観光スポット
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「総社」は国中の神社を巡拝する慣しの不便をはぶくため、平安末期に国府の近くに造られるようになったもので、備中国の総社は324社の神々をひとつに祀った社です。

ご祭神は豊玉姫命こと竜宮城伝説(うらしまたろうが出てくる昔話)の乙姫様です。昔、玉比咩神社のあたりは入江となっており、その境内にある「立石」と言われる巨岩は珍しく、人々は舟をとめ、しばしばここへ訪れました。この立石から、ある夜、火の玉が三つ飛び出し…

岡山県南部の最高峰、標高508.6mの熊山一帯には、33ヵ所に及ぶ石積遺構が所在しており、その中でも最大の石積遺構が国指定史跡「熊山遺跡」です。ピラミッドを思わせる特殊な石積遺構は三段から成り、三段目の頂部中央には方形の竪穴が設けられていて、陶製筒形容器(…

白壁の長屋門や土壁が続く町並み
臥牛山南麓に広がる備中松山城の城下町です。武家の町として営まれた石火矢町は、今も武家屋敷や城下町の町割りがそのまま残り、昔の面影を留めています。

1660年代に四国金比羅宮の分霊を移し祀られています。山頂に登ると日詰山の展望台があり、加茂郷が一望できます。

美観地区にある大原家旧別邸
大原孫三郎が家族で住むために建てた大原家の旧別邸。「緑御殿」とも呼ばれることでも有名な艶やかな緑色の瓦は、独特な釉薬が使われており、泉州堺の瓦職人に特別注文したものです。建築家/完成年:薬師寺主計/1928年見学・撮影について:外観のみ見学可能(春と秋…

715年、行基菩薩により本宮山山頂に正法寺として開創され、鎌倉時代中期の大火により現在の地に移築再建されました。その後、一時は塔中14ヶ坊、末寺6ヶ寺をもつほどの隆盛を極めましたが、江戸時代に2度の大火にあい、現在の本堂は1846年に再建されたもの。天井には…

赤磐市惣分地区にある「岩神神社」は、拝殿奥に祀られる巨石群を御神体として、大国主命(おおくにぬしのみこと)を祭神としています。御神体は約5メートルの巨石がわずかな支点で支えられ、落ちそうで落ちないことから「ゆるぎ岩」と呼ばれています。これだけ大きい…

近代彫刻界の巨匠・平櫛田中の美術館
井原市出身の近代彫刻界の巨匠・平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の作品を保存展示する美術館です。2023年4月18日に「新たな井原市の芸術交流拠点」をコンセプトにリニューアルオープン。田中の107歳までの生涯をたどる、珠玉の作品を一堂に展示するほか、田中と関係の…

倉敷美観地区内にある郷土玩具の博物館
日本郷土玩具館はgangukanの愛称で知られ、岡山県倉敷市の美観地区内にある、1967年に開館した郷土玩具の「博物館」です。江戸時代から昭和にかけて、全国各地で作られた郷土色豊かな玩具とおもちゃ約1万点を収蔵。敷地内には、玩具や雑貨の「ショップ」、岡山の作家…

ベンガラは赤色顔料として宝永4(1707)年に吹屋で開発され、特産地として栄えました。ベンガラ館は明治の頃のベンガラ工場を復元したもので、当時の製造工程を紹介しています。

懐かしい昭和時代へタイムスリップ!
湯郷温泉街にレトロな雰囲気を醸し出す観光スポットです。ブリキのおもちゃ、蓄音機、少年マンガなど、大正から昭和30年頃までの懐かしいグッズを約350点展示しています。また、館長がイラストレーターでプラモデルの箱絵など挿絵の第一人者として幅広く活躍された小…

武蔵が誕生した家!
武蔵は天正12年(1584年)生まれ。父・平田無二(無二斎)、祖父を平田将監といい、両人とも十手術の達人という武術家の家に生まれ育ちました。生家はもともと、約60m四方の大きな構(かまえ)の中に立つ大きな茅葺の家でした。神社のそばにあったことから“宮本…

