岡山城2代目城主の"小早川秀秋"所縁の地を巡る

天下分け目の関ヶ原の戦いの後、宇喜多秀家の次の岡山城主になった小早川秀秋。岡山に点在する所縁の地を巡ってみました。
掲載日:2025年08月25日
  • ライター:大岩主弥
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小早川秀秋という人

皆様は「小早川秀秋」という名前を知っていますか?大人世代の皆様は天下分け目の関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍から寝返り、徳川家康率いる東軍に寝返った武将という印象が強いかと思います。現在では歴史研究が進められ、始めから東軍に属していたという説もあり、今まで語られていた姿とは違う印象になってきています。宇喜多秀家の後に岡山城に入った秀秋は、岡山在藩の執政で城の近代化と拡張や、城下町の整備拡大、総検地の施行、寺社領の整備と再建、二十日堀の建設など、数々の治績を残した素晴らしい城主だったそうです。そんな小早川秀秋の所縁の地を巡ってみたいと思います。
ちなみに、岡山に来てから「小早川秀詮」に改名しましたが、この記事では一般的に表記されている「秀秋」の方で統一しています。

まずは「岡山城」から

まずはやはり「岡山城」から。
写真の甲冑武者は右が宇喜多秀家公、左が池田光政公。
近年は宇喜多→小早川→池田と、城主の変遷が分かりやすく展示で解説されるようになりました。私は子どもの頃、小早川秀秋が「岡山城」にいた事を知りませんでした。在城期間が短いためにどうしても印象が薄くなりがちなんでしょうか。イベントなどでも写真のように宇喜多様、池田様は良く見かけるので、是非小早川様も含めた3人が居並ぶ様も見てみたいものです。

岡山城下で行った施策「外堀(二十日堀)」

小早川秀秋が岡山城下で行った施策で有名なのは「二十日掘」。岡山市の公式サイトから引用しますと、
“城の西側を固めるために築かれた外堀で、領民はもとより家臣まで動員した20日間の突貫工事により築かれたため、この名で呼ばれるようになったと伝えられています。
(中略)今は柳川筋の道路敷きとなっていますが、今でも一部の道筋にその名残があります。”
となっており、現在は「二十日堀」を見る事は出来ません。柳川交差点にある案内版を見ながら、足元にある二十日堀に思いを馳せるのも良いかも知れません。
岡山中央郵便局の前には石碑が残されています。そちらも合わせて訪れてみて下さい。柳川交差点から徒歩約5分です。

菩提寺である「黄門山瑞雲寺」

小早川秀秋の菩提寺「黄門山瑞雲寺」。こちらは1338年に創建され、当時の名称は「願満山成就寺」です。1602 年に小早川秀秋が病死した際、菩提寺廟所となり、法号にちなんで「黄門山瑞雲寺」という今の名前に変わったそうです。寺の建物は1945年の岡山空襲で戦火を免れ、江戸期の本堂が現存しています。町中にひっそりと建っているお寺なので、知らないとなかなか足を運ばない場所にあります。


【黄門山瑞雲寺】
所在地:岡山県岡山市北区番町2-6-22
駐車場:なし

足を延ばして「足守」へ

「岡山城」近くから離れ、足守まで足を延ばしてみました。何故足守なのでしょうか。それは小早川秀秋が関ヶ原の戦いの手柄で、備前・美作50万石を与えられ岡山城主となった際、ほぼ同時に実父である木下家定が姫路から足守へ移ってきたから。小早川秀秋は、豊臣秀吉の正室である高台院(ねね)の兄の木下家定の実子で、秀吉の養子を経て小早川隆景の養嗣子となりました。

それでは、足守藩の侍屋敷などが残されている足守町並み保存地区を目指します。JR岡山駅からJR足守駅までは、JR吉備線(桃太郎線)で約25分。240円の行程です。そこから足守町並み保存地区は徒歩で約50分(約4km)、タクシーだと約5分との事です。ただ、JR足守駅は無人駅のためタクシーが常駐しておらず、タクシーを利用する方は事前連絡必須です。
(有)ミツワタクシー TEL:086-299-0411
(有)高松タクシー TEL:086-287-2009

足守町並み保存地区「備中足守まちなみ館」

足守町並み保存地区に到着したら、まずは「備中足守まちなみ館」へ。2025年4月にリニューアルオープンした「備中足守まちなみ館」。もともとは商家の建物で、再築され、現在は足守の情報を発信する観光センターとなっています。小早川秀秋の説明、秀秋と縁の深い高台院の説明が文章や映像でしっかりと学べるようになっています。

【備中足守まちなみ館】
所在地:岡山県岡山市北区足守928
TEL・FAX:086-295-2500
営業時間:9:00~16:30
定休日:月曜日(祝日の場合は直後の平日)、年末年始
駐車場:足守プラザ前駐車場、観光駐車場、藤田千年治邸駐車場

足守町並み保存地区「旧足守藩侍屋敷」

「旧足守藩侍屋敷」は備中足守藩の国家老を務めた杉原家の居宅で、家老屋敷のたたずまいをほぼ完全に近い形で伝えていて、江戸時代中期の武士の書院造り住宅遺構として貴重なものだそうです。昭和時代までは実際に人が住まれていたそうで、人の手があったからこそここまでの形で残っているのかもしれませんね。小早川秀秋の生きた時代よりは少し後の時代の遺構になりますが、武士の生活を垣間見る事が出来るので、ここにご紹介しておきます。

「ねね」という名前のお店

足守町並み地区には「ねね」というお店があります。前述した通り、ねねは豊臣秀吉の正室。実子がいなかったため、秀吉の養子であった頃の秀秋をわが子のように可愛がっていたそうです。小早川に名が変わった後も繋がりは続き、一説では関ヶ原の戦いで東軍につくように勧めたのはねねであったとか。そんなねねの名を持つお茶処は、地元の方に愛されるアットホームなお店でした。
散策の休憩にマロンケーキセット(650円)を。手作り感のある素朴な味わいで美味しかったです。足守散策の際にいかがでしょうか。

【お茶処 ねね】
所在地:岡山県岡山市北区足守868
TEL:086-295-0080
営業時間:8:30~17:00
駐車場:あり

まとめ

岡山での小早川秀秋の所縁の地は在城期間が2年と短かったこともありそう多くはありませんが、比較的気軽に回れる場所が多いので、是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。今までとは違った小早川秀秋という人に出会えるかもしれません。写真は「足守藩侍屋敷」の瓦の亀。参勤交代を見送る亀と迎える亀がいるのです。行かれた際には是非見つけてくださいね。
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