知っていれば岡山通?「続・岡山県の難読地名10選」
地元住民なら読めて当たり前だけど、他の地域の人が初見で読むのは難しい…。そんな岡山県内の難読地名10選と、それぞれのおすすめ観光スポットをご紹介します。前回の記事については「岡山県人でも読めない…」と知人から指摘を受けたので(笑)、今回は岡山へ初めて旅をする人へ向けて再選定しました。
※当記事で紹介する地名の由来は諸説あるうちのひとつです
- ライター
- 田中シンペイ
- 掲載日
- 2026年9月24日
目次
1.長船(瀬戸内市)
瀬戸内市の「長船」は「おさふね」と読みます。近年、刀剣のブームの影響で興味を持って岡山を来訪する方はご存じかもしれませんが、そうでない人は意外と読めないそうです。由来について正確なことは分かっておらず、古代氏族の「曰佐(おさ)氏」の存在や「船山」などの地名から港があったことなどが関係しているようです。鎌倉時代につくられた刀の銘に「長船」の記載があることから、少なくとも鎌倉時代までに地名として広く定着していたと考えられます。
「長船」といえば、今や“刀剣の里”として全国的にも知られるようになりました。岡山県の北部で豊富に産出される鉄と薪炭が吉井川の水運で運ばれ、山陽道に面していて流通に好都合だったことにより、鎌倉時代には刀剣の産地として栄えていたようです。
「長船」になる以前の地名は「靭負(ゆきえ・ゆげい)」で、これまた難読名称…。今も当地に鎮座する神社の名称として残っているので「おか旅」の過去記事で取り上げたことがあります。興味のある方はそちらもどうぞ。
2.呉妹(倉敷市)
ここでの「妹」は「せ」と読みます。倉敷市真備町(まびちょう)に「妹(せ)」という地名があるほか、井原鉄道の駅名にもなっている「呉妹(くれせ)」が知られています。もともとは「瀬」のことだったようで、岡山市南区の地名や人名として馴染みのある「妹尾(せのお)」も本来は「瀬尾」なのだとか。
なぜ「妹」という漢字を用いるのかについては諸説ありますが、古代における「妹(いも)」は男性から見た親しい女性のことを意味し、「兄(せ)」は女性から見た親しい男性のことを意味するので、その読み方を混同した可能性が考えられます。
「呉」は古代中国の「呉(ご)」の国にちなみ、“中国の南東部”から渡来した人々が住んでいたことを表すそうです。日本が“日出ずる国”であるのに対して、中国は“日が暮れる国”だから「くれ」という訓読みをつけたとか…。
付近一帯は古代から栄えた長い歴史を持つエリアで、奈良時代に遣唐使として中国へ渡り、暦法や兵法など多種多様な学問を修めて持ち帰った学者「吉備真備(きびのまきび)」の出身地はこのあたりだと言われています。彼がいなければ、日本の文化は今とは違うものになっていたと言われるほど後世に大きな影響を与えました。倉敷市真備町箭田(やた)の「まきび公園」には中国風の見事な庭園が再現されているほか、資料館「まきび記念館」などもすべて無料で見学できます。
3.高梁(高梁市)
岡山県人には当たり前すぎて盲点だったのが「高梁」でした。県外の人は「こうりょう」と読んでしまいがちだそうですが、「たかはし」と読みます。もともとは高い台地の端(はし)に位置する地形から「高橋」という地名だったものを、南北朝時代にこの地を治めた「高橋又四郎」という武将が自分の名前と同じでは不都合と考え、城が所在する山の名前から取って「松山」にあらためたそうです。
その後はずっと「松山」でしたが、明治時代に入ると“四国の松山と紛らわしい”という言い掛かりのような理由で明治政府から改名を要求されました(備中松山藩が幕府側として最後まで抵抗したことへの懲罰だと言われています)。そのため、仕方なく古い地名の「たかはし」へ戻し、せめて「橋」の字を「梁」という雅字にしたのだそうです。
高梁と言えば「備中松山城」が有名ですが、山の上まで行く余裕がない…という方は山麓の城下町を散策するのもおすすめです。なかでも「小堀遠州」の枯山水庭園で知られる「頼久寺(らいきゅうじ)」は江戸時代初期には陣屋として使用されていたので、まるで城のようなつくりとなっていて見応えがあります。
4.撫川(岡山市)
岡山市北区の「撫川」は「なつかわ」と読み、『和名類聚抄』に「撫河(なつかわ)」の記載があります。語源は「泥む(なづむ:停滞する)」川という意味の「なづかわ」で、低湿地を川がゆっくりと流れている様子を表したと考えられます。名前から分かるように古来からの湿地帯で、戦国時代にはその地勢を活かして堅固な城が築かれました。
『和名類聚抄』とは
和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)は、平安時代中期に編纂された辞書・百科事典のような書物です。当時使われていた言葉を「気候」「植物」「地名」などのジャンルに分類し、それぞれの言葉の意味や読み方などが解説されています。この書物が残されたおかげで、昔の日本人が世の中の事象をどのような名で呼んでいたのかを現代の我々も知ることができます。略して「和名抄」とも呼ばれます。
5.成羽(高梁市)
高梁市にある「成羽」は、現在では「なりわ」と読みますが、『和名類聚抄』では「なしは」として記載があります。「なる」は平地、「は」は端を意味するので、谷間にある狭い平地などの地形を表していると考えられます。
