観光スポット
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風光明媚な大名庭園!日本三名園のひとつ
岡山藩2代目藩主・池田綱政(つなまさ)が自ら憩いの場として築いた大庭園。季節の花が彩る広々とした園内は江戸時代さながらの別世界。1952年には歴史的文化遺産として“特別名勝”に指定され、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでは三つ星の評価を得…

日本100名城のひとつ。漆黒の天守が見事!
2022年11月3日に令和の大改修を終えリニューアルオープン。 岡山市出身の歴史学者・磯田道史氏による展示監修で、岡山の歴史をわかりやすく発信しています。豊臣秀吉の家臣で豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した城。めずらしい不等辺五角形をした三層六階建ての天…

現存する日本最古の“庶民のための公立学校”
1670年に岡山藩主池田光政(みつまさ)が創立した、日本初の“庶民のための公立学校”。谷深き地に建てられたこの学校で、日本の歴史を創る有能なリーダーが多く輩出されました。堂々とした入母屋造りの講堂は“学問の殿堂”と呼ばれるに相応しい…

吉備路の代表的景観!撮影スポットとしても注目
奈良時代に聖武天皇の発願によって全国に建立された国分寺のひとつ。仏教の力を借りて天災や飢饉(ききん)から国を守ることを目的に建てられました。現在残っている建物は江戸時代に再興されたもの。境内には高さ約34mの五重塔がそびえ、吉備路を代表する景観として…

黒田官兵衛の奇策・水攻めの主戦場となった城址
天正10年(1582)、この地で秀吉軍と毛利軍が戦った「高松城水攻め」がありました。近くには水攻め築堤跡が残っています。現在は公園として整備され、当時に思いを馳せながら散策を楽しむことができます。公園の中央にある7,000平方メートルもの広大な堀には、毎年7月…

映画のロケ地にもなった豪奢な雰囲気を味わって
享和、文化の頃(1800年頃)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼氏の邸宅です。江戸末期に建てられた楼門づくりで、城郭にも劣らない堂々たる石垣が今もそのままに当時の富豪ぶりをたたえています。

大原美術館の創設者・大原孫三郎と大原家代々が暮らした家
大原美術館、倉敷絹織(現(株)クラレ)の創設者 大原孫三郎、大原家代々が暮らした家。国の重要文化財。邸内は表からは想像できない景色。石畳に連なる倉群、静寂の日本庭園等々、落ち着いた雰囲気の中で、「倉敷の中の倉敷」をご堪能いただけます。展示内容も充実…

ロケ地としても人気!明治40年建築のルネッサンス風校舎
1907(明治40)年にルネッサンス様式の木造校舎として建てられた、完全なシンメトリー(左右対称)のデザインと白亜の外観が印象的な小学校です。1990(平成2)年に小学校としての役目を終え、現在は一般に公開されています。講堂の二重折り上げの洋風格(ごう)天井…

製塩業で財を成した野﨑武左衛門の屋敷
江戸時代後期に大規模な塩田を開き、「塩田王国」を築いた野﨑武左衛門の屋敷。約3,000坪の敷地には、約1,000坪にわたる主屋群と6棟の土蔵が建ち並び、庭のあちこちに茶室が見られるなど、当時の勢いを伺わせます。塩田に関する資料や歴史なども閲覧可能。塩業歴史館…

5世紀初頭では全国最大級の古墳
5世紀初頭では全国最大級の前方後円墳です。このような巨大な古墳を造ることができる強大な勢力が吉備に存在していたことを示しています。全長約350m、後円部径約224m、高さ約27~32.5mで三段築成。後円部墳頂には形象埴輪、墳丘斜面の各段には大量の葺石と円筒埴輪列…

美観地区にある大原家旧別邸
大原孫三郎が家族で住むために建てた大原家の旧別邸。「緑御殿」とも呼ばれることでも有名な艶やかな緑色の瓦は、独特な釉薬が使われており、泉州堺の瓦職人に特別注文したものです。建築家/完成年:薬師寺主計/1928年見学・撮影について:外観のみ見学可能(春と秋…

現役最古の木造校舎として使用されていた小学校
平成24年(2012)まで、現役最古の木造校舎として使用されていた小学校です。明治6年(1873)に拡智小学校として開校し、後に吹屋小学校、吹屋町立尋常高等小学校となりました。東校舎・西校舎等は明治33年(1900)、本館は明治42年(1909)の建築。本館2階、講堂内部…

