観光スポット
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真言宗の古刹。奈良時代の736年(天平8年)、越後の僧侶智泰澄により開基されたと伝えられています。本尊は十一面観世音菩薩。1404年(応永11年)の紀年名のある鰐口が伝わり、室町時代初期の作と推定される仁王像が山門に安置されています。仁王像は岡山県の指定文化…
備中高松城水攻めの前哨戦、加藤清正一番槍の高名で有名な城
備中高松城水攻めの前哨戦、加藤清正一番槍の高名で有名な城。足守川東岸にある標高40mほどの独立丘陵上に位置し、丘陵全てを城郭に利用していたと考えられる。最上段に本丸跡があり、城地の名残をよくとどめている。二の丸・三の丸跡は畑地となっている。
弘法大師が開創した真言宗の古刹
真鍋島の本浦集落の高台にある、真言宗の古刹です。平安時代(795年)に弘法大師によって開創。江戸時代に火災で焼失しましたが、1793年に再建。以来修復を行いながら大切に守られているお寺です。

旧閑谷学校の敷地内にある神社。学校創設者池田光政公を祀るために1686年(貞享3年)に建てられました。西側に並ぶ聖廟に対して、東御堂ともいいます。内部は金色に輝く光政像が安置されています。建物は聖廟に比べて一まわり小さく、1m低く建てられ、師である孔子に…

高梁市文化交流館2階に設置され、美術展示室・歴史展示室・市民ギャラリーがあります。美術展示室では収蔵品の公開や、高梁の歴史、ゆかりの芸術家の作品を紹介する特別展・企画展を年数回開催しています。また、歴史展示室は戦国から江戸時代末期までの備中松山城に…

美咲町中央運動公園の中に建つ黄福のオブジェ“幸せの「あいのす」”は、黄福のレンガ約5,000個を使用して町が制作したオブジェ。この中に入って“幸せの黄色いベンチ”に座り、「きみ(黄身)が好きだ~」と叫ぶと恋が叶うかも?黄福のレンガと…

山田方谷が隠棲の後に立てた小庵で、外祖父母を祀る持仏堂と3畳の仏間、3畳の床の間を中心とした平屋の簡素な建物です。県の文化財史跡に指定されています。

備中松山藩儒・山田方谷(1805~1877)の功績・遺徳を末永く顕彰するため、時の上房郡教育会の拠出金により造られた小公園。明治43年(1910)5月に完成しました。山田方谷は、幕末の藩政改革などに貢献した陽明学者。園内には、三島中州撰文の方谷園記念碑、方谷山田…

美作河井駅~知和駅間に架かる石造りの鉄橋で、その橋を通る列車との風景は鉄道ファンにとって絶好の撮影スポットです。

昭和28年創業で、今も当時の装いのまま店内には可愛い民芸品がたくさん展示されています。竹細工作りも体験できます。

まきび公園内にある、吉備真備公に関する複製資料を数多く展示する記念館です。朱塗りの柱が中国情緒を醸し出しています。

鎌倉時代に奈良東大寺大仏殿を再建した際、その瓦を焼いた窯跡の一つです。大寺山と称する丘陵の南端の畑の上の切り立った崖の斜面に窯跡が現れています。
清瀧寺は弘仁12年(821年)人皇52代嵯峨天皇の勅旨により弘法大師が開基されたものと伝えられている。
天明年間(1781~1788年)頃、伊予の国 宇和島藩家老の山家(やんべ)清近衛公頼を祭った宇和島の和霊神社の分霊を祭ったとみられます。悪疫を鎮め、勝運の神様として近郷の人々から崇拝されていました。

鴨方藩の庄屋を世襲し油商等を営んだ家で、藩主の宿泊所や文化人の交流の場として使われた由緒ある町家です。建築年代は1687年に修理をしたという棟札から300年以上を経ており、県内に残る江戸前期の最古の町家であると同時に全国的にも最初期のものです。現在はかも…

和気清麻呂の生誕1250年を記念して開館しました。和気町の歴史、清麻呂、生活の歴史を保存展示しています。

広島県福山市神辺町出身の日本画家・金島桂華の作品を中心に、橋本関雪、児玉希望、小林和作などの近現代の日本画・洋画を収集しています。庭園は上田宗箇流第15代家元・上田宗源の設計監修によるもので、茶道の風雅幽寂の境地を表現。開館10周年の際に、第16代家元・…


奈良時代の和銅年間(707~715年)以前の創建と伝えられている古社です。大隅神社の神輿は、1842年に造られたもので、津山市の重要有形民俗文化財となっています。

慶長8(1603)年に森忠政が美濃金山の涅槃寺を移し作州の菩提寺としたが、元禄11(1698)年に森家の後の津山藩主・松平宣富の祖母の戒名より泰安寺と改め、松平家の菩提寺となりました。美作西国三十三所観音霊場、神名:子安観音

