城下町岡山の原点「京橋」を深掘り。人気の朝市も毎月開催!(岡山市)
人気朝市の開催地として知られる岡山市の「京橋」。今回はその地の魅力を歴史的な背景や周辺の見どころとともに深掘りしていきます。朝市などで訪れた際にはぜひ散策してみてください。
- ライター
- 田中シンペイ
- 掲載日
- 2026年6月25日
京橋の歴史
戦国時代の末期、備前・美作の覇者となった宇喜多直家・秀家父子によって岡山城とその城下町が整備されました。京の都と九州を結ぶ西日本の大動脈「山陽道(西国街道)」は、従前には北寄りを通っていたものを城下町を通過するように南へ移設したほか、西大寺や備前福岡などから商人を移住させて岡山が繁栄する礎を築きました。城下町の玄関口として、また陸路と水運の要衝として京橋周辺は江戸~明治にかけて大いに栄えたと言われています。
上に示した古絵図『備前国岡山城絵図』は江戸時代の正保年間(1644~1648年)に作成されたものです。堀の幅や道の長さまで記載された詳細な内容で、当時の城下町の様子をつぶさに見て取ることができます。
出典:岡山大学図書館所蔵「池田家文庫」絵図公開データベースT3-84より抜粋して作成
古絵図を拡大して解説を加えてみました。白い破線が山陽道(西国街道)です。
東(写真では右)からやって来る山陽道は旭川にある2つの中州を介して架けられた「小橋」「中橋」「京橋」という3つの橋を渡って、岡山城の大手門の前を通過していきます。さらに進むと西大寺町のあたりで北へ直角に折れ曲がり、現在の表町商店街の原型を形成しました。
出典:岡山大学図書館所蔵「池田家文庫」絵図公開データベースT3-84より抜粋して作成
現在の京橋
現在の京橋は大正6年(1917年)に建設された歴史のある橋で、多重の鋼管柱橋脚という現在ではあまり見られない工法で架設されています。橋の下に行って見てみると、独特の橋脚が不思議な景観をつくり出しています。「大型鋼I桁橋」としては国内最古級の貴重な事例だそうで「土木学会選奨土木遺産」に認定されています。大正12年(1923年)には拡幅されて、橋の上を路面電車が通るようになりました。路面電車もすでに100年以上の歴史があるんですね。
朝市会場周辺の見どころ
ここからは朝市(備前岡山京橋朝市)の会場周辺にある見どころをご紹介していきます。
暴れ川だった旭川に架かる京橋は洪水のたびに流失を繰り返し、江戸時代に少なくとも6回ほど架け替えられているそうです。上の写真は旭川の川床から発見された江戸時代の橋脚で、延宝9年(1681年)という年号が確認されました。
京橋の脇にあるのは明治37年(1904年)に架けられた「水管橋」という水道水を通すための橋梁です。鋼トラス橋として県内最古、鋼製水管橋として日本最古とのことで、登録有形文化財に指定されています。
朝市会場を象徴する「京橋 火の見櫓」です。大正13年(1924年)に建設された貴重な歴史的建造物として、こちらも登録有形文化財に指定されています。
「表具師幸吉の碑」は、もしかすると世界で初めて空を飛んだかもしれない人物を顕彰して建立されたものです。江戸時代中期に現在の玉野市八浜に生まれ、岡山城下で表具師(掛け軸や屏風などを仕立てる職人)をしていた浮田幸吉は、鳥の羽の構造を研究して竹や布を組み合わせた翼をつくり、京橋の上から短距離ながら飛翔したと言われています。世間を騒がせた罪で岡山を追放されましたが、後に現在の静岡市に移住して、そこでも再び空を飛んだとか…。彼を題材にした小説や漫画などが様々な作家によって生み出されていますので、興味のある方は「鳥人幸吉」などで検索してみてください。
京橋西詰の交差点脇にある少しレトロで風変りな建物は、かつての「京橋交番」です。交番としては廃止されましたが、現在は「京橋立寄所」という警察の活動拠点のひとつとなっているそうです。
京橋交差点の西側には岡山を代表する和菓子「大手まんぢゅう」で知られる「大手饅頭伊部屋 京橋本店」があります。写真の向かって左手方向に、かつて岡山城の大手門がありました。だから「大手まんぢゅう」なんですね!
表町商店街へ
さらに西へ足を延ばすと表町エリアに差し掛かります。「西大寺町」(現在の表町3丁目)は西大寺から移り住んだ商人たちで形成されたエリアで、路面電車はここで大きく北へ転進します。山陽道もこの少し先で直角に北へ曲がり「栄町」(現在の表町2丁目)へと続きます。
「栄町」(現在の表町2丁目)の一角に案内板が建っていて、よく見ると不思議な建物の写真が紹介されています。
かつてここには「鐘撞堂(かねつきどう)」という鐘楼が存在し、昭和初期まで城下町に時を告げていました。江戸時代後期に建てられた三層の独創的な建造物でしたが、残念なことに昭和20年の空襲で焼失してしまいました。現在は鐘楼の復元模型と焼け残った鐘の一部が「岡山シティミュージアム」に展示されています。
表町商店街では現在も西大寺町、栄町、上之町など、かつての古い町名が使用されています。栄町のアーケードに掲げられた看板は、かつてここに壮麗な鐘楼が存在したことを伝えようとしていました。
京橋を渡ってみよう
ここで方角を180度変えて、京橋を渡って東の方へ向かってみます。「京橋」を渡ると西中島という中州に着き、次に「中橋」を渡ると東中島へ、さらに次の「小橋」を渡ると旭川の東岸へ着きます。
江戸時代、旭川の中州である西中島と東中島には多くの安宿があり、歓楽街としての側面を持っていました。明治~昭和初期にかけては西日本有数の夜の街として繁栄し、西中島には現在もわずかに当時の面影が残されています。ちなみに、日本で最初の映画スターと言われた「尾上松之助」は西中島の出身で、近所に芝居小屋があったことが役者を志すきっかけとなったそうです。
「小橋」の先には「中納言」という町があり、「元祖きびだんご」で知られる「廣榮堂 中納言本店」があります。
地名の由来としては、宇喜多氏の後に岡山へ入封した小早川秀秋の通称「金吾中納言」にちなむという説のほか、このあたりで販売されていた名物の焼餅(やきもち)が「中納言 大伴家持(やかもち)」に掛けて「中納言の焼餅」という名称だったから、という説などがあります。
旭川の東岸にはかつて武家屋敷が広がっており、「門田屋敷」という地名などにその名残があります。この付近には岡山藩の筆頭家老「伊木家」の大きな下屋敷があり、中納言から少し北へ進んだあたりに現在も長屋門の一部が残されています。余談ですが、これとは別の伊木家長屋門が昭和初期に東京都内に移築され、現在も世田谷区に現存しています。
京橋朝市へ行こう!
いかがでしたでしょうか?歴史のある場所なので、興味深いスポットがたくさんあります。ぜひ朝市とあわせて楽しんでみてください。
「備前岡山京橋朝市」は毎月第1日曜日(1月は第2日曜日)に、京橋西詰の旭川河川敷広場と堤防緑地で開催されています。直近では2026年7月5日(日)です!
紹介したスポットの場所(地図)
- 京橋
- 岡山城(烏城)
- 大手饅頭伊部屋
- 鐘撞堂跡
- 岡山シティミュージアム
- 廣榮堂 中納言本店
- 伊木家下屋敷長屋門
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