日本で最大級の墳丘を持つ弥生墳丘墓
庄新町の丘陵上、王墓山古墳の北側に位置する弥生時代後期に築造された日本で最大級の墳丘を持つ弥生墳丘墓です。円丘部の頂上には5個の巨石が立てられ、墳丘の各所から多くの土器片も出土しています。

宿場町として栄えた街の歴史的シンボル
現存する本陣の建物は江戸時代中期に建てられた裏門・西蔵・酒蔵などを除き、本陣施設としての御成門・玄関・御座敷をはじめ主屋の主要建物は江戸時代後期(天保年間~安政年間)にかけて再建されたものです。本陣の屋敷地は間口20間(約36m)、奥行50間(約90m)、面…

剣聖が生まれた家
宮本武蔵は、父を平田無二(無二斎)、祖父を平田将監といい、両人とも十手術の達人という武術家の家で生まれ育ちました。生家はもともと、約60m四方の大きな構の中に立つ大きな茅葺の家で、神社のそばにあったことから「宮本の構(みやもとのかまえ)」と呼ばれてい…

明治26年に大原家の別荘として建てられた和風建築物
明治26年に大原家の別荘として建てられた和風建築物です。現在、園内の庭園は観光客や市民の憩いの場となっています。

カフェやギャラリーを併設
1917(大正6)年築の中島病院旧本館です。木造2階建てで正面にドームを配し、屋根や窓の細かい装飾が特徴の欧風建築です。カフェやギャラリーが併設されており、ノスタルジックな雰囲気が楽しめます。館内での撮影も可能です。

時代とともに増改築された変化に富む町家
城東地区は、津山城跡の東側を南北に流れる宮川の左岸地区の城下町です。平成25年に重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されました。吉井川の北岸の川と並行して延びる出雲街道沿いに町人地が形成され、その一角に城東むかし町家があります。

映画「男はつらいよ」のロケ地 のどかな田園地帯に佇む木造駅舎
のどかな田園地帯にたたずむ木造駅舎です。この駅で映画「男はつらいよ」シリーズ最終作「寅次郎紅の花」のファーストシーンが撮影されました。鉄道マニアの中では戦前に作られた木造の駅舎として知られていましたが、映画の公開と同時に渥美清さんを慕う寅さんファンが全…

吉備の大首長の墓と考えられる前方後円墳
6世紀に築造された全長約100mの前方後円墳で、奈良の石舞台古墳と同規模の巨大な横穴式石室があります。石室の中央には石灰岩の一枚岩をくり抜いて造った家形石棺が安置されています。1967年(昭和42年)2月15日、国の史跡に指定されました。

冒険心をそそる神秘的な銅山の坑道
江戸時代から大正時代まで採掘されていた坑道で、主に黄銅鉱、硫化鉄鉱が産出されていました。昭和53年に復元され、坑内を見学できるようになっています。冒険心をそそる神秘的な坑内は年中15度前後で、天然のエアコンが効いています。

岡山県南部にある33ヵ所に及ぶ石積遺構
岡山県南部の最高峰、標高508.6mの熊山一帯には、33ヵ所に及ぶ石積遺構が所在しており、その中でも最大の石積遺構が国指定史跡「熊山遺跡」です。ピラミッドを思わせる特殊な石積遺構は三段から成り、三段目の頂部中央には方形の竪穴が設けられていて、陶製筒形容器(…

国登録有形文化財
明治から大正にかけて建てられた、築約100年の大地主の邸宅。「商都」の繁栄を彷彿とさせる名建築です。再生されて邸宅や地域の郷土資料などが公開されています。

津山の玄関口の新たなシンボル
1976年から津山市立南小学校敷地に設置しているSL「C11-80号」を、津山の玄関口の新たなシンボルとして2017年に津山駅北口広場に移設されました。

標高約100メートルの丘陵上に築かれた連郭式山城です。山頂を本丸として、いくつかの出曲輪で構成する南北約300メートルの縄張りとなっています。本丸跡西側石垣の一部に古い時代のものが残っています。『備前軍記』などによると戦国時代に宇喜多氏の居城となっており…

大正12年築の木造洋風建築物
昭和20年の空襲による焼失を免れた数少ない建物で、窓枠や内装の一部が改修されているものの、外観や構造等はほとんど手を加えられておらず、建築時の状態を残しています。構造は、木造3階建で、寄棟造・スレート葺(一部鉄板葺)の屋根は3階部分で腰折風に処理する。…

旧山陽道を眼下に見下ろす高台にある中世の城址。井原で生まれた戦国時代の英雄、伊勢新九郎(後の北条早雲)が青年期を過ごした場所が、早雲を偲ぶ歴史公園として整備されています。山頂には「北条早雲生誕の地」の石碑が建っています。