成羽の中心部では、江戸時代の「成羽陣屋」跡と現代建築(高梁市成羽美術館/設計:安藤忠雄)が織りなす不思議な景観を見ることができます。
6.日生(備前市)
備前市の「日生」は「ひなせ」と読みます。明治時代まで「ひなせ」「ひなし」という読み方が併存していたそうなので、干潟を表す「干の瀬(ひのせ)」や「干成し(ひなし)」が由来ではないかと考えられます。ちなみに、もとの地名は「干し」からの「星」で、漢字を分解して「日生」になったというオシャレな説も耳にしたことがあります。
「日生」の見どころは、何と言っても瀬戸内海の美しい風景と新鮮な海の幸です!JR日生駅から歩いて行ける範囲に飲食店が多数あるので、ここらで「カキオコ」を食べて、船で日生諸島を巡ったり、「みなとの見える丘公園」から瀬戸内海の多島美を楽しむのがおすすめです。
7.蒜山(真庭市)
真庭市の「蒜山」は「ひるぜん」と読みます。「蒜(ひる)」はニラやネギのように辛みや強い匂いを持つ植物の総称で「食べるとヒリヒリする」ことからきているそうです。「蒜山」という名前はそれらの植物が多く自生していたことに由来すると考えられています。
また、「山」を「せん」と呼ぶ事例は中国山地で多く見られ、「大山(だいせん)」や「氷ノ山(ひょうのせん)」などが知られています。「せん」という漢字の読み方は「呉音」と呼ばれ、仏教と深い関わりがあるので修験道との関連も考えられます。
高原のリゾート地として知られる「蒜山」は、どこへ行っても素晴らしい風景と美味しい食べ物にあふれています。一方で、昔ながらの農村の面影も残されているので、自分だけの情景を探してみるのも楽しいと思います。
8.美作(美作市)
かつて吉備の国は畿内に匹敵する大きな勢力でしたが、飛鳥時代から奈良時代にかけて細かく分割されました。まず「備前」「備中」「備後」の3つに分割された後、「備前」はさらに南北に分割されて北側が「美作(みまさか)」となりました。
由来には諸説ありますが、分割の経緯をふまえると本来の表記は「吉備の北」を意味する「備朔(びさく)」(朔:方位の北のこと)であった可能性が高いと思われます。使用する漢字に良い意味の「美作」をあてたことで、読み方が変化していったのではないでしょうか。
美作市といえば“美作三湯”のひとつ「湯郷(ゆのごう)温泉」の存在が広く知られています。温泉につかるのはもちろん、歴史のある場所なので古い町並みや神社などをブラリと散策するのも楽しいですよ。
9.虫明(瀬戸内市)
「虫明」は正式には「むしあげ」と読みますが、慣例的に「むしあけ」も広く使用されています。
かつて「虫」は“小さな生き物”を広く表す言葉で、「牡蠣(かき)」「蛤(はまぐり)」「蛸(たこ)」「蟹(かに)」「蝦(えび)」のように漢字表記にその名残があります。つまり、「むしあげ」は小型の海産物がたくさん水揚げされることを意味していたと考えられます。
一方で、穏やかな海に生息する夜光虫(発光するプランクトンの一種)に由来するという説や、製塩業の工程における「蒸し上げ」が由来だという説などもあります。いずれにしても、豊かで穏やかな海が広がっていたということですね。
虫明の見どころといえば、平安時代から歌に詠まれた美しい海です。特に「虫明の迫門(せと)」における日の出が素晴らしいことが知られています。昔の船は潮待ちの関係で夜から朝まで虫明に停泊したので、藤原定家、平忠盛、後鳥羽上皇など、そうそうたる歴史上の人物がその美しさを和歌に詠んでいます。
また、この地でつくられる伝統工芸品「虫明焼(むしあげやき)」は江戸時代に当地を治めていた岡山藩家老「伊木家」が発展させたもので、素朴な備前焼とは対照的な京風の優美さが特徴です。専門家に「日本一清楚」と評されるその美しさは、普段使いの器にすれば日常に花を添えてくれ、大切な人へのお土産にしても喜ばれると思います。
10.和気(和気町)
和気町の「和気」は「わけ」と読み、この地を治めていた古代氏族「和気氏」にちなんだ地名です。「ワケ」は古代における称号のようなもので、応神天皇の諱(いみな:実名)「ホムダワケ」などが知られています。時代とともに称号としての意味はなくなりましたが、名族の誇りとして「和気」を名乗っていたと考えられます。
和気氏といえば、稀代の政治家「和気清麻呂(わけのきよまろ)」の存在が広く知られています。天皇家の危機を救った「道鏡事件」のほか、治水事業などのインフラ整備、平安京への遷都など国家の礎となる多くの事績を残しました。姉の「和気広虫(わけのひろむし)」も女官を務め、日本初の孤児救済事業を行なうなど慈悲の心で政治にあたった人物でした。和気町にある「和気神社」には「和気清麻呂」「和気広虫」が祀られ、藤の花の名所としても広く市民に親しまれています。
先述の「吉備真備」もしかり、吉備は日本という国のグランドデザイン形成に大きく貢献した地域だったのです。
紹介したスポットの場所(地図)
- 備前おさふね刀剣の里 備前長船刀剣博物館
- まきび公園
- 頼久寺庭園
- 撫川城址(芝場城跡)
- 高梁市成羽美術館
- みなとの見える丘公園
- 蒜山高原
- 湯郷温泉
- 虫明迫門の曙
- 和氣神社(和気神社)
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