観光スポット
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風光明媚な大名庭園!日本三名園のひとつ
岡山藩2代目藩主・池田綱政(つなまさ)が自ら憩いの場として築いた大庭園。季節の花が彩る広々とした園内は江戸時代さながらの別世界。1952年には歴史的文化遺産として“特別名勝”に指定され、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでは三つ星の評価を得…
日本100名城のひとつ。漆黒の天守が見事!
2022年11月3日に令和の大改修を終えリニューアルオープン。 岡山市出身の歴史学者・磯田道史氏による展示監修で、岡山の歴史をわかりやすく発信しています。豊臣秀吉の家臣で豊臣五大老の一人・宇喜多秀家が築城した城。めずらしい不等辺五角形をした三層六階建ての天…
5世紀初頭では全国最大級の古墳
5世紀初頭では全国最大級の前方後円墳です。このような巨大な古墳を造ることができる強大な勢力が吉備に存在していたことを示しています。全長約350m、後円部径約224m、高さ約27~32.5mで三段築成。後円部墳頂には形象埴輪、墳丘斜面の各段には大量の葺石と円筒埴輪列…
現存する日本最古の“庶民のための公立学校”
1670年に岡山藩主池田光政(みつまさ)が創立した、日本初の“庶民のための公立学校”。谷深き地に建てられたこの学校で、日本の歴史を創る有能なリーダーが多く輩出されました。堂々とした入母屋造りの講堂は“学問の殿堂”と呼ばれるに相応しい…
吉備路の代表的景観!撮影スポットとしても注目
奈良時代に聖武天皇の発願によって全国に建立された国分寺のひとつ。仏教の力を借りて天災や飢饉(ききん)から国を守ることを目的に建てられました。現在残っている建物は江戸時代に再興されたもの。境内には高さ約34mの五重塔がそびえ、吉備路を代表する景観として…
大原美術館の創設者・大原孫三郎と大原家代々が暮らした家
大原美術館、倉敷絹織(現(株)クラレ)の創設者 大原孫三郎、大原家代々が暮らした家。国の重要文化財。邸内は表からは想像できない景色。石畳に連なる倉群、静寂の日本庭園等々、落ち着いた雰囲気の中で、「倉敷の中の倉敷」をご堪能いただけます。展示内容も充実…
黒田官兵衛の奇策・水攻めの主戦場となった城址
天正10年(1582)、この地で秀吉軍と毛利軍が戦った「高松城水攻め」がありました。近くには水攻め築堤跡が残っています。現在は公園として整備され、当時に思いを馳せながら散策を楽しむことができます。公園の中央にある7,000平方メートルもの広大な堀には、毎年7月…
珍しい壇上積基壇の遺構も出土
白鳳時代の創建と推定される備前地域では最古の寺院跡。地方寺院には珍しい壇上積基壇の遺構も出土しています。近くには備前国庁跡や唐人塚古墳などもあります。
庄新町の丘陵上、王墓山古墳の北側に位置する弥生時代後期に築造された日本で最大級の墳丘を持つ弥生墳丘墓です。円丘部の頂上には5個の巨石が立てられ、墳丘の各所から多くの土器片も出土しています。
製塩業で財を成した野﨑武左衛門の屋敷
江戸時代後期に大規模な塩田を開き、「塩田王国」を築いた野﨑武左衛門の屋敷。約3,000坪の敷地には、約1,000坪にわたる主屋群と6棟の土蔵が建ち並び、庭のあちこちに茶室が見られるなど、当時の勢いを伺わせます。塩田に関する資料や歴史なども閲覧可能。塩業歴史館…
映画のロケ地にもなった豪奢な雰囲気を味わって
享和、文化の頃(1800年頃)小泉銅山とローハ(硫酸鉄)の製造を営み、巨大な富を築いた大野呂の庄屋・広兼氏の邸宅です。江戸末期に建てられた楼門づくりで、城郭にも劣らない堂々たる石垣が今もそのままに当時の富豪ぶりをたたえています。
宿場町として栄えた街の歴史的シンボル
現存する本陣の建物は江戸時代中期に建てられた裏門・西蔵・酒蔵などを除き、本陣施設としての御成門・玄関・御座敷をはじめ主屋の主要建物は江戸時代後期(天保年間~安政年間)にかけて再建されたものです。本陣の屋敷地は間口20間(約36m)、奥行50間(約90m)、面…
吉備中山の山頂付近にある前方後円墳
吉備中山の山頂付近にある約120mの前方後円墳です。都月型円筒埴輪が吉備津神社に伝わるものの、宮内庁の管理下にあるため詳しく観察することができません。大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)と呼ばれています。
武蔵が誕生した家!
