【岡山の古墳】ウォーキングで岩田14号墳・足王神社・山陽団地内の遺跡群を散策してみよう!(赤磐市)
赤磐市でウォーキングしながら文化財を散策できる「岩田14号墳・足王神社と山陽団地内の文化財をめぐるコース」をご紹介します。約5kmの道のりを実際に歩いて、その魅力を解説していきたいと思います。
- ライター
- 田中シンペイ
- 掲載日
- 2026年1月26日
足王神社
スタート地点は「足王神社(あしおうじんじゃ)」です。足のケガや病にご利益があることで知られる神社で、遠方からの参拝者も多いそうです。
参道には石造の「足形」が鎮座しています。ご祭神は「足名椎命(あしなづちのみこと)」「手名椎命(てなづちのみこと)」で、ヤマタノオロチ神話に出てくる「櫛名田比売(くしなだひめ)」のご両親です。
のちに「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」と「櫛名田比売」の子孫にあたる「大国主命(おおくにぬしのみこと)」もご祭神に加えられています。素戔嗚尊がヤマタノオロチを退治したあとに剣を清めた「血洗の滝」と、その剣が奉安されていた「石上布都魂神社」も赤磐市内にあります。
岩田2号墳
[足王神社から徒歩約15分]
足王神社のすぐ東側には岡山県内有数の大型団地「山陽団地」があります。団地内の各所には、上の写真のように擁壁を設けるなどして、かつて丘陵だった自然の地形が残されて公園になっています。
山陽団地と埋蔵文化財について
高度経済成長にともなう住宅需要の急伸に対処するため、岡山県は「岡山県営山陽新住宅市街地開発事業」を昭和44年に決定しました。候補地となった「東高月丘陵」では、当初は9基の古墳の存在が知られていた程度だったので、埋蔵文化財の保存は可能と判断され用地買収が進められました。ところが樹木の伐採後に詳細な調査を行なったところ、弥生時代の集落や墓地のほか、7つの古墳群で計60基(のちにさらに増える)の古墳が確認されたのです。
埋蔵文化財の保護に関して難しい判断を迫られ、最終的には大幅な設計変更によって約半数の遺跡を緑地公園等で保存し、残る半数は「記録保存」、つまり詳細な発掘調査の後に造成工事によって消滅することになったのです。こうして広範囲で実施された発掘調査には延べ3万5千人が動員され、調査期間は5か年に及びました。
現状保存が決まった遺跡は、こうした緑地公園内などに保存されています。写真の中央にある高まりが「岩田2号墳」です。丘陵の尾根に築かれた小規模な古墳というのは、目視で確認するのはなかなか難しいものです。そのおかげなのか、当時調査された古墳の多くは未盗掘だったそうです。全部で15基からなる岩田古墳群では、2号墳、4号墳、14号墳、15号墳が現在も残され、他は造成工事によって消滅したそうです。
岩田14号墳
[岩田2号墳から徒歩約8分]
造成工事によって新たに古墳が見つかることもありました。それまで存在がまったく知られていなかった「岩田14号墳」は、墳丘の上部が失われて地下に埋もれていたところを偶然発見されました。意外なことに石室内部は未盗掘で、700点にも及ぶ膨大な副葬品が出土しました。
「岩田14号墳」は6世紀中頃に築かれた横穴式石室を持つ円墳で、現在は墳丘や石室を復元したうえで元の場所に現状保存されています。住宅街の中に突如として立派な古墳が現れる光景はなかなかシュールです。
発見された時から石室の天井石は失われていたそうで、現在の天井はコンクリート製となって、石室内部にも補強が入っています。出土した貴重な副葬品の数々は「赤磐市山陽郷土資料館」に展示されていますので、そちらはあらためてご紹介したいと思います。
用木6号墳
[岩田14号墳から徒歩約5分]
本来の散策コースには含まれていないのですが「用木(ようぎ)6号墳」に立ち寄っていきたいと思います。「山陽西幼稚園」の東側にある小さな丘の頂上付近に残されています。16基からなる用木古墳群は、この6号墳をのぞいてすべて消滅したそうです。
「用木6号墳」は全長が37メートルほどの前方後円墳だとされています。上の写真は前方部の端から後円部の方向を写したものなのですが、いかがでしょうか?前方後円墳だと言われたらそう見えるかも…という感じですね。
現地を訪れて驚いたのは「用木6号墳」が残されている丘の北側斜面に設けられた擁壁です。こんなに大きな擁壁はダムの周辺くらいでしか見たことがありません。もとの丘陵を残すためには、これほどの手間がかかるものなんですね。もし埋蔵文化財を保存するためだけの構造物だとしたら…、当時の人々の決断に頭が下がる思いです。
疫隅神社
[用木6号墳から徒歩約10分]