鬼ノ城の美しい自然と調和したゴルフクラブ。【鬼ノ城ゴルフ倶楽部の建物について】鉄筋コンクリート構造だが、木や石、レンガといった自然素材が多く使われ自然の安らぎを感じられるデザインとなっています。建築家/完成年:隈研吾/1992年見学・撮影について:館内…

サンドラ・シント氏と奈義町の子供たちによる共同制作の作品
2025年9月上旬頃から奈義町立図書館に設置される「未来のための宇宙論」は、サンドラ・シント氏と奈義町の子供たちと共同で新作の壁画が制作されました。第1回の「森の芸術祭 晴れの国・岡山」で生まれたものです。図書館の利用時間内であれば、どなたでも観賞するこ…

1533(天文2)年に法印精良上人が開山し、1692(元禄5)年に現在の場所に移転しました。1812(文化9)年の大火で本堂を焼失しましたが、弘法大師自作28体のひとつとされている大師像は自ら本堂より抜け出て難を逃れたといわれています。その夜、眼に火傷を負った僧侶…

福山西北に独立した高さ164mの小山山頂部分にあります。東西の郭跡や,堀切・土塁状の遺構が見られます。鎌倉時代の終わり頃、備中の豪族 庄資房が初めて築城したと伝えられますが、室町時代中期に細川氏の守護代石川氏が約150年にわたって居城していたとみられてい…
報恩大師の備前四十八ヵ寺の一つに加えられた寺
寺縁起によると、天平勝宝年間(749~757年)に鑑真和上が開基し、後に報恩大師の備前四十八ヵ寺の一つに加えられた寺。
出雲往来の一里塚として津山藩初代藩主の森忠政によって築造されたもので、県下に現存する数少ない一里塚として県指定文化財に指定されています。
菅原道真が筑紫へ左遷されたとき、途中で船から降りて丘にあがり、真水を汲んで、その水で墨をすり、歌を一首詠んだ所といわれ、その跡に創建されたのがこの神社とされています。

文久3年(1863)に1万石に加増され、旗本から大名となり、陣屋を新たに築きました。しかし、慶応2年(1866)の倉敷浅尾騒動により襲撃を受け、焼失。
楠戸家住宅は東町にあり、「はしまや」の屋号を持つ明治2年創業の呉服店。現在の店構えは明治中期に整えられたとされていて、主屋二階の漆喰を塗り込めた「虫籠窓(むしこまど)」は特徴的な意匠です。楠戸家住宅は、主屋をはじめ米蔵・炭蔵などが平成8年に登録文化財…

平氏打倒を謀った「鹿ヶ谷」の密議が露見し、平清盛によって備前・備中境の有木の別所に流された大納言の藤原成親の配所跡と伝えられ、高麗寺の山門跡の礎石や成親の墓などが残っています。
明治以前の勝北地域における生活様式や地域文化について、民具・農耕具・古文書などの展示品により紹介しています。

昭和38年4月1日に開業した因美線唯一の新設駅。早春には桜のトンネルができ絶好の撮影スポットとなります。


北房地域の歴史と民俗を展示する施設。国指定史跡の大谷1号墳から出土した遺物や、中世の刀鍛冶国重一党の名刀も展示されています。

美作地方では最古の物と言われています。
宝暦年間(1751~1764年)に安国寺と改名され、鐘楼を改築されました。梵鐘には永和3年(1377年)と刻銘されていることから美作地方では最古の物と言われています。

大きな木々の間を抜けると、正楽寺の鐘楼が迎えてくれます。
奈良時代に報恩大師の開基した名刹で、藩主 池田公三代の信仰があつかった。中国33観音霊場第3番札所で、陽明学の熊沢蕃山や山田方谷ゆかりの地であり、高野山真言宗準別格本山としての落着いた伽藍配置が美しい。
県下三大巨石古墳の一つ
県下三大巨石古墳の一つで、内部にある石室は、巨大ないくつもの石を精密に組み合わせた横穴式の大空間で、入口の羨道とその奥の玄室に分かれています。6世紀後半の築造と考えられており、直径54m、高さ7mの円墳です。

県南部の秀峰熊山から流れる渓谷に配置された寺院が自然美と調和し落ち着いて風情がある。特に紅葉時が良い。福生寺は、天平勝宝年間に鑑真和尚が開基と伝えられており、足利義教によって再興されたもので、三重塔、仁王門など、往時をしのぶものがある。三重塔は、室…

標高200mを超える山頂にある本殿
起源については不明ですが、奈良時代には社が存在したと伝えられています。一時廃社同様になりましたが、江戸時代、岡山藩主池田光政の崇敬により再興しました。明治以降参拝者は次第に増加し、家内安全・厄災消除、武運長久の神社として、岡山県内のみならず、近県の…