北条早雲の出生地・荏原と高越城。「井原市北条早雲まつり(4/21)」の情報も!

戦国大名の先駆けと言われる北条早雲。関東5州を制した小田原の後北条氏の初代である。最近の研究では岡山県井原市の荏原(えばら)が出生地であるという説が有力になっている。早雲の出生地である「高越城」では、この説に基づいて毎年「北条早雲まつり」が行われており、2024年は4月21日(日)に開催される。この北条早雲の里・荏原を岡山戦国武将隊の宇喜多秀家とその家臣・戸川秀安がご紹介してまいろう。
(上画像/井原市重要文化財「北条早雲画像」長谷山法泉寺所蔵)⦅無断転用禁止⦆

掲載日:2024年04月05日
  • ライター:岡山戦国武将隊
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高越城主 伊勢氏出身の北条早雲

戦国時代、関東5州を制した北条氏初代の北条早雲は、一介の素浪人から戦国大名にのし上がった下克上の先駆けと言われていたが、最近の研究で井原市荏原(えばら)にある高越城の城主・備中伊勢氏(備中伊勢氏本家の京都伊勢氏は室町幕府の政所執事)の出であるという説が有力視されておるのじゃ。
早雲は生涯、北条氏と名乗ったことはなく、若い頃は伊勢新九郎盛時と名乗っておった。

高越城ってどんなお城?

高越城は鎌倉時代に築かれ、室町時代には備中伊勢氏の居城となる。旧山陽道北側にある要衝の地に築かれた標高172mの山城なんじゃ。のち毛利方の支配する城となり、毛利軍の補給や兵站基地としても利用されたらしい。関ケ原の戦い後廃城となる。
 
遠くまで俯瞰できる立地で、眼下に小田川と旧山陽道を見下ろす位置にあるため山頂からの景色はとても良い。山城といっても車で本丸近くまで行くことのできる、お手軽な山城なんじゃ。
現在遺構など、堀切・曲輪の跡などもよく残っておる。山頂の15m四方の高まりを中心にそれを取り囲む螺旋状の曲輪がある。西側には石積みも確認される。現在駐車場になっておる北西側に下る尾根の途中には、登ってくる敵を遮断する堀切の跡も見受けられる。(縄張り図は井原市史Ⅰより転載)
さらに南、東、北側には一段二段と下がる曲輪跡も残っておる。この東側の曲輪には井戸ものこっており、山城マニアにとっても面白い城じゃ。
【高越城】
所在地:岡山県井原市神代町

早雲の里・荏原(えばら)

早雲の里・荏原には伊勢新九郎盛時(北条早雲)ゆかりの場所が点在しているので訪ねてまいった。

伊勢氏の菩提寺・法泉寺

法泉寺は北条早雲の父・伊勢盛定が永享2年(1430)に創建した備中伊勢氏の菩提寺である。早雲にとっても菩提寺であるから、早雲寄進の摺袈裟(すりげさ)や早雲筆の禁制札など貴重な資料が伝えられておる。また法泉寺所蔵のトップ画像「北条早雲画像」は、江戸時代初期に描かれたものである。現在伝わる早雲の画像の中で唯一の武将姿の画像である。

まさに城構えのお寺

門前には湿田が広がり、堀もある。門を入っても2回直角に曲がり、さらに石垣の築かれた一段上に階段で登らないと本堂に行けない構造になっておる。まさに城構えの構造じゃ。早雲の父、伊勢盛定は創建時この寺にどのような機能を持たせようとしたのであろうか。
法泉寺境内には、父盛定と早雲の墓といわれる室町時代の五輪塔が伝わっている。
その他にも、寺内には県指定重文や市指定重文の貴重な仏像なども安置されており、ご希望の方は事前連絡するとお寺の都合が良ければ見学させていただけるということじゃ。
見学には一時間ぐらいかかるがとてもお人柄の良いご住職や奥様が北条早雲のこと、お寺の歴史のこと、そしてお寺に残る貴重な仏像などの文化財についてとても分かりやすく丁寧にご説明してくださった。歴史好きにとっては至福の時間であった。

もう一つ!豊臣家にまつわる秘めたる歴史が残る場所

豊臣家の重臣木村重成(大阪の陣の時討死し、首実検の時家康に称えられた武将)の従兄弟である木村重宗の墓がある。重宗は陣のあと落ち延び、この地で再興のため情報収集にあたった。しかし、時の流れには逆らえず、お寺の和尚に素性を明かしたのだが、逆に保護されこの地で没した武将じゃ。江戸時代この地は徳川の天領であったので、代々の住職は重宗のことを隠し通しておった。
ここ荏原の地には、このような隠された歴史もあったんじゃな。お寺には木村重宗の位牌も安置されておる。