「疫隅神社(えすみじんじゃ)」は疫病を祓う神社として知られ、ご祭神は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」です。明治以前には「祇園神社」と呼ばれていたので、江戸時代に建てられたという鳥居の扁額は「祇園神社」となっています。
祇園神社について
かつて祇園神社で祀られていた「牛頭天王(ごずてんのう)」は、古代インドの仏教寺院「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)」の守護神であるとされ、本来は仏教の神様です。その信仰が複雑に変化し、神仏習合(日本古来の神と仏教の神の融合)によって「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」と同一の存在とみなされました。疫病や災いを祓う「祇園信仰」として広まり、京都の「祇園祭」で知られる「八坂神社」が総本社とされています。明治以降は、政府による神仏分離政策によって神社から仏教的な要素が排除され、神仏習合の神社では祭神や名称の変更を余儀なくされました。
宮山1号墳
[疫隅神社から徒歩約5分]
疫隅神社のある丘陵の一角が「宮山古墳群」で、計5基の古墳が残されているそうです。案内板などはありませんが「宮山1号墳」は比較的わかりやすいので、すぐに見つけられると思います。
便木山8号墳
[宮山1号墳から徒歩約15分]
「便木山(びんぎやま)8号墳」は古墳時代の「方墳」か、あるいは弥生時代の「方形台状墓」と考えられています。団地の造成区域から除外されて、周囲を擁壁で囲むことによって現状保存されました。
方形台状墓とは
「方形台状墓」とは、高さ1~2メートルほどの台状の土盛りに複数人を埋葬したとされる弥生時代の墓制のひとつです。「古墳」は古墳時代に築かれたものを指す用語なので、弥生時代のものは別の呼び方で区別されます。当記事において遺跡全体を指す場合には「墳墓」を用いています。
便木山方形台状墓
[便木山8号墳から徒歩約5分]
「便木山方形台状墓」は造成工事中に発見された弥生時代後期の遺跡で、高さ1.2メートルほどの方形の盛土が確認できます。こちらも周囲を擁壁で囲んで現状保存されました。
便木山古墳群
[便木山方形台状墓から徒歩約1分]
かつて便木山の尾根には計11基の古墳があり、7号墳と10号墳以外は現状保存されています。「便木西公園」(1、2、3、9号墳)と「門前公園」(4、5、6号墳)など数か所に分かれていますが、もとはひとつの山でした。個別の案内表示がないため、どれが何号墳なのか…あまりよくわかりませんでした。
野山古墳群
[便木山古墳群から徒歩約7分]
「野山古墳群」は「弥生公園」という緑地公園内にあります。東西方向と北へ延びる尾根にかけて13基の小さな円墳があり、すべて現状保存されました。こちらも個別の案内表示はなく、どれが古墳なのかよくわからない状態でしたが、「野山2号墳」の箱式石棺の一部とされる石を確認できました。
「弥生公園」には「遺跡之碑」という記念碑が建っています。造成工事によって消滅した墳墓群を慰霊するためのもので、石材には「岩田8号墳」の石室の石が転用されています。当初は消滅する「岩田8号墳」の横穴式石室をここへ移して復元する予定でしたが、「岩田14号墳」が発見されて現状保存されることが決まり、8号墳の復元計画は変更され記念碑に転用されることになったそうです。
散策コースはもうすぐゴールです。ここからグラウンドのある方へ下りて200メートルほど西へ進むと、スタート地点の「足王神社」へ戻ることができます。お疲れさまでした!
まとめ
造成工事で古墳が消滅したと聞くと「ひどい…」と思う方もいるかもしれませんが、高度経済成長期の日本ではめずらしいことではありませんでした。限られた時間や予算のなかで、どこまで埋蔵文化財を守れるか、当時の人々はギリギリの選択を迫られたはずです。人によって感じ方は異なるかもしれませんが、私は遺跡を保存するために累々と築かれた擁壁を見て、山陽団地の開発に携わった人たちは、あの時代にできる最善を尽くしたのではないかと感じました。
全行程で約5km、所要時間は各所での滞在時間によると思いますが、概ね2時間半くらいでしょうか。神社や古墳だけではなく、先人たちが郷土の埋蔵文化財とどのように向き合ったのか、という現代史の1ページを垣間見ることができる遺跡群としてもおすすめです。
紹介したスポットの場所(地図)
- 足王神社
- 岩田2号墳
- 岩田14号墳
- 用木6号墳
- 疫隅神社(祇園神社)
- 宮山1号墳
- 便木山8号墳
- 便木山方形台状墓
- 便木山古墳群(便木西公園)
- 野山古墳群
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