観光スポット
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庭瀬領主・戸川達安の妹が嫁ぎ先の宇喜多家で他界した際、母親である妙承尼(常山城主友林院殿の室)が娘の冥福を願い、達安もまた妹の死を哀れむとともに、妙承尼の心のうちを察してその願望を叶えようと考え開創した。
県指定重要文化財の足守藩家老・杉原家の居宅
もと足守藩家老の杉原氏の住居。江戸時代中期の武士の書院造り住宅遺構として貴重なものです。

1658年(万治元年)、備中松山藩主水谷公が玉島港を開く際、干拓工事の成功を祈って出羽の羽黒神社を勧請した神社です。屋根の上には烏天狗の鬼瓦があり、今では町おこしのシンボルとなっています。

三重県の朝熊山・金剛證寺と福島県の霊厳山・圓蔵寺とともに「日本三所虚空蔵菩薩」と称されている。源氏・北条氏・足利氏など遠方より寄進し信仰したと伝えられ、近世では大阪商人達が商売繁盛を願って寄進し参詣したという。また、子どもの生まれて初めての厄除け『…

812(弘仁3)年弘法大師の創建と伝えられる古刹で、江戸時代には、松山城主水谷氏の外護を受け、京都仁和寺の中本寺として栄えました。雲海がたなびく標高500mの山上にあり、平安時代の山岳仏教の姿を色濃く残しています。
直径約2.5m、高さが18mあり、葉が一年中黄金色をしている珍しい杉です。推定樹齢は180年ですが、突然変異で葉緑素を失って葉黄素のみとなってしまい、葉が黄金色となりました。岡山県の天然記念物に指定されています。

日本の歴史公園100選
江戸時代の岡山藩と鴨方支藩を結ぶ街道「旧鴨方往来」沿いに、 町家2棟、倉3棟を忠実に修復した江戸時代の歴史的建築物と伝統植物園を合わせもつ公園で、岡山県内で最も古い築後300年以上の町家(県重要文化財)が残っています。

笠岡市出身の日本画家小野竹喬(おのちっきょう)をたたえ、その功績を後世に伝えるために昭和57年(1982)2月に創設され、同年10月に開館しました。建設に対しては遺族から多くの遺作が寄贈されました。平成13年(2001)3月には新館が開館。竹喬芸術の殿堂として、さ…

金山寺は備前48ヵ寺の根本道場として栄えた名刹です。報恩大師により749年に開山。平安末期に栄西禅師が入山し、灌室、菩薩堂などを建立しました。毎年2月の第1土曜に県内で最も古い会陽「金山寺会陽」が行われます。

1441年(嘉吉元年)、芳井町の天神山に開かれた臨済宗仏通寺派のお寺です。重玄寺を開いた千畝和尚(せんみょうおしょう)は近衛家の生れといわれ、天皇家、近衛家ゆかりの宝物が今に伝えられています。また重玄寺は室町時代に活躍した画僧・雪舟が亡くなった場所と伝…

安倍晴明ゆかりの神社
寄島町の鎮守の森、大浦神社は997年、安倍晴明がその霊地に応神天皇・仲哀天皇・神功皇后の三神を祭り、地方の氏神とした、と伝えられています。社殿は当初、三郎島の霊地にまつられていましたが、永禄年中、鴨方藩の細川通董公により現在の地に移されました。境内地…

瀬戸内市が誇る国際的な糸操り人形作家、竹田喜之助を顕彰するギャラリーです。市が保有する喜之助人形の企画展示の他、竹田人形座や喜之助関連の企画展示、TV作品や公演の模様を記録したDVDの上映も行います。(写真 中川正子)

巨大なヨットと瀬戸大橋の斜張橋を思わせるクラブハウス。設計者の石井氏は自らのヨット経験から、海を見下ろしながら建つクラブハウスを構想し、吊り構造で建物を浮かすことで実現させました。建築家/完成年:石井和紘/1994年見学・撮影について:館内見学可能

