観光スポット
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白鳳時代後半に創建され、平安時代末までに廃寺になったと見られている伽藍跡に残っている県下最大の塔心礎。
約48mの前方後方墳で、かつて三角縁神獣鏡11面を含む合計13面の中国鏡が掘り出されています。また、のちの発掘調査によって銅鏡以外の副葬品や葬送儀礼に用いた壺形土器なども明らかになっています。葺石の遺存状態がよく、今も段築成があることや撥形を呈する前方部…
全国的にもめずらしい看板建築が残る町並み
はだか祭りで有名な西大寺観音院の境内から少し北に歩くと、今ではめずらしい看板建築の商家が建ち並び、昭和の面影を残す、通称「五福通り」が現れます。「五福」とは人生の五種の幸福、すなわち、寿(寿命の長いこと)、富(財力の豊かなこと)、康寧(無病なこと)…
最も古い墳形を示す全長130mの大型前方後円墳。発掘調査により長大な竪穴式石室をはじめ、銅鏡など多数の遺物が出土しました。
旧瀬戸町域から出土した考古遺物や民俗資料を展示し、旧町域内の歴史や民俗を概観できます。なかでも、シカを描いた陣場山遺跡出土の埴輪や国指定史跡の万富東大寺瓦窯跡出土の東大寺瓦などの貴重な考古資料を展示しています。
吉井川河口部東岸、岡山市乙子にある。かつて児島は瀬戸内海に浮かぶ島であり、児島と岡山平野の間は、吉備穴海といわれる内海であった。この内海は九州と畿内を結ぶパイプであり、源平の争乱の舞台にもなる重要な航路であった。乙子城は、この内海の東の入り口を押さ…
おかやま山陽高校所有の海の家(通称ホワイトハウス)をイヌ小屋に見立てて造形家・川埜龍三(かわのりゅうぞう)が行う「犬島ハウスプロジェクト」。「犬島の島犬」はその一環として作られた奥行5m10cm×高さ3m×幅2m40cmの巨大な犬の彫像。犬島の番犬として恒久設置さ…
犬島に残る銅製錬所の遺構を保存・再生した美術館
「遺産・建築・アート・環境」による新たな地域創造のモデルとして循環型社会を意識した美術館です。犬島精錬所美術館の敷地内にある製錬所跡は、2007年度経済産業省 地域活性化のための「近代化産業遺産群33」に認定されました。また、2009年には産業遺産を活用した…
探鳥や草木の観察など自然が楽しめる農業公園です。岡山市東区竹原出身で現在の第一生命保険株式会社の創始者である矢野恒太恒翁により設立された三徳塾が前身。現在は農業公園として、また農業研修や交流の場所として利用されています。周囲を森に囲まれ、樹木や草花…
江戸時代の会陽の宝木や観音院本堂の模型、天保年間に観音院の改修した床材、天満屋ののれん、商家の看板、薬屋の百味タンス、そろばん、銭入れ、お菓子の型、切り絵図、西大寺地域から出土した土器などの関連資料を収蔵展示しています。
東アジア情勢が緊迫した7世紀頃に築造されたと推定されています。発掘調査の結果、土塁線や一の木戸等の水門、石塁構造が確認されています。
岡山藩主の池田光政が領内の神社11,003社を601社にまとめ、正徳2年(1712)次の藩主である綱政がこのうち5社だけを残して、596社をここに移して合祀した宮跡です。
鎌倉時代に奈良東大寺大仏殿を再建した際、その瓦を焼いた窯跡の一つです。大寺山と称する丘陵の南端の畑の上の切り立った崖の斜面に窯跡が現れています。
庭瀬領主・戸川達安の妹が嫁ぎ先の宇喜多家で他界した際、母親である妙承尼(常山城主友林院殿の室)が娘の冥福を願い、達安もまた妹の死を哀れむとともに、妙承尼の心のうちを察してその願望を叶えようと考え開創した。
この建物はクラボウの発祥工場で、明治22年に建設された貴重な歴史的建造物です。床の石畳も当時のままで、窓ガラスも手作りの口吹きガラスであり、天井も英国のランカシャの紡績工場を模して設計されたもので、屋根が南北ともに勾配があります。現在は「貸しホール」…
愛と元気に再会できる、少女漫画の美術館
少女漫画界の巨匠、いがらしゆみこの作品を展示している美術館。ドレスを着て撮影ができる「お姫さま体験」が大人気のほか、観光着物レンタルやカフェのご利用など、家族で1日遊べる美観地区注目のスポット。
まきび公園内にある、吉備真備公に関する複製資料を数多く展示する記念館です。朱塗りの柱が中国情緒を醸し出しています。
中国西安市に吉備真備公の記念碑が建立されたのを記念して造られた、古代中国風の公園です。中国にいるような雰囲気を楽しみながら散策ができます。園内の「たけのこ茶屋」では食事やお茶を楽しめるほか、地元農産物、工芸品の販売なども行われています。
大人も夢中に! 魅力あふれる科学の世界を体験
ドーム直径21mの宇宙劇場では、満天の星空を映し出すプラネタリウムと全天周映画が楽しめます。また、科学展示室では科学のおもしろさや素晴らしさを体験できる約100点の展示物を設置。子どもから大人まで科学の楽しさを肌で感じることができる施設です。
