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キャンパスのシンボルとなっているアスリートホール"TOPGUN"をはじめ、学舎"PHILOSOPHIA"やカフェテラス"HARMONY"など安藤氏が設計した建築物が複数あります。建築家/完成年:安藤忠雄/2009年~見学・撮影について:外観のみ見学可能

脇本陣と背中を合わせるようにあるのが、遊びの心の美術館「古意庵」です。古い土蔵を改装したもので、オーナーの坪井立男さんが個人的に集めた数々の美術品が展示されています。

武元登々庵(たけもと とうとうあん)の作品を主として所蔵する、全国でも珍しい書道中心の美術館です。奥深い書道の世界を楽しんでいただけます。また、絵画・工芸・陶芸・その他美術品も所蔵しています。
本殿は、棟札によると1703年(元禄16年)の建築で、檜皮葺、流れ造り三間社です。2本の丸柱を建てて内々陣をつくり、平面的には、中世的な性格をもったものです。妻の部分は、二重虹梁、大瓶束、蟇股、支輪を使用して、美しい構成になっており、江戸中期に完成された…
明治24年、山陽本線開通に伴ってできたもので、土木学会推奨の土木遺産に認定されています。場所は、市立三石保育園東側にあります。

約48mの前方後方墳で、かつて三角縁神獣鏡11面を含む合計13面の中国鏡が掘り出されています。また、のちの発掘調査によって銅鏡以外の副葬品や葬送儀礼に用いた壺形土器なども明らかになっています。葺石の遺存状態がよく、今も段築成があることや撥形を呈する前方部…
出土遺物を陳列した展示室や収蔵庫をはじめ、遺物の化学的処理を行う木器・鉄器保存処理室、遺物整理室などがあります。

嘉吉年間(1441~44)の創建と言われています。宇宮谷に勧請したのを嘉吉年中旧領主赤松氏が今の地に遷し再建しました。当時は日生神社、厳島神社と言われていましたが、後に春日神社と改称されました。旧領主の赤松氏、宇喜多氏、池田氏の尊崇深く、境内除地、神田、…

江戸中期に建築された(およそ300年前の)三間取り広間型の農家を移築したもので国の重要文化財に指定されています。

阪谷朗廬が青少年の人材育成のために開いた漢学塾跡
嘉永4年(1851年)に漢学者の阪谷朗廬が開いた「桜渓塾」を当時のまま保存整備している史跡公園です。「朗廬阪谷先生垂帷跡」の記念碑に刻まれた題字は、渋沢栄一が書いた文字。裏側に彫られた碑文の書も栄一によるものです。

消渇神社の主神である一豊姫は、戦国時代末の天文永録年間、この備中国後月郡(現在の岡山県井原市高屋町)で活躍した豪族・藤井能登守皓玄の姫でした。社家の伝承によれば、姫は日頃身体病弱で天照大神少彦名命大国主命を厚く信仰していたのですが、年壮にして激甚な…
明治27年に吉川村役場として建築された建物を資料館として活用し、地元に残る昔ながらの農具、生活用具、祭礼具等を展示しています。

萱拭屋根の本坊が目印
嵯峨天皇によって創建された京都嵯峨野の大覚寺を大本山と仰ぐ、真言宗の寺院。本尊は、弘法大師作と伝えられる聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)で、1558~1569年に宝妙寺が創建された際に移され、現在に至るまで本尊として篤く信仰されています。
神社の屋根瓦や木の彫刻飾りでは昔話やおとぎ話の世界が楽しめます
南北朝時代の1351年(正平6年)5月5日の創建で備中杉山城の守護神です。杉山山頂には杉山城の主郭と軍神社がありましたが、のちに軍神社は杉山麓に奉遷され、1909年(明治42年)頃に再建されました。奥の院は奉遷の頃に杉山山頂に創建されたようです。神様は二人で、①…

菅原道真が筑紫へ左遷されたとき、途中で船から降りて丘にあがり、真水を汲んで、その水で墨をすり、歌を一首詠んだ所といわれ、その跡に創建されたのがこの神社とされています。

木材の良さを感じられる施設
木材林産物の展示・販売を通じ木材の良さを宣伝し、美作木材産地における林業、および木材産業地域の活性化、地域住民の文化の創造、コミュニティーの場として使える施設です。
赤磐市出身で日本を代表する女性詩人・永瀬清子の人と作品が紹介されています。遺族から寄贈を受けた蔵書や原稿、書画、書簡などの遺品が展示されており、隣接する熊山図書館では、清子の映像の視聴・著書や関連図書の閲覧もできます。