武蔵は天正12年(1584年)生まれ。父・平田無二(無二斎)、祖父を平田将監といい、両人とも十手術の達人という武術家の家に生まれ育ちました。生家はもともと、約60m四方の大きな構(かまえ)の中に立つ大きな茅葺の家でした。神社のそばにあったことから“宮本…
美観地区にある大原家旧別邸
大原孫三郎が家族で住むために建てた大原家の旧別邸。「緑御殿」とも呼ばれることでも有名な艶やかな緑色の瓦は、独特な釉薬が使われており、泉州堺の瓦職人に特別注文したものです。建築家/完成年:薬師寺主計/1928年見学・撮影について:外観のみ見学可能(春と秋…
大正12年築の木造洋風建築物
昭和20年の空襲による焼失を免れた数少ない建物で、窓枠や内装の一部が改修されているものの、外観や構造等はほとんど手を加えられておらず、建築時の状態を残しています。構造は、木造3階建で、寄棟造・スレート葺(一部鉄板葺)の屋根は3階部分で腰折風に処理する。…
武家屋敷・旧折井家のある石火矢町は、両側に土塀が続き、格式のある門構えの家並みが見られ、岡山県指定の「石火矢町ふるさと村」の一角にあります。この建物は今から170年前天保年間に建てられたもので、200石前後の武士が住んでいた建物です。母屋と長屋門からなり…
ロケ地としても人気!明治40年建築のルネッサンス風校舎
1907(明治40)年にルネッサンス様式の木造校舎として建てられた、完全なシンメトリー(左右対称)のデザインと白亜の外観が印象的な小学校です。1990(平成2)年に小学校としての役目を終え、現在は一般に公開されています。講堂の二重折り上げの洋風格(ごう)天井…
武蔵終焉の地・熊本県の宮本武蔵顕彰会が当地を訪れ、武蔵生誕の地であると確証し、それを記念して建立されました。碑の正面には旧熊本藩主細川護成候伯爵の染筆により「宮本武蔵生誕地」と刻まれています。
備中のこうもり塚古墳(総社市)・箭田大塚古墳(倉敷市)と並ぶ、岡山県における三大巨石墳のひとつです。石室の奥壁の幅は2.7m、玄室の長さ5.8m、高さは2.6m。内部には貝殻凝灰岩製の家形石棺があります。
古墳時代の美作に君臨した豪族を知る
吉井川と吉野川の合流点を見下ろす、海抜約320mの山の頂にある4世紀末~5世紀初頭に築造された、径59m、高さ9mの円墳です。発掘調査の結果、多数の副葬品が出土し、古墳時代に美作の一角に君臨した豪族をうかがう貴重な資料となっています。
県指定重要文化財の足守藩家老・杉原家の居宅
もと足守藩家老の杉原氏の住居。江戸時代中期の武士の書院造り住宅遺構として貴重なものです。
第一合同銀行の倉敷支店として大正11年(1922)に竣工したルネサンス風の建物。大原美術館や有隣荘など、大原家関連の建物の多くに関わった総社市出身の建築家、薬師寺主計が設計しました。鉄筋コンクリート造の2階建で、アーチ窓上部のステンドグラス、独特なドリス…
江戸時代中期から後期にかけて、百二十石から百五十石取りで、近習役や番頭役などを勤めた武士の住宅である。江戸中期の建築として平屋建て、桟瓦葺き、箕甲・入母屋造りで大ぶりな三ッ花懸魚を取付け、玄関には幅二間の式台を設け、玄関の間の正面には一間半の棚を設…
岡山市街地の中にある前方後円墳
市街地の中にある全長150mの前方後円墳で、後円部頂上の天計(あまはかり)神社社殿の床下には竪穴式石室の天井石が露出しています。
地下に眠る遺跡と県出身アスリートの資料館