建武元年(1334年)、福山城主 大江田式部大輔氏により祈願所として福山山頂に祭られていましたが、延宝6年(1678年)に現在の地に移転造営されました。昔、境内に垂乳根の桜と呼ばれる枝垂れ桜があったことから、乳神様として庶民の信仰を集めました。安産や母乳の…

庄新町の丘陵上、王墓山古墳の北側に位置する弥生時代後期に築造された日本で最大級の墳丘を持つ弥生墳丘墓です。円丘部の頂上には5個の巨石が立てられ、墳丘の各所から多くの土器片も出土しています。

時を決めて思いを託す知る人ぞ知る稲荷神社
知る人ぞ知る想いを託す稲荷神社として話題のスポットで、正式名称は「時切稲荷神社」。「○月○日までに○○を見つけてください」と時を決めてお祈りすると、不思議なことにその日までになくしたものが出てくると言われています。また、写真撮影用に狐面が設置してあるの…

1917(大正6)年築の中島病院旧本館です。木造2階建てで正面にドームを配し、屋根や窓の細かい装飾が特徴の欧風建築です。カフェやギャラリーが併設されており、ノスタルジックな雰囲気が楽しめます。館内での撮影も可能です。

差別や偏見のない社会を築くために
1909(明治42)年に、大阪府に設立された「外島保養院」が室戸台風で壊滅し、1938(昭和13)年、長島に再建されました。園内にある社会交流会館資料展示室では、邑久光明園とハンセン病に関する歴史資料の数々が展示されています。偏見・差別のない世界をつくりあげて…

かつては醤油製造蔵や市民銀行の窓口として使われていた「旧福岡醤油建物」を改修した文化施設。2025年4月、岡山市北区丸の内の現代美術館「ラビットホール」の開館にあわせ、若⼿現代美術作家の個展をする芸術エリア「福岡醤油ギャラリー」、学校生活に不安を持つ児…

早島に伝わる花ござ手織り技術を学ぶ
早島伝統の花ござ手織り技術を保存継承する伝承館。手織り機を用いた花ござの制作のほか、ミニ機を用いて地元の小学生などに手織りの体験教室を開催しています。

吉井町石上の大松山中腹にある神社。神社の御神体はスサノオノミコトが大蛇を退治した剣とされ、社殿の裏400mの山頂に本宮があり、背後に禁足地の巨石地域(遺跡)があります。

江戸時代中期から後期にかけて、百二十石から百五十石取りで、近習役や番頭役などを勤めた武士の住宅である。江戸中期の建築として平屋建て、桟瓦葺き、箕甲・入母屋造りで大ぶりな三ッ花懸魚を取付け、玄関には幅二間の式台を設け、玄関の間の正面には一間半の棚を設…

牛窓の海を臨む美術館
牛窓の海を臨む美術館。牛窓オリーブ園を拠点に30年以上制作を続け、「オリーブの画家」として親しまれた佐竹徳(さたけとく)画伯の作品など、瀬戸内市ゆかりの美術作品を中心に展示・紹介しています。

宇野港周辺の沿岸や主に児島湖で集められた漂流物で制作されたオブジェ「宇野のチヌ」(淀川テクニック)は、第1回の「瀬戸内国際芸術祭2010」で生まれたもの。世界の各地から海を渡って瀬戸内に漂流した廃棄物が新たなフォルムとなり、アート作品として宇野港に展示…

プラネタリウムや太陽観測など、身近な宇宙を体験
最新鋭のプラネタリウムでまるで本物のような美しい星空を見ることができるほか、天体に関する様々な展示品により身近な宇宙を体験できます。隣接地には、アジア最大級の3.8m新技術望遠鏡を備えた京都大学岡山天文台や日本最大級の口径188cmを誇る反射望遠鏡を備えた…