境内には御神木として崇められている推定樹齢660年の大杉があり、目通り周囲5.4m、樹高約40m。美作県民局の名木百選です。

治承・寿永の乱の際、平氏が源氏に勝利した「水島の合戦」の記念碑。水玉ブリッジライン源平大橋(玉島大橋)西側に建てられています。

岡山市の代表的な出土物を中心に時代順に展示しています。岡山市域の立体模型では、タッチパネルにふれることで遺跡の場所と紹介が表示されます。

熱心な日蓮宗徒であったと伝えられる浮田土佐守こと宇喜多忠家が、天正9(1581)年に起工し、同11(1583)年に完成しました。棟札より慶安4(1648)年に大修理が行われたことがわかっており、創建当時の豪壮な桃山建築の特色を残しています。

天台宗開祖・伝教大師最澄(さいちょう)の高弟、慈覚大師円仁の開山。1666(寛文6)年、池田光政による寺社整理で焼き払われましたが、1681(天和元)年、信亮法師が現在の地に龍城院として法燈を中興し継承しました。庭園は、徳島嵯峨派の庭師による江戸時代の造庭…
雷除けに霊験あらたかなことから、別名を「雷神社」と呼ばれる鴨神社。毎年5月3日に行われる大祭は、雷除けの祭りとして古くから農家の信仰を集めてきました。
備中松山藩儒・山田方谷(1805~1877)の功績・遺徳を末永く顕彰するため、時の上房郡教育会の拠出金により造られた小公園。明治43年(1910)5月に完成しました。山田方谷は、幕末の藩政改革などに貢献した陽明学者。園内には、三島中州撰文の方谷園記念碑、方谷山田…

一の口水門は、水門の構造などに当時の遺構が良好に残されており、17世紀後半~20世紀初めまで続いた高瀬舟による物資輸送の事を考えるうえで重要な史跡です。

岡山藩主の池田光政が藩士の子弟教育のために設けた学校跡。昭和20年(1945)の岡山空襲で講堂や校門等の建物群は全焼し、現在では泮池だけが残っています。
和気氏政庁跡の南側に位置し、出土の瓦から奈良時代に建てられた古代和気氏の氏寺「藤野寺」があったといわれています。
鎌倉時代の関所があったという峠道
播磨(兵庫)と美作を結ぶ古道の峠です。鎌倉時代には関所が置かれており、後醍醐天皇が隠岐に流される際もこの峠を通ったとされています。
長い農耕の歴史の中で使われてきた道具や農民たちの生活を支えてきた民具などを展示しています。また、文献や古文書も展示しています。
飛鳥時代に創建された寺院跡で、塔の心礎は往時の位置に現存しています。出土した軒丸瓦は2種類が確認されていて、第1類は県内最古の飛鳥様式で、第2類は吉備式と呼ばれるものです。
石山は慶長8(1603)年、森忠政の津山城築城にあたり最初に石を切り出したところです。この寺は、石材の切り出し中死んだ人を弔ったり、工事の安全を願って建てられたと言われています。寺の周囲には石切場跡があり、今だ岩肌にはノミの痕が残っています。

早島の氏神として600年の歴史を刻む鶴崎神社。四代領主戸川安晴が奉納した絵馬や太田利平太が奉納した早島十景の扁額は町の重要文化財に指定されています。

美作中心部の丘陵上に存在する。日上天王山古墳は、全長56.9mの美作最古の前方後円墳の一つで、竪穴式石槨、葺石、二重口縁の壺形土器が確認されている。日上畝山古墳群は大半が5世紀後半から6世紀前半に築造された、円墳・方墳56基が現存する古式群集墳である。
楠戸家住宅は東町にあり、「はしまや」の屋号を持つ明治2年創業の呉服店。現在の店構えは明治中期に整えられたとされていて、主屋二階の漆喰を塗り込めた「虫籠窓(むしこまど)」は特徴的な意匠です。楠戸家住宅は、主屋をはじめ米蔵・炭蔵などが平成8年に登録文化財…

倉敷市福田町の干拓地を中心とした歴史・民俗資料を展示しています。倉敷市の平地の大半は中世以降の干拓地です。米の生産が経済を支配していた江戸時代、各藩はこぞって新田開発をおしすすめました。旧高梁川河口には、干拓するのに適した広い湿地や干潟が広がってい…
岡山藩主の池田光政が領内の神社11,003社を601社にまとめ、正徳2年(1712)次の藩主である綱政がこのうち5社だけを残して、596社をここに移して合祀した宮跡です。