備中国分寺やこうもり塚古墳がある吉備路風土記の丘の一角で、歴史ロマンかおる地に立地。備中国分寺や鬼ノ城といった地域の史跡について説明したパネル展示をはじめ、かな書家で文化勲章受章者の故高木聖鶴氏の作品が常設展示されています。企画展や作品発表が行われ…

「勝」が重なる縁起の良い神社
かつて出雲街道の宿場町として栄えた勝央町の中心・勝間田にある神社です。学問の神・菅原道真が祀られていることと、神社名・地名(勝田郡勝央町勝間田)と合わせ4つの「勝」が重なることから縁起がいいとされ、試験や試合に臨む人が多く参拝しています。

森忠正公によって城下の守護神として造営された神社
聖武天皇の御代天平5(733)年の創祀と伝えられている神社です。当初は現在の津山市小田中の地にありましたが、天文8(1539)年火災に遭い社殿や宝物などことごとく焼失しました。慶長8(1603)年美作の国18万6500石の国守大名として入封した森忠政公(森蘭丸の弟)が…

熱心な日蓮宗徒であったと伝えられる浮田土佐守こと宇喜多忠家が、天正9(1581)年に起工し、同11(1583)年に完成しました。棟札より慶安4(1648)年に大修理が行われたことがわかっており、創建当時の豪壮な桃山建築の特色を残しています。

奈良時代(760年)に報恩大師によって創建されました。再興と火災の後、江戸時代に建てられた三重塔と仁王門は今でも現存しています。境内には春の梅や桜、秋には紅葉が彩りを添え、絵巻物のような優雅な時間を過ごすことができます。
大庄屋の風格を残す旧家
この住宅は板絵図が残っていて、江戸時代中期の天明6年(1786年)に建築されたことが知られています。長屋門、蔵2棟が付属し、この地域の上層農家の構えをよく伝えています。

吉備津神社内にある、大吉備津彦命が温羅(うら)との戦いのときに射た矢を置いたとされる岩です。吉備津神社には祭神である大吉備津彦命が、鬼ノ城に住む温羅を弓矢で退治したという伝説にちなんだ、矢を放って魔を祓い、国家安泰・五穀豊穣を祈る「矢立神事」があり…

夭折の画家たちが遺した作品を展示する私設美術館
築100年の古民家をリノベーションして造られた美術館です。一部の画家は再評価されてはいるものの、その多くが忘却の彼方へ置き去りにされようとしている国内の“夭折・未完の画家”を中心に紹介しています。

瀬戸内海地方各地にある蛇神信仰「道通様」の総本宮的神社
猿田彦命を主祭神とする西日本随一の神社で、商売繁盛、出世海運、交通安全の神として広く信仰を集めています。また、中四国の瀬戸内海地方各地にある「道通様」という蛇神信仰の総本宮的な地位を占めており、腹痛や神経痛に御利益があるとされています。

津山藩主森忠政の息女の安産祈願で無事に安産されたことと、森家の家臣山口彦左衛門がマムシの難に会い、祈願をしたところ全快し、安産とマムシ除けに霊験あらたかといわれています。福力荒神社旧正月例大祭は、毎年1月最終土曜日から3日間開催され、大祭に参詣すれば…

明治時代に数多くの詩を発表し、大正時代以降は随筆の分野で多数の読者を魅了した薄田泣菫の家には、彼の詩集のほか、交友のあった芥川龍之介や与謝野晶子などの文人からの資料も展示されています。

備中松山藩主に諸役として仕えた柚木家の旧宅。江戸中期の建築といわれ、藩主お成りの屋敷でもあった風格ある造りや構えには格別の趣が見られます。また幕末に朝敵となった藩の全責任を負い、藩老熊田恰(くまたあたか)が自刃した屋敷でもあります。