街角のランドマークとなる信用金庫
おかやま信用金庫創立100周年を記念して、発祥の地に建てられました。数々の世界的な賞を受賞した安藤氏の設計で、シンボリックな建築物でありながら、北側の壁面にガラスを多く用い、隣接する旧日本銀行岡山支店を借景として取り入れています。3階まで吹き抜けのエレ…

早島の代表的町家を改修した文化発信拠点
畳表・経糸の問屋で当時の繁栄を物語る代表的町家・寺山家(明治末期建築)を改修した建物で、早島に受け継がれた遺産を保存しながら、新しい文化を創造する拠点として今に甦らせたものです。部屋の貸し出しを行っており、各種イベントやワークショップに利用されていま…

宗忠大神(黒住教の教祖 黒住宗忠)を、生誕の地である岡山市北区上中野(通称・大元)に祀った神社です。学徳向上、家内円満、病気平癒、事業繁栄の開運の神様として知られています。毎年4月に行われる「御神幸」は、御鳳輦を中心に千余人が延々1キロにわたる絢爛華…

色とりどりのあじさいが参道を彩る
備前市大内にある大滝山西法院は、通称あじさい寺と呼ばれています。その愛称通り、参道には色とりどりのあじさいが咲き、訪れる方の心を癒しています。

大国主之命、手名椎之命(てなづち)、足名椎之命(あしなづち)の三神をおまつりしており、足のけが、病気に霊験あらたかと評判です。鎌殿には、「病の根を切る。」という願いを込めて多くの鎌や刃物が奉納されています。

標高60メートルほどの里山に位置し、一山一寺多院制の貴重なお寺
上寺山 餘慶寺は、愛山護法の思いを持って、善い行いを積み重ねてきた歴史あるお寺。愛山とは、お山を大切にしますという意味が込められており、ここでいう山はお寺の山号さんごうのことで、餘慶寺では「上寺山」となる。護法とは、私たちの人生の大切な道しるべであ…

日本でも珍しい、ブリキ、陶器、鉄などさまざまな貯金箱の博物館です。犬の資料館やおもちゃ博物館も併設しています。

全国一の学生服の産地にある体験資料館!
全国の学生服の90%を生産していた学生服のまち・児島。昭和初期から現在までの学生服の歴史や、販売促進用の看板などを展示した学生服の資料館です。2階には学生服の試着コーナーがあり、記念撮影なども楽しめます。

弘法寺常行堂は、天明元年(1781年)に再建されたもので、瀬戸内市指定重要文化財となっています。本尊の尊顔を礼拝できるよう、上層部の正面中央部に窓が設けられています。

遣唐使として唐に渡った吉備真備公を祀る神社です。学問に秀でていた真備公にあやかろうと、受験シーズンには多くの受験生が参拝します。大臣宮のある一帯は吉備真備公園として整備され、手打うどんで有名な館址亭などがあります。

笠岡市出身の日本画家小野竹喬(おのちっきょう)をたたえ、その功績を後世に伝えるために昭和57年(1982)2月に創設され、同年10月に開館しました。建設に対しては遺族から多くの遺作が寄贈されました。平成13年(2001)3月には新館が開館。竹喬芸術の殿堂として、さ…

豊臣秀吉の正室ねねの実兄を藩祖とする木下家2万5千石の陣屋町
豊臣秀吉の正室・ねねの実兄を藩祖とする木下家2万5千石の陣屋町。保存地区は陣屋町のうちの町人町にあたります。足守の特徴として、格子が良好に保存されていることがあげられます。千本格子や親子格子など端正な格子が取り付けられ、生活の中から生み出された比例の…

観応元年(1350)に足利尊氏がこの城を、子・直冬の離反を鎮圧するため西下の途中、40日余り本陣にしたといわれています。

南北朝時代に創建された古寺で、「バンバ踊り」が伝承されています。仏教寺本堂前の石段の中段に建立してある仁王門。その左右に配されていた金剛力士像。向かって右側の阿形像の脊部内面左肩に「建長元年巳酉三月二十日」の墨書があります。二駆とも檜材の寄木造で、…
