【永遠の和モダン!】岡山出身の作庭家重森三玲の足跡を辿る岡山の旅!

和モダンなお庭や茶室を作られた重森三玲(しげもりみれい)の足跡を辿る岡山の旅をしませんか?
重森三玲(明治29年~昭和50年、1896年~1975年)は東京美術学校で日本画を学び、その後、造園・庭園学を独学で学び、氏独特のモダンを取り入れた枯山水庭園を各地に残す一方で、日本の伝統美である茶道、華道の奥義を極め、全国各地の古庭園の鑑別保存調査事業も行うなど、日本庭園界に多大なる功績を与えました。
茶道・華道などの多ジャンルにおいて、理論・実践の両面を通じて活動しました。
華道の世界では、戦前から勅使河原蒼風などの前衛的活花作家と交流を持ち、1950年代には、前衛活花作家・岡本太郎・イサムノグチなどの美術家達との交流を持ちました。
また、作庭においては、全国の古庭園の実測調査・その成果をふまえた著述活動を積極的に行い、自身も作庭家として200にも迫る庭園を手がけました。
掲載日:2017年07月31日
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重森三玲記念館(吉備中央町吉川)

 吉備中央町吉川出身で、昭和を代表する造園学者である重森三玲の生誕100周年を記念し、平成10年に旧賀陽町が整備した記念館です。
 この記念館には重森三玲が作庭の観賞と価値を高めるために結成した、「京都林泉協会」(京都府)の協力により「日本庭園史大系」などの多数の著書や鹿苑寺金閣寺をはじめとする著名庭園実測図などを収蔵しています。
■入館料 無料
■開館時間 月~金:9:00~16:00、日曜・祝日:10:00~15:00
■閉館日 毎週土曜日・年末年始(12月28日~1月4日)
■連絡先 吉備中央町吉川公民館 0866-56-7020

 この記念館にある「作庭家・庭園史家重森三玲の世界」というパンフレットを入手しましょう。重森三玲の足跡を辿る旅に便利です。
 また、下記のリンクから吉備中央町の観光パンフレット(PDF約9MB)で事前に検討・計画に便利です。

重森三玲パネル展示室(吉備中央町吉川)

 吉川公民館の中にあり、重森三玲作品を大型パネルで展示をしています。
 このコーナーには、吉備中央町内にある天籟庵(てんらいあん)・重森三玲の生家跡・曲嶌庭(きょくとうてい)小倉邸・旭楽庭(きょくらくてい)西谷邸・友琳の庭(ゆうりんのにわ)・略年譜・手がけた全国の庭園一覧などを紹介しています。
 また、大型テレビにより、重森三玲の略歴や各庭園を簡単に紹介しています。
■入館料 無料
■開館時間 月~金:9:00~16:00、日曜・祝日:10:00~15:00
■閉館日 毎週土曜日・年末年始(12月28日~1月4日)
■連絡先 吉備中央町吉川公民館 0866-56-7020

このコーナーでは、重森三玲庭園美術館(京都市)・松尾大社庭園(京都市)・東福寺方丈庭園(京都市)・岸和田城庭園(岸和田市)などが大型パネルで、解説とともに展示されており、居ながらにして名園散歩ができます。

天籟庵(てんらいあん) (吉備中央町吉川)

 天籟庵は、1999年(平成11年)に文化庁から指定された登録有形文化財です。
 1913年(大正2年)、重森三玲が18歳の時に取り組んだ処女作で、生家から1969年(昭和44年)に重森三玲記念館横に移設されました。
 四畳半の茶室と三畳間に値する広さの水屋から構成されており、茶室は移設時に作られました。
 船底天井と言われるアーチ型の天井・茶席の真行草三つの床構え、不規則で幾何学的に組み合わせた障子の貼り方など、随所に重森三玲ならではのこだわりが散りばめられています。
 隣の吉川八幡宮にちなんで、八幡神は海神であるとの解釈から、セメントにベンガラを混ぜ2色のコントラストにより海と波をイメージ・つくばいは鎌倉時代のものを使用・飛び石には京都の鞍馬石を使用しており、竹垣には吉川八幡宮の「八」や天籟庵の「天」の字が造形されています。

■入館料 無料
■開館時間 月~金:9:00~16:00、日曜・祝日:10:00~15:00
■閉館日 毎週土曜日・年末年始(12月28日~1月4日)
■連絡先 吉備中央町吉川公民館 0866-56-7020

重森三玲の生家跡(吉備中央町吉川)

 この地にあった茶室「天籟庵(てんらいあん)」の茶庭として作庭されたもので、庭園最奥部に枯滝石組を組み、大仙院庭園の不動観音石を思わせるような立石を主体として構成されています。
 そして、その下部に橋石をかけ、そこから大きな曲線を持った枯流れが建物の方向へと流れ、川下りと川登の二つの舟石が据えられ入船と出船の表現としました。
 また、このような枯山水庭園の形式でありながら、天籟庵に面した庭園であったために枯流れの中に飛び石を据えています。
 車でここに行く場合少し分かりにくいので、説明します。
 吉川公民館方面から北上し、最初の信号機を過ぎると、右側に「おかやま酪農業協同組合 びほく事業所」が見えて、少し走ると、注意して見ていると左側に小さな看板がありますので、左折してください。
 道が細いので注意しましょう。駐車場には、4台程度の車を停めることができます。

