっており、その境内にある「立石」と言われる巨岩は珍しく、人々は舟をとめ、しばしばここへ訪れました。この立石から、ある夜、火の玉が三つ飛び出し…

出雲街道の「美作七駅」の一つ
勝間田は、津山藩主の本陣、勝山・松江藩主の本陣と二つの本陣が指定された一大宿場町でした。

幕末(19世紀初めごろ)の洋学者である箕作阮甫の生誕地。阮甫は21歳で津山藩医となり、後に江戸に出て洋学を学んだ。カラフト問題でロシアと交渉した時の日記「西征紀行」はよく知られている。

最大354名収容可能なホールや、控え室としても使用可能な会議スペースを擁する施設です。7枚の屋根が集まってできる多様な空間・外観は、世界的建築家ユニット「SANAA(サナア)」による設計で、白を基調としたガラス張りの開放的な空間が広がります。学術および文化…

ベンガラは赤色顔料として宝永4(1707)年に吹屋で開発され、特産地として栄えました。ベンガラ館は明治の頃のベンガラ工場を復元したもので、当時の製造工程を紹介しています。

「老いても嫁の手を煩わすことなく、健康で幸せな生涯をまっとうできる」という霊験があり、そのため「嫁不要(よめいらず)の観音様」と呼ばれています。

国の登録有形文化財
大正4年に牛窓銀行本店として建てられ、後に中國銀行牛窓支店として昭和55年まで使われていました。現在は、国の登録文化財に指定され、しおまち唐琴通りを散策する人を癒し、通りの文化を紹介する施設です。※道が狭く、施設には駐車場が無いため、牛窓港周辺の駐車…

吉備津彦命の伝説にまつわる場所です。
吉備平定のため派遣された吉備津彦命の射た矢と鬼ノ城にいた鬼神の温羅(うら)が投げた岩がぶつかり、ともに喰らい合い落ちたといわれる伝承がある社。温羅と呼ばれた鬼と吉備津彦命が戦った際に、温羅が投げた岩が吉備津彦命が射た矢とぶつかり、落ちた場所という言…

SANAAが初の木造個人住宅として設計した建物を改修した美術館
SANAAが初の木造個人住宅として設計したもので、後にSANAAから独立した建築家、周防貴之が芸術家と建物を繋ぐ空間コーディネートと改修を行い、美術館へ転用されました。建築家/完成年:SANAA/1996年見学・撮影について:館内見学可能

秋の古刹で紅葉を愛でる
もみじ寺といわれ親しまれている観音寺。境内を彩るもみじの紅葉風景は心を打たれます。階段を下りると岩肌がそのまま残る手彫りの文殊洞があり壮観な姿を見せてくれます。■美作市の紅葉スポット紹介記事はこちら

ホールを中心とした近代的な公民施設。軒高を抑えて設計されているほか、外壁は白壁と小さな窓、倉敷格子、貼瓦などで倉敷美観地区の伝統的な街並みを意識して建てられました。固定席387席の大ホールは講演会に、展示室は美術・工芸などの展示に適しています。建築家…

3つの流れ星が美星町に落ちたと伝えられる伝説の残る神社
その昔、3つの流れ星が美星町に落ちたと伝えられる「星尾降神伝説」の残る神社で、別名「星の宮」と呼ばれています。全国からたくさんの七夕短冊が届けられ、毎年「七夕祈願祭」で焚き上げて天へ願いを届けてくれます。

岡山駅からすぐ! まちの歴史が学べるミュージアム
岡山市の歴史と今、そして誇りを記録・保存し、展示発信して次世代へ引き継ぐ博物館です。企画展も開催され、誰もが楽しめて学べる施設になっています。

楽しくてためになる温泉ミュージアム!
湯原温泉砂湯を露天風呂番付で西の横綱に据えた、旅行作家の野口冬人さん寄贈の蔵書、愛用品が並ぶ野口冬人記念資料室や、温泉の歴史を説明した資料の展示、温泉卓球などが楽しめる施設です。観光情報センターも併設。

日本刀の聖地・長船を巡ろう
備前長船刀匠の霊を供養する備前・刀工菩提寺。江戸時代以降、水害の難を逃れて長船鍛冶の伝統を守り続けた横山祐定家。その後の刀工、横山元之進祐定が寄進した梵鐘(市指定文化財)が置かれている。

古くから瀬戸内海航路の要衝として栄えた港町
倉敷市南部に小高い山々を連ねて横たわる児島半島の、南端に位置する下津井。江戸から明治の中頃にかけて北前船で栄え、現在は漁業の町として知られる港町です。祇園神社の参道付近から東の田之浦に続く旧道沿いは、本瓦葺きの屋根や土蔵など古い町並みが残る県の町並…

愛と元気に再会できる、少女漫画の美術館
少女漫画界の巨匠、いがらしゆみこの作品を展示している美術館。ドレスを着て撮影ができる「お姫さま体験」が大人気のほか、観光着物レンタルやカフェのご利用など、家族で1日遊べる美観地区注目のスポット。

毎年恒例の子供会陽は冬の風物詩
江戸時代に開墾された沖新田の産土神として建立され、1709(宝永6)年に現在地に遷宮した。道通宮は高松城水攻めで有名な武将、清水宗治とゆかりが深く、1800(寛政12)年に子孫が当地に社殿を遷し、沖田神社の末社となった。開墾の際、潮止め工事を成功させようと人…

江戸時代に建てられた大庄屋の屋敷で、母屋と2つの離れ座敷のほか、民俗資料展示室、蔵が残る学術的にも貴重な伝統建築です。歴史再発見の場として、また伝承、伝統、さらに新しい知的生産や学習・交流の場として利用できるよう整備されています。週末は「茶房 河原邸…

高梁小学校の本館を資料館にしたもので、本館は明治37年に建てられた洋風木造建築です。2階の樅材を使った無節正目の格天井は、日露戦争の最中に造られたものです。

旧熊本藩主細川護成候伯爵の染筆により「宮本武蔵生誕地」と刻まれています。
武蔵終焉の地・熊本県の宮本武蔵顕彰会が当地を訪れ、武蔵生誕の地であると確証し、それを記念して建立されました。碑の正面には旧熊本藩主細川護成候伯爵の染筆により「宮本武蔵生誕地」と刻まれています。

本館は明治33年に建設されました。屋根部分は寄せ棟造りで、桟瓦ぶき、正面中央にある台形の塔屋にある時計台が印象的で、カーブを描く窓が異国情緒を醸し出しています。イタリア・ルネサンス様式を取り入れた外観は、当時のハイカラな雰囲気を今に伝えています。
