【空から見る岡山の史跡】岡山を代表する巨大古墳「造山古墳」を10分で徹底解説!
岡山が全国に誇る史跡「造山古墳」の何がそんなにスゴいのかを、あらためて多角的に解説していきます。歴史に詳しくない方でも、これを読めば10分で「造山古墳」のことが分かるようになります!
- ライター
- 田中シンペイ
- 掲載日
- 2026年7月27日
造山古墳とは
「造山古墳(つくりやまこふん)」は岡山市北区に所在する古墳時代中期の古墳で、岡山県内最大、全国でも4番目の大きさを誇る巨大な前方後円墳です。古代に存在した「吉備の国」の首長の墓と考えられていますが、文献記録が一切なく、詳細についてはよく分かっていません。
古墳の大きさ 全国ランキング 1位~5位
1位
大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)/大阪府堺市/全長486m/被葬者:仁徳天皇?
2位
誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)/大阪府羽曳野市/全長425m/被葬者:応神天皇?
3位
上石津ミサンザイ古墳(かみいしづみさんざいこふん)/大阪府堺市/全長365m/被葬者:履中天皇?
4位
造山古墳(つくりやまこふん)/岡山県岡山市/全長350m/被葬者:不明
5位
河内大塚山古墳(かわちおおつかやまこふん)/大阪府羽曳野市/全長335m/被葬者:雄略天皇?
※「造山古墳」以外の巨大古墳の所在地は畿内に集中しています
「全国第4位」の意味
「造山古墳」は現在では全国で第4位の大きさですが、その詳細を見ていくと単純に「4番目」というだけのお話では終わりません。
第1位と第2位の古墳は「造山古墳」より後の時代に作られ、第3位の古墳は「造山古墳」とほぼ同じ頃に作られました。つまり「造山古墳」は完成した当時には国内最大だった可能性もあるのです。
また、1位~3位の古墳は天皇陵として宮内庁が管理していて「立入禁止」なので、「造山古墳」は自由に見学できる古墳としては国内最大となります。
「絶対年代」と「相対年代」
現在の最新の科学を用いても、古墳がつくられた具体的な年代=「絶対年代」を正確に特定することはできません。しかし、「この古墳よりあの古墳の方が古い」「この古墳とあの古墳は同じ頃のものだ」といった「相対年代」については、ある程度の絞り込みが可能となっています。
墳丘の構造
このイラストは架空の古墳を想定した概略図で、後円部を3段、前方部を2段としてあります。
「造山古墳」の場合は後円部も前方部も3段で、先端部分はさらに高く築かれていました。
「周濠」は発掘調査で痕跡らしいものが一部に認められましたが、古墳の周囲をすべて濠が囲んでいたかどうかは未確定だそうです。
「葺石(ふきいし)」と「埴輪(はにわ)」の存在は確認されていますが、埋葬施設(石室など)は現時点では確認されていません。
上空から見ると3段で築成された墳丘の様子がよく分かります。「立入禁止」となっている畿内の天皇陵とは異なり樹木の伐採などが行なわれているため、美しい墳丘の形状をはっきりと視認できることは「造山古墳」の一番の魅力と言えるかもしれません。
「造山古墳」は平地に土を盛ったのではなく、もともとあった自然の丘陵を大規模に成形することで築かれた古墳と考えられ、完成したのは5世紀の初頭(西暦400年代のはじめ頃)と推定されています。
「上石津ミサンザイ古墳」との関係
全国第3位の古墳「上石津ミサンザイ古墳(大阪府堺市)」は「造山古墳」と同じ頃に作られ、墳丘のデザインもほぼ同じで、大きさの差もわずかです。そして古墳から出土した埴輪にも共通性があります。つまり、「造山古墳」と「上石津ミサンザイ古墳」は無関係に存在しているのではなく、何らかの事前協議を行なって意図的に同じものをつくろうとした可能性があるのです。だとすると、「畿内」が中央政権で「吉備」は地方の有力者という従来の考え方では「造山古墳」が存在する理由を説明できません。
古墳群の存在
巨大な古墳には必ずと言ってよいほど小さな古墳が付属して築かれます。これを陪塚(ばいづか/ばいちょう)と呼び、造山古墳の場合は南西方向に「造山第1号古墳」から「造山第6号古墳」まで6基ほどが確認されています。「馬形帯鉤(うまがたたいこう)」という朝鮮半島由来の帯留めが出土した「榊山古墳(第1号古墳)」と、直弧文という独特の文様が彫られた石障を備えた「千足古墳(第5号古墳)」がとくに知られています。近年、「千足古墳(せんぞくこふん)」では大規模な復元整備が行なわれ、帆立貝形の墳丘、埴輪列、石室などを見学することができます。
現在の状態
残念なことに「造山古墳」は後世の改変が著しく、あまり保存状態が良いとは言えません。特に戦国時代に城として改修された際に後円部などが大きく削られてしまったそうです。羽柴秀吉による水攻めで知られる備中高松城の戦いがそれです。この時に毛利方の城塞として利用され、現在も後円部の墳頂には備中高松城の方向に向けて築かれた土塁(防護壁)が残存しています。また、近年の豪雨被害によって崩れた箇所もあり、遺跡としての調査と保存がさまざまに検討されている状態です。今後、後円部の北側斜面に葺石と埴輪列を復元する予定もあるそうです。
深まる謎
古墳時代のなかで、巨大な前方後円墳が築かれた時代はそれほど長く続きませんでした。
古代の吉備は製鉄と関連して朝鮮半島と深いつながりを持っていましたが、巨大な前方後円墳が築かれた時代は朝鮮半島北部の強国「高句麗」の脅威と対峙していた時代と重なります。
また、応神天皇と兄媛(えひめ)、仁徳天皇と黒媛(くろひめ)、雄略天皇と稚媛(わかひめ)など、巨大な前方後円墳が築かれた時代の天皇が寵愛した女性は、なぜか吉備出身なのです。
いったいそこには、どのような謎が秘められているのでしょうか?
まとめ
「古墳時代」は日本という国の原型が出来上がった重要な時代なのですが、文字の記録がほとんど残されていないため謎に包まれています。それを解き明かすには、古墳が有力な手掛かりとなります。畿内にある多くの巨大古墳が「立入禁止」となっているなかで、岡山の巨大古墳たちは自由に見学や調査が可能です(中山茶臼山古墳を除く)。大げさな話ではなく、日本史の謎は岡山から解き明かされていくかもしれません。
自由に立ち入れる岡山の巨大古墳へ、ぜひお越しください!
地図
- 造山古墳
- 岡山市造山古墳ビジターセンター
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