曲嶌庭(きょくとうてい)小倉邸

 この庭園は、1951年(昭和26年)の作庭です。 三玲と職人がわずか2日間で作ったといわれています。
 全体は、「蓬莱神仙」の世界を表現しています。
 美しく整えられた庭園には杉苔で囲まれた3つの石組みがあり、書院から見て奥から蓬莱石組【真】、左が方丈石組【行】、その右が瀛洲【草】を表現しています。里山から聞こえる鳥の声や借景を取り入れ、蓬莱神仙の世界観に「真行草」という日本の美意識を当てはめた新しい表現方法の庭園となっています。
 写真は書院の風景です。肖像写真や直筆の書などが飾られています。
 個人宅であるため、訪問前に吉備中央町役場協働推進課(0866-54-1301)経由で事前予約が必要です。

旭楽庭(きょくらくてい)西谷邸

 重森三玲の知人だった西谷氏の依頼により、三玲が本格的に庭園を勉強する前の昭和4年に作られたという、南方の山々が借景として利用された「旭楽庭」(きょくらくてい)。大きな石を運搬するような道具もなかった当時に、これだけの見事な石を使った庭園を作り上げています。また庭を支える生垣には、お城などによく見られる武者返しを用いており、そちらの景観も見所のひとつ。三玲の作品としては3作目と言われていますが、現存するものでは最古で、借景を利用しています。
 個人宅であるため、訪問前に吉備中央町役場協働推進課(0866-54-1301)経由で事前予約が必要です。

友琳の庭(ゆうりんのにわ)吉備中央町役場賀陽庁舎

  この庭は昭和44年京都誂友禅協同組合から依頼を受け京都友琳会館へ作庭したものです。
 デザインは尾形光琳や宮崎友禅斎の先進的芸術を尊重し、束熨斗模様にヒントを得て池庭を中央に、その周囲を石庭とし一部枯山水を配置した池和泉顕彰式庭園で、近代日本庭園の傑作と言われています。
 名前の由来は友禅斎の(友)と光琳の(琳)から取られています。
 平成11年京都友琳会館の閉館に伴い現在の吉備中央町賀陽庁舎へと移築されました。
 尾形光琳や宮崎友禅斎の先進的芸術を尊重し、束熨斗(たばねのし)模様にヒントを得て作庭したもので、近代日本庭園の傑作と言われています。

功徳庵(くどくあん)大村寺 

 功徳庵は、重森三玲が昭和38年に岡山市内の民家へ築造し、その所有者であった立岡皓男氏から寄贈を受け、平成11年6月に大村寺へ移築されました。

【原点1】豪渓 (総社市)

 高梁川支流の槇谷川が花崗岩の台地を深く削って懸崖を形作り、主峰の天柱山(海抜330m)をはじめ、剣峰,雲梯峰など奇岩怪岩が天を突くようにそびえ立ち、訪れる人の目を驚かせています。
 重森三玲が若い頃、度々ここを訪れていたそうです。作庭の原点になっています。

【原点2】楯築遺跡 (たてつきいせき) (倉敷市)

 全長約80m、円丘部直径約40m、古墳時代以前の3世紀では日本最大級のやよい墳丘墓。
 主墳の頂上には木棺を取り囲むように5個の巨石が立てられ、斜面にも高さ・幅それぞれ1mほどの列石が20個ほどめぐらされています。
 奇妙な形の岩が円状に並ぶ、いわゆる「ストーンサークル」としても知られ、その姿はまるでヨーロッパの巨石遺構を見ているようです。
 重森三玲もここを訪れていたそうです。 巨岩の配置や表情が作庭の原点になったことでしょう。

重森三玲意匠の書院復元 岡山県立美術館 (岡山市)

写真提供:岡山県立美術館

 吉備中央町に遺されていた重森三玲デザインの書院を何とか保存できないだろうか、という相談を岡山県立美術館の学芸員が受けたのが2007年初夏、1年半後の2009年4月に岡山県立美術館2F展示室に復元されました。
 復元にあたっては、関係の方々、建具の修復・復元を担当された方々の尽力や文化功労者・書家の高木聖鶴氏(2017年2月没)のご寄付により実現したそうです。 
 詳細は、岡山県立美術館特別企画「作庭家・庭園史家 重森三玲展」図録に記載されています。
写真提供:岡山県立美術館

岡山県立美術館特別企画「作庭家・庭園史家 重森三玲展」(2009年4月1日-5月31日)の図録は、現在も入手可能です。下記のリンクをご覧ください。

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