岡山県総合グラウンドの地下には、縄文時代から近代にかけての複合遺跡である津島遺跡が眠っています。昭和46年に一部が国指定史跡に指定されました。さらにその後の発掘調査の結果を受けて、平成14年に史跡の範囲が拡大され、現在に至っています。発掘調査で出土した…
平成24年(2012)まで、現役最古の木造校舎として使用されていた小学校です。明治6年(1873)に拡智小学校として開校し、後に吹屋小学校、吹屋町立尋常高等小学校となりました。東校舎・西校舎等は明治33年(1900)、本館は明治42年(1909)の建築。本館2階、講堂内部…
吉備津神社の北200mの「福田海」という寺院の奥にあります。食肉となった牛の鼻ぐりを集めて供養しています。
吉備平定のため派遣された吉備津彦命の射た矢と鬼ノ城にいた鬼神の温羅(うら)が投げた岩がぶつかり、ともに喰らい合い落ちたといわれる伝承がある社。温羅と呼ばれた鬼と吉備津彦命が戦った際に、温羅が投げた岩が吉備津彦命が射た矢とぶつかり、落ちた場所という言…
江戸から昭和初期にかけての建造物が残っていた古民家、東大橋家住宅の母屋と4つの土蔵、中庭を全面改修した観光・文化施設で、多目的ホールなどを備えています。
吉備津神社内にある、大吉備津彦命が温羅(うら)との戦いのときに射た矢を置いたとされる岩です。吉備津神社には祭神である大吉備津彦命が、鬼ノ城に住む温羅を弓矢で退治したという伝説にちなんだ、矢を放って魔を祓い、国家安泰・五穀豊穣を祈る「矢立神事」があり…
のどかな田園地帯にたたずむ木造駅舎です。この駅で映画「男はつらいよ」シリーズ最終作「寅次郎紅の花」のファーストシーンが撮影されました。鉄道マニアの中では戦前に作られた木造の駅舎として知られていましたが、映画の公開と同時に渥美清さんを慕う寅さんファンが全…
戦国時代に築城された城で一四の曲輪からなる「連郭式山跡城」。 県下有数の山城で、城主としては上野氏・戸川氏・伊岐氏などが知られています。 中でも「常山女軍の戦い」は有名で、天正3年小早川隆景が備中平定の余勢をかって時の城主、上野肥前守高徳を攻めました…
明治以前の乱掘によって石室は失われ、墳丘は変形しているが、もとは横穴式石室を持つ25mほどの円墳か方墳だったと考えられています。組み合わせ式の家形石棺があります。
瀬戸内海の大多府島に、池田藩によって元禄11年に築港された大多府港にある港湾施設です。2段に石を積んだ構造で、曲面形状になる堤の築造技術は一見の価値あり。随所に後世の補修が見られますが、現存する数少ない明治期前の港湾施設として大変貴重なものです。
国登録有形文化財
明治から大正にかけて建てられた、築約100年の大地主の邸宅。「商都」の繁栄を彷彿とさせる名建築です。再生されて邸宅や地域の郷土資料などが公開されています。
備前・備中の国境に近い旧山陽道にり、一里塚の様子をよく示しています。道路を挟んで両側に塚があり、北塚に黒松、南塚に榎の巨木がありましたが、枯れたため今は若木が植えられています。
中国西安市に吉備真備公の記念碑が建立されたのを記念して造られた、古代中国風の公園です。中国にいるような雰囲気を楽しみながら散策ができます。園内の「たけのこ茶屋」では食事やお茶を楽しめるほか、地元農産物、工芸品の販売なども行われています。
時代とともに増改築された変化に富む町家
城東地区は、津山城跡の東側を南北に流れる宮川の左岸地区の城下町です。平成25年に重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されました。吉井川の北岸の川と並行して延びる出雲街道沿いに町人地が形成され、その一角に城東むかし町家があります。