【法泉寺】
所在地:岡山県井原市西江原町4841
TEL:0866-62-1660

供養塔・大岩刻

室町時代に伊勢氏の家臣であった平井家が正徳5年(1715)早雲の没後200回忌を記念して、伊勢新九郎盛時の戒名を刻んだものである。とても大きな一枚岩に刻まれておった。
【大岩刻】
所在地:岡山県井原市東江原町森

新九郎薬師

伊勢新九郎盛時が故郷に帰った時に祀ったものだと伝わっているもの。平安時代後期のものと考えられている。仏像背面に祈願主新九郎と書かれている。これは江戸時代に書かれたものじゃが、この時にこのような伝承が伝わっていたということじゃ。
【新九郎薬師堂】
所在地:岡山県井原市神代町1809

井原市北条早雲まつり開催!

井原市北条早雲まつり実行委員会により高越城で毎年行われており、地元に密着した祭りとして、そして北条早雲を顕彰する祭りとしてすでに35回目となり、井原にすっかり定着している祭りなんじゃ。高越城駐車場にはステージが設けられ、地元団体によるアトラクションも繰り広げられる。

【井原市北条早雲まつり】
開催日時:2024年4月21日(日)10:00~15:00
場所:高越城址駐車場及び山頂(岡山県井原市東江原町)
問い合わせ:0866-62-8267(井原市北条早雲まつり実行委員会)
オープニングには地元の小中学生による早雲隊と呼ばれる甲冑武者行列が行われる。我々岡山戦国武将隊も早雲隊の先導を仕る。この日のために子供たちが手作りした甲冑で登場するらしい。その他にも、小中学生による備中神楽や、早雲太鼓、新九郎太鼓、岡山戦国武将隊演武、福まきなど盛りだくさんじゃ。

戦国づくしのゲームも大人気

ステージ前では岡山戦国武将隊による殺陣教室、山頂では射的コーナーや命中すれば「早雲くんの缶バッジ」がもらえる手作りの弓矢・ゴムパチンコゲームも行われるなど、戦国づくしじゃ。どなたでも参加できるので大いに楽しまれよ。
また、ステージ前広場を13ブースが取り囲み、「早雲市」といわれる美味しい屋台が軒を連ねるようじゃ。こちらも楽しみじゃのう。(井原市北条早雲まつり写真は昨年のもの/井原市北条早雲まつり実行委員会提供)

高越城への行き方は?当日はシャトルバスも運行!

公共交通でおいでになる方は、井原鉄道・早雲の里荏原駅で降りてくだされ。
現在井原鉄道では、車体に早雲のデザインがラッピングされた戦国列車なるものが運行されておる。運よくこれに乗ることができるやもしれぬ。

【井原市北条早雲まつりの当日の交通】
早雲の里荏原駅北側の早雲の里交流センターより荏原公民館経由でバス2台が当日ピストン運行するようじゃ。(始発は早雲の里交流センター9:00発、高越城址からの最終便は15:20発)
車でおいでのかたは会場の高越城址駐車場は限りがあるため、早雲の里荏原駅隣の早雲の里交流センター北側の駐車場か、荏原小学校校庭(荏原公民館隣)に駐車して送迎シャトルバスをご利用くださいということじゃ。
高越城址公園の草刈りや遊歩道の整備などの城址の管理や北条早雲の顕彰を行う「高越城址顕彰会」がある。7名の役員を中心に、215名の会員の方々が活動を行なっておる。
現在、顕彰会では一緒に活動する、お城・武将・歴史好きの方を広く年齢問わず募集しておるということじゃ。岡山県内外問わず、興味ある方はぜひ!

【高越城址顕彰会】
連絡先(高越城址顕彰会事務局):0866-63-0213(谷川)

最後に

最後に、井原市及び井原線沿線観光連盟と協力し、歴史の掘り起こしなど、歴史コンサルタントとしても活躍されている山城ガールむつみ氏のコメントです。
「日本を日本を代表する戦国武将北条早雲!生誕の地とも伝わる高越城をはじめ、法泉寺などゆかりの史跡、伝承が市内にはたくさん残っていて、歴史が今に繋がる素晴らしい地域だと思います。高越城からの景色を眺めながら歴史に思いを馳せ、早雲太鼓の音色に胸を躍らせ、存分に早雲まつりをお楽しみください!」
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