備中エリアの陣屋をめぐる歴史散歩。意外な見どころを秘めた陣屋跡5選
「陣屋」とは、江戸時代~明治初頭まで運用された地方行政の拠点(城郭以外)のことです。岡山市からほど近い備中エリアにも多くの陣屋跡があります。今回は、そこに秘められた意外な歴史を交えながらその魅力をご紹介していきたいと思います。
- ライター
- 田中シンペイ
- 掲載日
- 2026年3月26日
岡山藩と支藩
「池田輝政」を祖とする池田家の宗家は、池田光政の代に岡山藩主となりました。その当時、全国各地に存在していた池田家一門は、次々と断絶の危機に陥っていました。宗家の当主として不安を感じた池田光政は、自身の次男「政言(まさつぐ)」と三男「輝録(てるとし)」にも領地を分け与えて藩をつくり、家名断絶のリスクを低減しようと考えました。こうして岡山藩の支藩として「鴨方藩」と「生坂(いくさか)藩」が誕生することになったのです。
陣屋(じんや)とは
原則として3万石未満の大名は城を持つことが許されず、ごく簡単な堀や石垣で区画された政庁・住居として「陣屋」を設けていました。また、幕府や広い領地を持つ大名が出先機関として設けた役所も広義の「陣屋」となります。領主が旗本の場合には「知行所」、幕府の直轄領の場合には「代官所」とも呼ばれます。
1.鴨方陣屋(浅口市)
岡山藩の支藩「鴨方藩」は2万5千石という大きな石高ながら、藩主は岡山城下に構えた屋敷に居住し、現地に出向くことはあまりなかったそうです。そのため鴨方には「御用場」と呼ばれる役所が設けられているだけでした。現地にはその石垣が今も残されています。
江戸時代には「岡山新田藩(おかやましんでんはん)」という便宜上の名称でしたが、明治維新後に「鴨方藩」と改称し、この時にあらためて御用場のそばに陣屋が設けられました。ちなみに歴代最後の岡山藩主は、鴨方藩主「池田政詮(まさのり)」(改名後は池田章政)が務めました。
陣屋跡のすぐ東にある「かもがた町家公園」は当地の名士「旧高戸家」の邸宅で、鴨方藩主が現地を訪れた際の宿泊所としても使用されていたそうです。現在は県内最古の町家建築のほか、庭園などを備えた歴史公園となっています。「まちや亭」には鴨方名物のそうめんがリーズナブルな価格で食べられるランチもあります。
2.生坂陣屋(倉敷市)
1万5千石を擁する「生坂藩」においても、江戸時代の名称は「岡山新田藩」で、藩主は岡山城下の屋敷に居住する実体の薄い藩だったようです。明治3年に「生坂藩」と改称して独立し、「東雲院」(上の写真)に陣屋として仮の藩庁が設置されましたが、わずか1年で廃藩置県を迎えました。
3.早島陣屋(早島町)
「早島陣屋」は別記事でもご紹介した庭瀬藩戸川家の分家です。陣屋の跡には、正面に設けられていた堀と石橋が今も残されています。
早島陣屋跡には戸川氏にまつわる歴史資料を展示した「戸川家記念館」があり、甲冑や絵図など貴重な遺物を入館無料で見学することができます。記念館として使用されている蔵は「早島陣屋」の書庫だった建物だそうです。
「戸川家記念館」の向かいには、土塀や茅葺き屋根を備えた風格のある建物が残されています。こちらは戸川家の家老だった納所家のお屋敷で、江戸時代中期の建物だそうです。(現在も子孫の方が居住されているので見学はできません)
4.矢掛陣屋(矢掛町)
山陽道の宿場町として知られる「矢掛(やかげ)」にも、かつて陣屋が存在していました。宿場町は幕府の直轄地「天領」だった時期に整備され、庭瀬藩領との変遷がありつつも、基本的には「矢掛陣屋(三成陣屋)」の代官や奉行による統治が行なわれていました。陣屋は宿場町の中心部から1kmほど北に設けられていて、現在もかつての奉行屋敷が個人宅として残されています。(見学はできません)
陣屋の敷地内には、ひっそりと池の跡が残されていました。陣屋跡の向かいにある石垣で区画された敷地は、飢饉に備えて穀物を蓄えていた「義倉」の跡だそうです。
矢掛陣屋の正門は、矢掛宿に残る「旧矢掛脇本陣髙草家住宅」に移築されて現存しています。ただならぬ雰囲気を醸していて、もとは武家の建物だったという由来に納得です。
5.浅尾陣屋(総社市)
浅尾藩の蒔田氏は「旗本」でしたが、幕末になって領地が加増されて「大名」となり、あらためて領地に陣屋を設けることになりました。これが「浅尾陣屋」です。本来は城を持てない立場でありながら、幕末の緊迫した情勢を反映してか、「浅尾陣屋」は実質的には城のようなつくりとなっています。
大名と旗本
原則として1万石以上の領地を持つのが「大名」で、それ以下は「旗本」となります。「大名」は自分の領地と江戸を交互に行き来する「参勤交代」を行ないますが、「旗本」は常に江戸にいて自分の領地に出向く機会はほとんどありません。そのため「旗本」は領地には屋敷を持たず、「知行所」という簡単な役所だけを設けるケースが多かったようです。
「浅尾陣屋」は丘陵の上に屋敷地を設け、その周囲にいくつもの曲輪が配置されていました。低い丘陵ですが断崖のように険しい箇所も見られます。現在、神社のある陣屋の主要部には、土塀が復元されて城のような雰囲気が少し再現されています。陣屋としてのセオリーから大きくはずれ、中世の城郭のようなつくりとなっている珍しい事例だと思います。
幕末の騒乱
1864年に長州藩(今の山口県のあたりを治めていた大きな藩)が尊王攘夷を掲げて京都で兵を挙げた「禁門の変」において、蒔田氏は京都見廻役として長州藩の撃退に貢献しました。そのことで恨みを買ったのか、1866年に「浅尾陣屋」は長州藩の脱走兵から襲撃を受ける事態となりました。これに先んじて幕府が直轄領としていた倉敷代官所も襲撃を受けて占拠されており、この一連の出来事は「倉敷浅尾騒動(備中騒動)」と呼ばれています。
奮戦むなしく「浅尾陣屋」は焼け落ちました。もはや「騒動」というレベルではない気がしますね…。事件そのものは急行した幕府軍が鎮圧し、逃亡した首謀者らは後に長州藩によって処刑されました。勝てば官軍負ければ賊軍という、幕末ならではの興味深い事件ですが、意外と一般には知られていません。
驚くべきことに、「浅尾陣屋」を取り囲んでいた土塀は今も部分的に残されています。朽ちた土塀からは、歴史の生き証人のような迫力が感じられます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。「陣屋」という一見すると地味に思える史跡にも、それぞれの時代を映す鏡のような魅力が秘められています。著名な観光地の近くにあるものが多いので、ぜひ一度立ち寄ってみてください。
紹介したスポットの場所(地図)
- かもがた町家公園(鴨方陣屋跡)
- 東雲院(生坂陣屋跡)
- 林原美術館(生坂藩邸長屋門)
- 戸川家記念館(早島陣屋跡)
- 矢掛陣屋跡
- 旧矢掛脇本陣髙草家住宅
- 浅尾陣屋跡
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