鶴形山の山頂に鎮座する旧倉敷村の鎮守
倉敷美観地区を見下ろす絶好のビュースポットである鶴形山の山頂に鎮座し、境内には能舞台や蓬莱思想に基づいた古代庭園を構えています。推定樹齢300~500年の県指定天然記念物「阿知の藤」も見応え十分です。
倉敷市本町の国指定重要文化財井上家住宅が10年の長きにわたる保存修理工事を終え、2023年3月19日(日)13時から一般公開を開始。倉敷美観地区内では最古の町屋で、約300年を経ています。「倉敷窓」といわれる窓には、防火用の土塗りの扉をもっており、倉敷市内に現存…
一の口水門は、水門の構造などに当時の遺構が良好に残されており、17世紀後半~20世紀初めまで続いた高瀬舟による物資輸送の事を考えるうえで重要な史跡です。
1658年(万治元年)、備中松山藩主水谷公が玉島港を開く際、干拓工事の成功を祈って出羽の羽黒神社を勧請した神社です。屋根の上には烏天狗の鬼瓦があり、今では町おこしのシンボルとなっています。
横溝正史が70年以上前の疎開中に家族とともに暮らした家が、当時のたたずまいのまま保存されています。疎開宅から井原鉄道川辺宿駅までは、小説にまつわる見どころがあちこちに点在する名探偵金田一耕助ミステリー遊歩道が整備されています。
下津井港の背後にある標高89メートルの城山跡です。春には約300本のソメイヨシノやヤマザクラが目を愉しませてくれます。
瀬戸内海に面した歴史古い港町
下津井は瀬戸内海に面する港町で、江戸時代には、北前船による綿花、ニシン粕の中継取引港として、また、海を隔てた讃岐金毘羅参りをする人々の宿場として大いに繁栄しました。今でも当時の商家やニシン蔵などが残され、港町の雰囲気がよく残っています。
加計美術館は加計学園と順正学園が倉敷美観地区の中心に設立した美術館です。芸術文化の発信基地として、地域の美術館、博物館との交流を深め、関連学園の学生および教職員との交流・活動の場を役目としております。ミュージアムショップや加計グループ創立者加計勉記…
備中松山藩主に諸役として仕えた柚木家の旧宅。江戸中期の建築といわれ、藩主お成りの屋敷でもあった風格ある造りや構えには格別の趣が見られます。また幕末に朝敵となった藩の全責任を負い、藩老熊田恰(くまたあたか)が自刃した屋敷でもあります。
元禄時代に栄えた歴史的な景観の残る港町
玉島はかつては瀬戸内海に点在する小さな島々であったが、江戸時代になると備中松山藩により大々的な新田開発が行われました。元禄時代には北前船と高瀬舟の水運により、玉島は港町として栄えました。今でも虫籠窓や格子、漆喰壁やなまこ壁を持つ本瓦葺きの商家や土蔵…
玉島歴史民俗海洋資料室は、玉島歴史民族海洋資料館を玉島市民交流センター内に移設したもので、2012年(平成24)4月に開館しました。 海とともに暮らし発展してきた玉島の町の歴史や民俗に関する資料・情報を集めた展示室です。郷土の歴史や民俗を知る上で欠かせない…
熊野神社は、修験道の始祖である役行者の弟子たちが開いたと言われる神社で、社殿が6棟建ち並び、その壮麗さに圧倒されます。第二殿が国の重要文化財に、そのほかの殿が県の重要文化財に指定されています。
日本最初の公開民間天文台で、天文台内の5m観測ドームを記念館にしています。1926年に32cm反射望遠鏡を英国から購入して、日本最初の民間公開天文台「倉敷天文台」を創設した原澄治と、1941年~1990年まで倉敷天文台主事として新彗星や新星等新天体捜索に活躍した本田…
治承・寿永の乱の際、平氏が源氏に勝利した「水島の合戦」の記念碑。水玉ブリッジライン源平大橋(玉島大橋)西側に建てられています。
桜井宮覚仁親王と冷泉宮頼仁親王が、隠岐で亡くなった父君である後鳥羽上皇の一周忌供養のために、1240(仁治元)年に建立したものと伝えられています。
1970年代に稼働していた洗い工場の跡地を利用した国産ジーンズの歴史と技術を伝える資料館です。児島で生まれた貴重なジーンズの数々、広告ポスターや販促物、アメリカ製やドイツ製のミシン、ジーンズを軽石と一緒に洗ってストーンウォッシュ加工をする機械など充実し…
全国一の学生服の産地にある体験資料館!
全国の学生服の90%を生産していた学生服のまち・児島。昭和初期から現在までの学生服の歴史や、販売促進用の看板などを展示した学生服の資料館です。2階には学生服の試着コーナーがあり、記念撮影なども楽しめます。
明治26年に大原家の別荘として建てられた和風建築物です。現在、園内の庭園は観光客や市民の憩いの場となっています。
県下三大巨石古墳の一つで、内部にある石室は、巨大ないくつもの石を精密に組み合わせた横穴式の大空間で、入口の羨道とその奥の玄室に分かれています。6世紀後半の築造と考えられており、直径54m、高さ7mの円墳です。