加計美術館は加計学園と順正学園が倉敷美観地区の中心に設立した美術館です。芸術文化の発信基地として、地域の美術館、博物館との交流を深め、関連学園の学生および教職員との交流・活動の場を役目としております。ミュージアムショップや加計グループ創立者加計勉記…

社殿は元禄14年(1701)4月、天保13年3月に造営し現在に至る。大正6年4月、庄村矢部字向山村社楯築神社を合祀した。大正6年10月4日神饌幣帛供進神社に指定。

「米つくり」を通して時代の変化を理解できるよう、模型や写真パネルなどに多くの工夫を凝らしています。また、出土した土器の整理作業の様子を見学することもでき、隣りには史跡公園の弥生住居跡があります。

平安時代の末期、1183年(寿永3年)に開創された古刹の寺。病気平癒・厄除祈願特にがん封じのお寺としてたくさんの方々が参拝しています。四季を通じて様々な美しい花々を楽しむこともできます。
延喜元年(901年)に創建された真言宗の由緒ある古いお寺。約80枚の花鳥の彩色画からなる天井絵は、郷土の文人が寛政9年(1797年)に描いたもので、真庭市の指定文化財にもなっています。
国の登録有形文化財
大正4年に牛窓銀行本店として建てられ、後に中國銀行牛窓支店として昭和55年まで使われていました。現在は、国の登録文化財に指定され、しおまち唐琴通りを散策する人を癒し、通りの文化を紹介する施設です。※道が狭く、施設には駐車場が無いため、牛窓港周辺の駐車…

南北朝時代に創建された古寺で、「バンバ踊り」が伝承されています。仏教寺本堂前の石段の中段に建立してある仁王門。その左右に配されていた金剛力士像。向かって右側の阿形像の脊部内面左肩に「建長元年巳酉三月二十日」の墨書があります。二駆とも檜材の寄木造で、…

榧原山麓にある備前焼を焼いた室町時代から江戸時代の共同窯で、3基の窯(東側窯跡、中央窯跡、西側窯跡)と巨大な物原からなっています。東側窯跡は全長53.8m、全幅3~5m、傾斜角度17度の半地下式の登り窯で単房の窯としては国内で最大規模です。

寺伝によると823年から832年頃に弘法大師が開山し、当初は「極楽山雲清寺」という寺号だった古刹です。後醍醐天皇も隠岐に流される時に立ち寄ったと伝わります。のちに火災で焼失したが15世紀半ばに再興し、「極楽山清眼寺」に改号しました。

標高200mを超える山頂にある本殿
起源については不明ですが、奈良時代には社が存在したと伝えられています。一時廃社同様になりましたが、江戸時代、岡山藩主池田光政の崇敬により再興しました。明治以降参拝者は次第に増加し、家内安全・厄災消除、武運長久の神社として、岡山県内のみならず、近県の…
岡山県指定史跡「田原井堰」が、新井堰の完成により撤去されたために、築造以来300年の歴史と我国有数の規模と構造を誇っていた「田原井堰」の関係資料を保存し、後世に伝える目的で昭和61年に建設されました。

1185年2月19日、四国屋島の合戦で弱冠17歳の那須与一は、扇の的を見事一矢で射落とした軍功により備中荏原荘など5ヵ所の領地を賜りました。この墓は古くから扇の的一射必中の故事にあやかって願い事がかなうと伝えられてきました。近頃、特に高校・大学受験の合格を祈…

江戸時代から明治初期にかけて、越畑は「たたら製鉄」で栄えました。ここにはたたらの模型を展示してあり、当時の様子をしのぶことかできます。
造山古墳の前方部前面に位置する、墳頂約81m、後円部径約63m、同高さ7.4m以上、前方部長約25mからなる前方後円墳。造山古墳群を構成する6基の陪塚の一つで後円部には横穴式石室が2つあります。埴輪を並べた墳丘へ登ることができ、石室内部を見学できます。