江戸から昭和初期にかけての建造物を全面改修した観光・文化施設
江戸から昭和初期にかけての建造物が残っていた古民家、東大橋家住宅の母屋と4つの土蔵、中庭を全面改修した観光・文化施設で、多目的ホールなどを備えています。

白壁と張瓦のコントラストが見事な歴史的建造物
本陣の予備にあてられた建物です。当時、宿場の両替商で庄屋役でもあった髙草家が選ばれました。特に白壁、張瓦の堅固な建築様式が美しいのが特徴です。本陣から400mの場所にあり、本陣と共に国の重要文化財に指定されています。

江戸時代中期から後期にかけて、近習役や番頭役などを勤めた武士の住宅
江戸時代中期から後期にかけて、百二十石から百五十石取りで、近習役や番頭役などを勤めた武士の住宅である。江戸中期の建築として平屋建て、桟瓦葺き、箕甲・入母屋造りで大ぶりな三ッ花懸魚を取付け、玄関には幅二間の式台を設け、玄関の間の正面には一間半の棚を設…

片目を射られた温羅の目から噴き出す血で真っ赤に染まったと言われる川
吉備津彦命が放った2本の矢のうち1本が温羅の左目に命中し、温羅の目から噴き出す血で清流が真っ赤に染まったと言われています。

武蔵の姉・おぎんの嫁ぎ先
鎌坂峠へと続く旧街道の途中に立つ、宮本武蔵の姉・おぎんの嫁ぎ先と伝えられている旧家です。1600年、当時16歳の武蔵は、武者修行に出立する際に平尾家に立ち寄り、家の道具、証文、家系図、十手、素槍などを姉夫婦に渡したとされています。その後は、おぎんの二男・…

国の重要文化財に指定された倉敷町屋の代表的な建築物
江戸時代に新田開発などで大きな財を成した大橋家が、1796(寛政8)年に建てた建物です。倉敷の代表的な町家のひとつに数えられ、長屋門や倉敷窓・倉敷格子などを備えた往時の商家の姿を現在に残す重厚な建築物です。

城東町並み保存地区にある作州城東屋敷は、町家跡地に建ち、明治8年以降小学校や岡山県津山工芸専門学校など城東の教育の場として利用されてきました。1993年より作州城東屋敷として、整備し活用されることになりました。2023年に鉄道模型やジオラマを展示するスポッ…

校門の扁額は「日本資本主義の父」渋沢栄一が揮毫
嘉永6年(1853年)開校の、一橋徳川家と地元有力者が運営した郷校です。漢学者の阪谷朗廬が初代館長を務めました。校門に掲げられた「興譲館」の扁額は、阪谷朗廬と親交のあった渋沢栄一が明治45年(1912年)に揮毫したものです。

200年の歴史をもつ上級武士の屋敷
この武家屋敷は昔のままの姿を残している唯一の上級武士の家屋で(別名渡辺邸ともいう)、渡辺氏は家老格の名門で百六十石でした。老朽化のため昭和61年に修復した際に土蔵を展示館とし、武家に関する資料を展示しています。

倉敷市本町の国指定重要文化財井上家住宅が10年の長きにわたる保存修理工事を終え、2023年3月19日(日)13時から一般公開を開始。倉敷美観地区内では最古の町屋で、約300年を経ています。「倉敷窓」といわれる窓には、防火用の土塗りの扉をもっており、倉敷市内に現存…

榧原山麓にある備前焼を焼いた室町時代から江戸時代の共同窯で、3基の窯(東側窯跡、中央窯跡、西側窯跡)と巨大な物原からなっています。東側窯跡は全長53.8m、全幅3~5m、傾斜角度17度の半地下式の登り窯で単房の窯としては国内で最大規模です。

江戸時代に建てられた大庄屋の屋敷で、母屋と2つの離れ座敷のほか、民俗資料展示室、蔵が残る学術的にも貴重な伝統建築です。歴史再発見の場として、また伝承、伝統、さらに新しい知的生産や学習・交流の場として利用できるよう整備されています。週末は「茶房 河原邸…

横溝正史が70年以上前の疎開中に家族とともに暮らした家
横溝正史が70年以上前の疎開中に家族とともに暮らした家が、当時のたたずまいのまま保存されています。疎開宅から井原鉄道川辺宿駅までは、小説にまつわる見どころがあちこちに点在する名探偵金田一耕助ミステリー遊歩道が整備されています。
